記憶も一種の積分かな?



要は積み重ねたら積分になるのかな。


歳も積分。


見えなくてもどんどん積分されていく。


「思い出す」という作業は積分された過去の積分された自分の積み重ねの中から取り出すこと。



いまこの瞬間ではなく、見えない過去の自分。



見えていたら等身大のヒトガタが、産まれたときからずーっと残っているけれど、今この瞬間しか見えてないから、残像のようなヒトガタは見えない。


過去という時間に置き去りにしているから。


未来という時間へ次々と新しい自分を移動させているから。


そう思ったら、人魂は尻尾のほうは細く描かれているなと。


赤ちゃんだった頃、いや、それ以前、細胞だった頃からが描かれているような気がしてきた。


昔の人もこんな風に考えた人がいて、表現したのかなと思うと、今の人たちが退化しているように見えてくる。


ネットは人間を微分させているのかもね。


そうかも。


アバターという分身をネット上に作り上げているのだから。


数式は不思議でおもしろい。