郷土館のさとうです。

 

 さて、当館が平成21年度以来開催しております「あおもり街かど探偵団」ですが、令和5年度は、浅虫地区で6月25日・10月15日の2回開催しました。

 

 浅虫地区は古くからの温泉場であり、長い歴史の積み重ねがあることから、取り上げるべきテーマを選ぶのに悩みました。また、時間や協力者の都合により、泣く泣く見学を諦めた場所も多々あります。その一つが善知鳥崎(うとうまい)です。善知鳥崎は、青森市大字浅虫と大字久栗坂の境付近にあります。

 

 善知鳥崎は、12世紀末頃、奥州平泉の藤原泰衡の郎従である大河兼任が立てこもって頼朝が差し向けた追討軍と戦ったという「有多宇末井之梯(うとうまいのかけはし)」であると言われ、古くから名所として伝えられてきた場所です。

 

 そのような場所であったので、何とかみなさんにお伝えしたいと思い、郷土館職員が執筆する新聞連載記事「青森郷土見聞録」(東奥日報)でお伝えすることにしました。私の担当分は令和5年7月27日から4回掲載されました。青森県内の方はそちらを御覧になった方も多いかも知れません。

 

 このブログ記事では、その連載記事で使う写真を、現在の善知鳥崎周辺に撮影しに行ったときのことをお伝えしたいと思います。

 

 7月9日朝、私はまず道の駅浅虫温泉に少し立ち寄り、善知鳥崎に向かうことにしました。海釣り公園付近から歩くと、前方に岬のようなものが見えます。善知鳥崎です。

 

 

さらに近づくと、トンネルが見えてきました。

 

 

 このトンネルは善知鳥トンネルといい、かつては東北本線のトンネルが通っていました。

 また、善知鳥トンネルの山側には昔使われていた道路トンネル、善知鳥前隧道(トンネル)があります。以前はそのトンネルもはっきり見えたものですが、背の高い草に隠れてよく見えませんでした。そのトンネルの入口は現在では閉鎖されています。

 そして、善知鳥トンネルを抜けて反対側(久栗坂方)に出ました。

 

 

 久栗坂方からは、こんな風景が見えました。

 

 ちなみに、当館には江戸時代後期に描かれた、下のような絵があります。

 

「烏頭前桟図」(百川学庵筆『津軽図譜』より)

 

 角度はだいぶ違いますし、季節も夏なので、草が生い茂り、かなり違った風景に見えます。ただ、険しい崖になっていることは昔と変わりがありません。かつては、道が狭く、道中の難所であったと伝えられます。

 

かたわらには案内板もありました。

 

 

 前述の、大河兼任がこの付近に立てこもった故事を伝えています。

 トンネル内の歩道を通り、浅虫方面に戻ると、海の眺めの良い道路が続きます。湯の島と裸島、そして、温泉街が眺めることができます。昔の旅人も、この眺めで疲れを癒やしたのでしょうか?

 

 

 

 この日は時々小雨が降るあいにくの天気でしたが、晴れていれば、夏らしい、もっと爽快な様子をお伝えできたことでしょう。でも、ふだんは車で数分で通り過ぎるところを歩いてみて、新たな風景を発見できました。

 

 なお、この周辺は交通量が多いので、この場所を訪れるときは、必ず歩道を歩き、通過する車にはくれぐれも気をつけてください。また、立入禁止になっている所や危険な場所への立入りを避けるべきかと思います。

(さとう)