ここ最近、
高野山の声明やチベット仏教のマントラ、般若心経を聴きながら入眠している。
これらを聴いていると、自然に心地よい眠りへとおちていく。

高校生の時、般若心経をイメージして描いたというあるアーティストの絵を見て、色即是空 空即是色の世界観を知った。
全ての感情、ここに在る物、私の体も、とどまることのないもの、実体のないもの。
実体のないものが目に見える肉体として在るように見えるが、その肉体も、意識も、思考も、自分だと思っている自分も、自分のものではないこと…
真っ白な広いキャンバスの片隅に、墨をぽとん一滴、シミのように滲ませただけの作品。
キャンバスが般若心経でいう「空」ならば、この一滴は何を意味しているのか?
と考えていた当時の自分を思い出す。

答えなど出ないまま、やがて私は社会の荒波に揉まれていく。
色即是空 空即是空のことなど忘れ、怒り、悲しみ、悔しさ、苦しさ、愛憎、いろんな感情にとらわれて、心身をすり減らす日々を送ってきた。もちろんそれ以上に楽しいことも沢山あったけれど。
50歳を超えた今、体の不調や死を身近に感じるようになると、もっと広い世界観で、とらわれから解放されたいと思うようになった。
先日、身内が亡くなった。
その葬儀でのお坊さんの言葉は、
どこででも話されているようなありきたりな内容だったけれど、
再び、「空」について考えている。
私たちの体はなくなっても、無になるのではない。
大気となって元あった世界に還るだけ。
私たちは実体はないけれど、
宇宙のような果てしない無限の世界の一部なのだと。
話は飛ぶけれど、手塚治虫の漫画「火の鳥」みたいな世界観だなと。
火の鳥は古代から悠久の時を飛び続けている。
どの時代でも、権力争いや戦争があり、大切な人や愛する人を失う悲しみ、孤独や絶望に苦しむ人がいる。
そんな時、火の鳥は空を羽ばたき、時に自分の体内に招き入れ、悟りの世界のようなものを見せてくれるのだ。
私は火の鳥は宇宙を現していると思っていて、
愛した人とこの世でお別れをしても、みな火の鳥という宇宙の中に融合されて、一緒に次の場所へと旅を続けるのだ。
だから、大切な人との別れは辛くても、また一緒になれるから悲しまなくても大丈夫。
みたいな解釈で読んでいた。
エヴァンゲリオンも似たような世界観だったような…
宗教も、優れた音楽や芸術も、そんな真理の追求で、人間の短い人生も、真理を知るための旅の途中なのかもしれない。
手塚治虫先生は未来の今を全て預言していました。
最近、僧侶でミュージシャンの薬師寺寛邦さんの般若心経にハマってます。
疲れた心に染みます。

