『太平記 中』は、六波羅が滅び後醍醐天皇が京に帰るところから、湊川で楠木正成が自害するまで。
京への帰路、途中書写山と福厳寺に寄ったというのに、びっくりしました。
書写山はともかく、福厳寺って、ほんと小さなお寺さんなんです。
そこで、①赤松入道円心に、望み通りの恩賞をと口約し、②新田義貞の使者から、鎌倉方を攻め亡ぼし、相模入道以下北条の一族を追討、東国を平定したとの報告を受けてるんです。
そして、京へ出立するまさにその時、③楠多門兵衛正成が参上し、先導することに。
地元やのに知らんかった。![]()
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この後、後醍醐天皇が公家を重く用い、武家を一段下に置いたことにより、変事でも起きて再び武家の天下にと願う者が続出します。
恩賞をめぐっての利権争いが凄まじく、原因は、後醍醐天皇が現状把握なしで、誰にでも褒美をとらすと口約束しすぎなんだよな。
その被害者代表ともいえるのが赤松円心。
福厳寺での約束は果たされることなく、恨みがつのることに……。
そして、大塔宮が乱発した令旨が無効宣告されるに至って、宮から高氏に鞍替えする者が多く出て、名ばかりの征夷大将軍の地位に甘んじることを嫌った宮が、高氏暗殺
を計画するのですが、ことごとく失敗
に終わります。
反撃に出た高氏は、自らの皇子を皇位にと願う後醍醐天皇の寵妃三位殿の局:阿野廉子を抱き込み、天皇に宮を幽閉させます。
この後、尊氏の弟:直義(ただよし)の指示によって宮は暗殺されるのですが、その最期が壮絶で、宮の恨みの深さに震えます。
まぁ、盛ってるのでしょうけど……。![]()
歌舞や蹴鞠、弓馬に競馬と連日のように遊宴を重ねる天皇に、諫言を呈するのは、唯一、万里小路中納言藤房のみ。
しかし、帝に聞き入られることがなく出家します。
この先、裏切りありぃの
密告ありぃの
もう
ぐちゃぐちゃ。
みんな自分の利益しか考えとらん。
それだけ正直に生きてるともいえるのでしょうが、なんだかなぁ。
探題職として派遣されていた成良親王(第八の宮:三位殿の第二子)と執権:足利佐馬頭直義(ただよし)が、鎌倉を追われたことにより、足利高氏が関東征伐に差し向けられます。
このとき、帝の諱である尊治の一字を賜り、以後、尊氏と名乗ることになります。
そして、鎌倉を奪還した尊氏は、①征夷大将軍と称して②恩賞を行うのですが、その際、新田一族が拝領した所領を闕所(けっしょ:領主のきまってない土地)として、配下の者に与えてしまいます。
そら怒る
やろ、新田義貞。
これら①②は、尊氏の勇み足で、帝はそこまで許してはいませんでした。
その上、大塔宮の殺害です。
尊氏と直義を朝敵とし、追討の宣旨を新田義貞に下します。
尊氏は、帝に弓を引くことなどできないと出家も厭わず静観し座して待つのですが、急迫する事態に直義以下、足利一門、外様大名等は鎌倉を出立し、新田義貞と相対するも退却。
そして、元結は切ってはいたものの出家前だった尊氏は、直義から偽の勅書を見せられ、合戦へと向かいます。
アカンやん直義。
文書偽造やん。
思うにこの兄弟、微妙に息があってないのよね。
コミュニケーション不足?
尊氏の馬鹿正直に、直義がダーク部門を担当。
役割分担としては良いのだけれど、どーも阿吽の呼吸とは言い難いようです。
この先、戦況は一進一退、三井寺陥落の後、優位にたった官軍で、再び楠正成の死んだふり作戦
が決行されます。
今回は、正成のみならず、新田義貞、北畠顕家など主だった将七人が討たれたとの偽情報を流し、将を失った兵が叡山から逃げ出したと思わせ、足利勢を都から一掃します。
尊氏は筑紫国へと落ちていきます。
その後、筑紫で勢力を盛り返した
尊氏の上洛を阻むべき新田義貞は、内裏より賜った天下一の美人:匂当内侍(こうとうのないし)に溺れ、出陣に遅れたのをはじめ、失策を重ねることになります。
そして、義貞救援のため呼ばれたのが、楠正成です。
落ち込む義貞に正成がかける言葉に、正成のお人柄がしのばれます。
戦うべきときを知って進み
利のないときを知って退くのは、
良将の心得……
その道理のわからぬものの非難など、気にかけることはありません!
しかし、合戦を知らず時勢の変化を読み取ることができない帝の側近の公家たちに、正成の進言した策は退けられ、無茶な合戦を強いられます。
左馬頭忠義を狙い奮闘した正成・正季兄弟でしたが、最期は兄弟刺し違えて……。![]()
兄弟ともに自害しけるこそ
聖主再び国を失いて
逆臣よこしまに威を振るうべき
その前表のしるしなれ……
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