私は、令和5年6月3日に開催した土曜セミナーで「あおもりの旧石器」と題して講演しました。
講演の時は参加者の姿勢や表情から反応が変わったと思う瞬間があります。
それに応えたいので、より丁寧に、より深く、話をしていきます。
土曜セミナーは、参加者とともに、講演が進行します。
今年度の土曜セミナーの最終回は令和6年3月2日です。ホームページで日程表をご覧になると、興味のあるテーマを発見できるかもしれません。
今回は、開館の2年後の大平山元(おおだいやまもと)Ⅰ遺跡などを調査した時期の話と、旧石器時代の気候・自然環境に関する部分が、参加者に興味をもっていただいたと感じました。
大平山元Ⅱ遺跡の石器(右端は細石刃、その左は細石刃核を3面から撮影した写真。3面のうち写真中央に細石刃を剥がした痕跡が細長く見えます)
大平山元Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ遺跡(外ヶ浜町)の発掘調査の頃
1970年代に郷土館は研究史に残るような数々の発掘調査を行いました。
展示品の少ない旧石器時代、縄文時代早期、弥生時代、中世の遺跡を、自らの手で発掘調査し、調査後には出土品が展示されていきました。調査自体もまた全国に情報発信できるような、内容の濃いものだったと思います。
若い職員が発掘現場を運営し、学生や大学院生が全国から集まりました。
青森に住む人にとって大切なネブタなどの夏祭りの時期も、お盆の時期も、休まず調査が続いたのでした。その結果、いずれの調査でも、大きな成果が得られたのでした。
大平山元Ⅱ遺跡の調査写真(神社の境内です) 出土した槍先
昭和52年(1977年)の調査は8月8日~14日に旧石器時代の大平山元Ⅱ遺跡、8月17日~23日に中世の尻八館遺跡(青森市)、8月25~9月5日が弥生時代の宇鉄遺跡(外ヶ浜町三厩)と3遺跡の調査が2~3日の休みを置いて続きました。
翌年の昭和53年(1978年)は7月15日~8月3日まで尻八館遺跡、8月8日~21日に大平山元Ⅱ・Ⅲ遺跡の調査と、津軽地方の人にとって大切な「ねぶた祭り」もお盆もなく調査が続いたのでした。
旧石器時代から縄文時代草創期にかけての気候・自然環境
旧石器時代の本県の自然環境が分かるのが、つがる市木造の出来島海岸です。
出来島海岸では泥炭層の中に、厚さ3mmほどの姶良丹沢火山灰(AT)が、はさまれています。鹿児島県の姶良カルデラから噴出した火山灰が本州北端まで到達したことは驚きです。
旧石器時代の石器を全国的に議論するときには、この火山灰より上の地層か、下の地層かがまず質問されます。この火山灰は、時代を知る鍵となっています。
その10cmから15cm下に埋没林があります。姶良丹沢火山灰(AT)の時期を現在から約3万年前とすれば、それに近い時期の埋没林となります。
埋没林を調査した辻誠一郎氏は、埋没林が「良好に保存されているのは,気温が現在のサハリンあるいは以北に比較できるほど低温であり,かつ水はけの悪い湿地的環境であったためであろう。サハリン南部のアニワ湾沿岸の湿地帯であるススヤ平原には,現在,グイマツとアカエゾマツが混在する針葉樹林が成立しているが,まさにそのような景観を思わせる埋没林である」と記載しています(辻2001「木造町西海岸,出来島の泥炭層と埋没林」『生態系のタイムカプセル~青森県埋没林調査報告書~』33頁)。
11月のユジノサハリンスク市街を遠くから見た風景です。暗緑色に見える樹木はアカエゾマツです(以降、1999年筆者撮影)。
アカエゾマツとグイマツ グイマツ ハイマツ
ユジノサハリンスクの東側(ススヤ平原)の植生は、前述のように出来島地区に樹木が生育していた頃の、あおもりの旧石器時代の風景と類似すると言われています。
サハリンでは、ハイマツも平地でみられます。
現在、八甲田山ではハイマツ群落は標高約1500mの森林限界といわれる場所から頂上にかけてみられます。岩木山でも1500m以上に分布しています。
旧石器時代から縄文時代にかけての気候
約1万5千年前の大平山元Ⅰ遺跡の頃は、少し寒暖の変動幅はありますが、基本的には、旧石器時代のように寒冷だったことがわかっています。
このような寒冷な時代を人々は生き抜いてきたのでした。
現代は、先が見えない時代と言われることもあります。
戦争や気候変動、地震や大雨などの自然災害の頻発する中で、私たちは暮らしています。
けれども、現在のサハリンのような寒冷な気候の中で人々が生きてきたということは、勇気が出る話だと私は思います。
寒いのが苦手な私は、寒さに負けず、当時の人々が命をつないだことに、心から感謝したいと思っています。
(齋藤 岳)