毎週木曜日の東奥日報紙上に、青森の歴史・文化・自然を当館の学芸員が紹介する連載記事「青森郷土見聞録」が掲載されています。
今回は、この連載〈94〉で紹介した「岩石が造る景観③ 大島」(令和5年2月9日掲載)について、先日、現地を訪れた際の様子をレポートします。
この連載では、下の写真を掲載し、大島の地形の特徴や成り立ちを紹介しました。
大島は夏泊半島北端の陸奥湾上にある島ですが、陸と細い砂州でつながっていることが写真からわかると思います。
このような地形を「陸繋島(りくけいとう)」といいます。
砂州を通って大島へ渡り、島の北端に建つ灯台を目指しました。
島ではちょうどカタクリの花が満開を迎え、ほかの春の花も咲き一面のお花畑でした。
1 大島の手前に建つ大町桂月の歌碑
大町桂月は大正11年10月11日、夏泊半島を探勝しています。
歌碑には
たてがみを 海吹く風に 靡かせて
馬ひとつ立つ 岩菊の原
とありました。
当時の夏泊のようすがうかがえます。
2 陸側からみた砂州と大島
砂州の上には橋が架かり、満潮時でも島へ渡ることができます。
この日は風が弱く波も穏やかで、干潮なのか砂州の幅が広く感じられました。
3 基盤岩の泥岩層
深海底に堆積して固まり隆起した泥岩の層が、橋を渡っている途中にみられました。
波に削られた地層は、まるで昔の洗濯板のようでした。
4 大島を造るデイサイトと泥岩の境界を東側海岸で確認
大島は、マグマが冷えて固まった岩石の一種・デイサイトでできています。マグマは泥岩の中に入り込んできたもので、島に渡って右(東)側の海岸に両者の境界が見られる場所がありました。
大地が隆起する過程で泥岩は侵食されていき、デイサイトが島として残ったと考えられます。
5 尾根へ向かう急な階段を昇る
海岸から島の尾根へ昇る散策路があり、かなりの急登で途中から階段になっていました。
6 標高63.2mの三角点
散策路を登り切った先に、緯度・経度・標高の基準になっている三角点がありました。
理由はわかりませんが、小銭が積まれていました。
7 カタクリの花が満開
散策路は尾根のやや東側に整備され、斜面は一面カタクリの花で埋め尽くされていました。
8 オトメエンゴサクの花も満開
キクザキイチゲやエンレイソウなど春の花も咲き誇り、お花畑をつくっていました。
9 島を造るデイサイトと津軽半島遠望
灯台へ向かう道は一旦下り坂となり、途中で西側海岸にデイサイトの岩体がみえました。
10 陸奥大島灯台
目的の灯台に到着。
高さ10m程度で、銘板に「初点 昭和24年5月」とありました。風向・風速の観測も行い、「海の安全情報」としてリアルタイムに提供しているそうです。
11 弁天宮
灯台のさらに奥に弁財天を祀る祠がありました。平内町史によると、建立は江戸時代のようです。
12 下北半島を遠望
島の北端からは下北半島、平舘海峡、津軽半島を遠望でき、平舘海峡の向こうにはうっすらと北海道がみえました。
灯台の周囲は、夏場は背丈の高い植生に覆われるようです。今回は天気が良く、春の花々を楽しみながら灯台まで散策し、島北端からの絶景も満喫できました。(島)