一昨日、長崎に新婚旅行に行きました。
その時、雲仙、島原の雲仙地獄に行きました。
ここは、隠れキリシタンの殉職の地でもあります。
少し離れた場所にある島原城の中は資料館になっており、沢山の資料や当時使われていたものが展示されていました。
そこには、幕府がキリシタンの方々に行った拷問の事が書かれていました。
私は、うわぁ~人間ってひどい。
とおもいながら、
拷問を受けたキリシタンの方々は、精神的にも肉体的にも耐え難い拷問の日々を、どのような意識(考え)をもって、その時を体感していたのかなぁ??
ちゃんと成仏できているのかな…
と考えていました。
前から感じていたのは…
「しょうがない」
という、感覚。
うらんだり、にくんだりという感覚は伝わって来ませんでした。
そして今日、アトランティス時代関連のブログを拝見していた時、はっ!と、急に気がつきました。
隠れキリシタンの指導者の方々はアトランティス時代のマスター達が率いていたのではないか?と感じました。
人間は、まだまだ目覚めが浅いため、マスター達が、宗教という枠を使って人々を守り導いていたようです。
しかし、当時の人間はまだ、上から言われたことを行動する、ことしか出来ませんし、新しい意識を受け入れることがなかなかできませんでした。
そこで、異端者となるキリシタンの方々に目をつけたようです。
「そうか、やっぱり…島原の殉職者の方々は意識の高いマスター達で、人間につきあってあげていたんだ」
と、確信しました。だから、うらみがないのか…と。
拷問を受けてあげている、感覚を感じました。
中には、普通の方々もいらっしゃったので、嘆き悲しむ方もいらっしゃったみたいです。
でも、マスター達がきちんと癒しなぐさめてくれていて、うらみは感じませんでした。
最後の最後まで、神という存在の信仰を捨てなかったのは、意地やプライドではなく、人間とは違う次元の存在であるマスター達の次元の高い意識があったからなのかもしれません。
隠れキリシタンのトップにいた方は、アトランティス関係の意識の高いマスター達で、人間につきあってくれていたようです。
すごく、腑に落ちました笑。