忘れたころに | 青森今昔物語

青森今昔物語

戦災により失われた青森市の記憶。

$青森今昔物語-堤川河畔より八甲田を望む

 今年の甲子園は弘前聖愛高校のりんごっこリンゴ台風が吹き荒れましたが、昭和44年(1969年)の甲子園では球史にのこる大健闘を見せた
三沢高校が準優勝を勝ち取っています。

 8月21日正午、特急日本海で青森駅に到着した三沢高校ナインは、駅前に押し寄せた5万人という大観衆の出迎えを受けます。ブラジル遠征のため太田投手の姿こそありませんでしたが、ナイン達は駅前から、新町通り、柳町通りを通り、県庁での歓迎式に臨みました。沿道の10万人を超える市民の声援、拍手、紙ふぶき、紙テープが舞う中、県庁での歓迎式を終えたナインは、さらに七戸、十和田を回り母校のある三沢市まで凱旋パレードを行っています。 

$青森今昔物語-花園町昭和44年8月24日

 さて、三沢高ナインを追いかけるようにして22日鹿児島に上陸した台風9号台風は、四国、近畿、東海、関東と列島を横断、各地に多大の被害をもたらしました。

 青森地方気象台は、23日17時頃仙台湾から太平洋に抜けると予測、「夜半ににわか雨があるが、一時的なもの」という予報をだしました。

 ところが、台風9号は予測に反して、国鉄東北本線上を北上、22時過ぎ八戸の南方から太平洋に抜け去りました。

$青森今昔物語-花園町昭和44年8月24日

 この雨台風は、上北鉱山(247ミリ)、大和山(239ミリ)、八甲田(213ミリ)という記録的な24時間降水量を八甲田山系にもたらし、これらの雨水が荒川、駒込川の両河川に流れ込みました。

 荒川、駒込川の両河川は青森市内で合流して堤川となります。

 前年5月16日に発生した十勝沖大地震のせいで堤川河口は30センチの沈下を起こしていました。不幸なことに同じく前年7月に南方移転したばかりの東北本線旧線路が堤防の役目を果たしてしまい、堤川からあふれ出た濁流は、やがて堤川以東の市街地に襲いかかります。 

$青森今昔物語-花園町昭和44年8月24日


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 青森市では死者1名、全半壊家屋2棟、流出家屋8棟、床上浸水5167戸、床下浸水5229戸(昭和44年8月25日付け東奥日報)という記録的な被害を生じ、青森県の農林、土木等の被害額も81億9000万円に達しました。

 県はそれまで10年ごとに氾濫する堤川の根本的な解決法として下湯ダムを建設することとし昭和49年からは建設事業に着手することになります。

barrage journal 第44号 東青地域県民局地域整備部駒込ダム建設所