今年も雪が降り積もる季節となりました。

 朝夕の通学・通勤の雪道で、皆様、大変なご苦労をされていることと思います。

 現代人でも大変な冬の暮らしを、昔の人々はどうしていたのでしょうか。

 そのヒントは、約90年前に画家今純三が描いた「冬の街頭風俗」に示されています。

 

 今純三「冬の街頭風俗」(「青森県画譜」1934年、当館蔵)

 

 ひとつひとつの絵を拡大してみます。

 

 

 

雪が降り積もった青森市内の風景です。

 

 

 こちらは青森市浦町の雪景色です。

 中央左側に「雪囲ひ」という注記があり、板を何枚も突き立てたような塀が描かれています。これは現在の北津軽郡等の地方で、複数の大きな板を地面に立て、風雪から家を守り覆うようにつないで作った「カッチョ」という伝統的な雪囲いに似ています。

 

 

 北津軽郡板柳町の民家の民家です。

 入口に雪囲いが設けられ、その内部に雪かき道具と枝箒が用意されていたことがわかります。

 屋根の軒下に干し餅を吊すことは、現代まで受け継がれた習俗です。

 さらにその屋根下には、漬物樽や、ワラ靴、黒塗りの足駄、地下足袋、雪踏み、女性や子供用のゴム長靴、冬の履き物などを干している様子が詳細に描かれています。

 

 

 また、青森市内の風景です。

 煙突がある屋根に人が上がって、雪下ろしをしている様子です。現代では、家々の屋根が、無落雪の屋根へと工夫されて変わったことと、大変危険な作業のため、一般にはやる人がいなくなり、見受けられなくなった風景です。

 

 

 その一方で、子供達は、降雪で生まれた斜面をスキーやソリで滑り降りて遊んでいます。これも昭和50年代まではよく見受けられた遊びですが、自動車が普及した現代では大変危険な行為ですからやめましょう。

 

 

 子供達がソリで遊ぶ風景は八戸市鮫町でもあったようです。

 

 

 ソリは当時、遊びだけではなく、冬季の重要な交通手段でもありました。大人達は重い荷物を運ぶため馬ソリを使いました。

 

 

 魚売りなどの行商の人々も雪道の運搬にソリを使いました。

 

 

 雪道の路上で餅やそばを売る人々も、ソリで屋台を引いていたようです。

 なお、画面上の餅売りの女性は、頭からマントか角巻きのような外套を被っています。現代の冬用コートに比べてなんだか寒そうに見えますが、実際に筆者も実験してみると、案外暖かいことがわかりました。

 

 

 弘前駅前です。春が近くなると、町内みんなで申し合わせた日に路上に出て、雪ベラやツルハシでふるい、路上を覆う雪や氷を砕く「雪切り」をしました。

 実は筆者も、昭和50年代、小学生の頃、実際に町内みんなでやる「雪切り」に参加し、家の前の道を覆った厚く固い氷の塊をツルハシで割った記憶があります。

 

 

 青森市安方の「倉庫裏通り」です。

 「雪切り」で片付けた雪の塊は、道端に高々と積み上げられたようです。

 

 このような20世紀初頭の青森県の人々の暮らしを詳細に描いて記録した画家 今純三の作品を紹介する当館サテライト展「生誕130年 今純三 純三が描いた戦前の青森」は、令和6年1月28日(日)まで、青森市の青森県立美術館で好評開催中です。

 20世紀初頭の青森で、人々はどのように暮らし、何を願っていたのか。多くの絵画から感じてみてください。

 描かれている民具等の実物も一部紹介しています(小山隆秀)