伝えなければ、なんとか気づきを、といつも苦しんでます、、、、そんな講義です、本日。 | 甲斐犬2匹とkakutaのブログ

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真っ黒甲斐犬と恋に落ちた
野良ママが生んだ甲斐犬兄弟の
パパ、KAKUTAです。
カイ(甲斐)とキヌタ(絹巽)。
男3人の日々を語ります。

今日は夕方散歩ができない木曜日。

なぜって、

KAKUTAが大学の授業、

終わるのが6時10分、

それから、

天下の「世界堂」で買い物をしなければならないし・・・

 

  

 

ということだよ、

諸君!

 

  

 

快晴だ!

 

  

 

乾いた空気と日差し、

くっきり影ですな。

 

  

 

そう、

昨日と同じ、

日陰は涼しい。

 

  

 

そんなこんな、

しっかり歩いて、

 

  

 

KAKUTAは、

 

  

 

池袋。

 

  

 

本日は、

このところ年に一度、

KAKUTAの本筋にして、

世界的には、

「人間社会の価値観のベース」に

既にじっとりしっかり定着しているにもかかわらず、

ほとんどの人間が、

それと認識せずに人生を刻んでいる「現代美術」について、

語る、いや、「気づき」があるはずの講義です。

 

  

 

まず、

「鑑賞」が本題。

鑑賞というと、

「誰もが知っているでしょ」な作品を「鑑賞」かい!

が常識になりがちですが、

その本質は、

「積極的に目を向けること」であり、

友達の表現への目、「相互鑑賞」

自分の表現活動(最初から完成まで・・・)への「自己鑑賞」

みんな、

鑑賞です、

てなこと。

 

で、

 

「芸術」って曖昧だ、とか

「芸術だから」って曖昧に済まそうとするとか、

そういう「素人考え」に「杭」をぶっ刺してやろうということで、

 

  

 

「現代美術の父」マルセル・デュシャンと

「ポップアート」の旗手アンディ・ウォーホールの

作品を並べてのディスカッション。

 

目標到達点は、

「芸術」って人類の「価値観」を扱う事、

そこに気付こう、でした。

 

「ものすごい時間を掛けている、なんでそんなことができたの」

とか、

「写真みたい!」なんていう

図式期から発達して「写実期」に行き着いただけの作品、

とか、

「大きい」とか「色あいがすげえ」とか、と言う、

見かけだけ?

ではない領域において

芸術は、真の芸術として成り立つ、

と言う観点を持ちましょう、

と言う働きかけでしたが、

なかなかでしたかね。

 

デュシャンなんて、

すぐそこにいる感覚ですが、

「泉」(男性便器に「サイン」を入れた)なんて、

1917年、

もう105年以上前、って、「昔」じゃん、、、、

今、21歳の学生にとっては、、、、

ウォーホールのマリリンも1964年ですからね。

「戦後、高度経済成長、大量生産大量消費、

キラキラなアメリカ!」その解説をするだけで、

今日の講義が終わってしまいます。

 

難しいな、を

改めて、強く感じさせてもらいました。

でも、

「芸術とは?」は

ほぼ意識改革、

できたら幸せだから、ですのでね。

 

  

 

宵の口の池袋、

 

  

 

「じゃあ、どうした良い!?」

 

  

 

反省しながら、

帰るのです。

 

  

 

あずま通りの本屋さん、

この前を通る時、

いつも余裕がなくて、

中へは入れずにいます。