家に帰れば、食事を作りながら、その合間に洗濯物を取り込んだり、畳んだり、お風呂の準備をしたり、食事の完成と同時に食べ終える事を家族に急かし、更に入浴を急かし、洗濯機を回しながら、自分の入浴を済ませ、様々な片付けに入りそんな家事の嵐を巻き起こし、夫や娘に嫌がられるその日常は遠い昔。いや、遠くにしようとしている。

 最低限をこなす。食べて、風呂に入って、寝る。夫の帰りは待たずに。そんな日々を飽く事なく続けられるのは、一つの衝撃の余韻が連綿と続いている証拠だ。

 私の娘は2年前に死んだ。何故なのか。その答えは嫌にはっきりとしているのに、いつまでもその問いを繰り返すのは人の性なのだと最近思うようになったのは、心境の変化と言えるのか、どうか、それすらもどうでも良い程に擦り切れている自分を自覚する日々に倦んでいる。