父:濱岸若彦は、伯父:勝彦の「胎児内胎児」だった。父は、伯父が生まれた後、伯父の体内で発見され、一年後、手術で取り出された。伯父は病弱だったが、父は、その分健康で性格ものんびり育った。そして、私たち(杏&瞬)は、一つの身体を共有する結合双生児だ。基本的に、左半身が姉の杏で右半身が妹の瞬。二人は性格も好みも違い、顔立ちや体格や声音も違っていた。なので、見た目が微妙にいびつな一人の人間に見え、知らない人には障害児だと思われた。伯父が亡くなったのを機に、二人の意識は、自分たちの存在・死について、深く考えることに……。
芥川賞受賞作。
『受け手のいない祈り』が良かったので、こちらも図書館予約しました。
でも、……。
サクサクスルスル読めるんだけど、これまた違う意味で重い作品でした。
テーマは、もちろんですが、設定にたじたじ。![]()
「結合双生児」は、ベトちゃんドクちゃんで知ってるし、「胎児内胎児」も、子どもの頃、少年漫画の雑誌のホラーっぽい記事のコーナーで取り上げられていたの読んだ記憶があります。
でも、……。
彼女たちの場合は、一つの身体に、二人の意識。
そして、その身体も、二人分を左右それぞれ半分ずつくっつけた見た目って。
もう、このヴィジュアルを想像しただけで……。
絶句です。
頭部結合の確率さえ、約250万分の1だそうです。
あまりにも奇形が酷く出生後の生命維持が保てないほどであれば、流れてしまうと聞いたこともあります。
なので、杏と瞬の確率は、もう限りなく小さいはず。
それを、人が
雷に打たれる確率:約100万分の1に、何回か打たれたようなものだと杏は例えます。
でも、何回も![]()
![]()
雷に打たれたら、人は死ぬ
やろ。
ちなみに「胎児内胎児」は、50万出生に1組だそうです。
もうこの設定にビビってしまって、恐る恐る読みました。
タイトルの”サンショウウオ”とは、陰陽を表す太極図が、白黒一対のオオサンショウウオに見えることからきています。
この太極図、確かに杏&瞬を表すのにぴったりです。
彼女たちも、対照的にできていて、二人で一つの円(=身体)をつくっているのですから。
杏が左側担当っていうのは、やはり右脳・左脳の役割からきてるんでしょうか。
杏は、科学書や宗教書や哲学書を読み漁ってきたようで、彼女の知りえた知識等は、当然のように瞬に流れ込み、瞬は共有を余儀なくされます。
まぁ、自分の境遇を考えると、そういう書物に頼りたくもなるよね。
当然ながら、<単生児>である医者や科学者や宗教者には、杏らの意識の統合など実感することはできず……。
瞬と繋がっていても、自分は違うというそれは、やはり孤独なのかなぁ。
そこへもってきて、伯父の死です。
どちらかというと、おおらかに育ってきた瞬もまた、自分たちの死について考えることになります。
一方が死ぬと他方はどうなるのかと。
読んでいると、しばしばこれは杏?
それとも、瞬?
と思考の主を見失いそうになって、前文を読み返す羽目に陥ります。
身体が死ねば、当然一緒に死にます。
では、意識だけなら?
伯父の四十九日の納骨を前に、二人の思考は右往左往。
「意識」とは、なんだろう。
それは、骨になって土に還るまで、宿題であり続けるのかもしれません。
そして、私は、こっそり「我思う、ゆえに我あり」の人であることに、ほっとしたりしています。
ゴメンよ、ワカランわ。![]()
![]()
【違和感】
◆水炊き
伯父さんの納骨のため父の実家でお泊りするシーンがあります。
その夜、祖母が作ってくれた夕飯が
水炊き。
「水炊き」って、鶏肉
やんな。
なのに、杏がポン酢に付けて食べているのは、
豚肉。
京都のおばあちゃんが、水炊きに豚肉いれるなんて、違和感アリアリです。
若い人向きに豚肉
に、したんかなぁ。
でも、豚肉は水から炊かへんよな。
まぁ、ストーリィには関係ないどーでもええ話やねんけど。
記事一覧をクリックの上、テーマ別記事一覧の選択で、テーマ別のタイトルの詳細が表示できます。