おめでとう、酸ヶ湯で最大積雪記録更新!! | 青森今昔物語

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戦災により失われた青森市の記憶。

$青森今昔物語-中新町三階建ての旅館二階屋根より高い道路

 記録破りの大雪-事實今年の降雪、積雪量は現在縣内に在るどの文献、どの記録にも発見することが出來ないし、その数字は今尚増加しつつある。雪にも功罪はあらうがこの大雪ではとても相半ばと云ふ譯には行かず、決戦輸送を阻害し、凡ゆる増産面を澁滯せしめる点、實に敵米英に匹敵する頑敵である。差當り百萬縣民擧げて討つべき手近の敵は雪である。而も敵は例年の白魔ではないこと前記の通りである。
雪の征服第一! 討てよ白魔!
 東奥日報昭和20年2月17日付け



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 今日も朝から、雪、雪、雪。晴れ、雪。最高気温もマイナス3.6度と氷漬けの青森市内でしたが、今日青森市酸ヶ湯温泉では積雪5メートル13センチとなり、気象庁の観測点中最大記録を更新しました。

 19時現在青森市の積雪は115センチとなっていますが、昭和20年2月21日、青森市では観測史上最高となる209センチの積雪を記録しています。街は雪に埋もれ、厩舎焼失による家畜の焼死、ぜいたく品だとして生産の多くが禁止されていたリンゴ園にも枝折れ被害を生じさせることになりました。

 昭和20年豪雪は、報道管制もあり、詳細な記録が残されていませんが、わずかに青森県警察部が記録した写真が残されています。

 新町通りは完全に雪に埋もれ、かろうじて2階から出入りできるだけで、県庁南側の長島通りでも、火災報知機は役に立ちそうもありません。成人男子が兵役、徴用にとられていたため、雪片づけは、女性や老人の手にゆだねられることとなりました。 

 $青森今昔物語-長島裏通リ 火災報知器の高さと同じ道路

 当時青函連絡船を経由して本州に運ばれる石炭は、京浜地区の工業地帯を支える唯一のエネルギーでした。青森から関東地区に向かう石炭列車を確保するため、青森市民は連日、青森駅、青森操車場の除雪に勤労奉仕することになります。

 しかし、除雪の翌日には線路はまた雪に埋まり、結局青森操車場は雪に埋もれたまま放棄されることになります。

$青森今昔物語-柳町通り サロン食堂二階より高い道路の積雪



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 防火用水が流れていた柳町通りでしたが、その用水は操車場の排雪溝を上流としており、操車場の排雪中は、用水があふれる恐れがあったため、使用できずにいました。操車場が放棄されたのを機に、まず防火用水の確保として、柳町通り、浦町駅通りの雪切りが始まったのは3月7日の事でした。