わたしは夫のことが好きだ。



でも愛されたいし、愛し合いたい。

それが叶わないなら、幸せにはなれない。

わたしは幸せでありたい。

いずれ赤ちゃんを授かったときに、同じように喜んでくれるひとがいい。



揺るぎない気持ち。





別居を解消してからは、わたしたちはまず一緒に暮らしていけるかどうかを探り合っていた。
夫はあるがままに、わたしは腫れものにさわるように、探っていたように思う。

それと同時に、わたしたちはお互いの望む人生を大切にしていけるのかどうかを、言葉にせずとも探り合っていたように思う。



どちらかの大切なものを犠牲にしてまで一緒にいることは、お互いにとって幸せではない。
悲しいけれど、それはほんとうのことだと思ったから。





わたしの望む人生。


もちろん夫と愛し合いたい。


でもそれとは比べることのできない、わたしにとって大切なこと、子どもを授かること。



わたしたち夫婦の、離婚の危機を迎える以前の話。

赤ちゃんを授かりたいね、と話してから授かるまでに半年以上かかった。
しかしやっと来てくれた赤ちゃんは、流産でいなくなってしまった。


わたしは赤ちゃんを授かって、人生でこんなにも幸せなことがあるのか、と思った。
こんな幸せを、わたしは見て見ぬフリをして生きてはいけなくなってしまった。


赤ちゃんを授かること。
いろいろな運命で授かることがあるだろうけれど、夫婦が仲良いからきてくれる、それが何よりも幸せなことだと思う。
関係が壊れてしまったわたしたち。この先どうなるかもわからないのに無理に赤ちゃんを授かったとしても、それは何かが大きく違っている。
人生に一度あるかないかの最大の喜びのひとつをそんな風に使ってはだめだ。


そうとは思っていても、約一年間の妊娠とは程遠い生活は苦しかった。
ただでさえなかなか妊娠できなかったのに、離婚の危機へ突入してからさらに無排卵が多くなり、そもそも妊娠できる身体でなくなっていった。
少ない排卵のチャンスが過ぎていくときは、受け入れられる日もあるけれど、胸がちぎれそうに苦しい日もあった。



一緒に住むようになってからしばらくらしてから、夫がわたしと一緒にいたい。一緒に生きていきたいと思っている、と言ってくれるようになった。

けれどもわたしの望む人生、いずれ赤ちゃんをまた授かりたいことを伝えたら、それは変わってしまうかもしれない。

やっぱり、お互いの望む人生が違うから一緒にはいれないねって。
やっと育てはじめられたあたたかいものが一気に壊れてしまうのではないかと不安でずっと切り出せなかった。



でも確認せずに一緒に居続けることもできない。


望む人生が違うのならば、わたしにとっても夫にとっても一緒にいないほうがいい。

別れたほうがいい。


一緒に暮らしてから、このでも、でも、が生活のページを開くたびにでてきた。



でも、でも。



いつかは言わないといけない。




安心と不安の大きさ、安心が常に大きくなってきた頃、わたしは遂に(わたしにとっては、ほんとうに遂に、という気持ち。だって一年くらい赤ちゃんのことはタブー、封印していたから)伝えた。



夫は、ぼくも赤ちゃんは良いなと思うようになってきたし、aomameの望みを叶えたいと思う、と言ってくれた。


予想していない、柔らかい言葉だった。


離婚の危機が起こってから、この瞬間はじめてわたしのこころを抱きしめてもらった気持ちになれた。




振り返って考えるいま、この出来事はわたしにとってとても大きなことだったのだ、と改めて思う。


別れるかもしれない、とずっと覚悟していた構えを、やっと解いたときの出来事。



あー書けてほっとした。