昨年の自民党総裁選で候補が口々に自分が保守と唱えていたころ、中島岳志氏は、リベラルvs保守という対立を、「リスクの社会化vsリスクの個人化」「リベラルvsパターナル」の2つの軸で整理している(朝日新聞2025-10-2)。前者は、「セーフティーネットの強化、弱者への再配分」vs「自己責任型の社会、税金は安くサービスは低い」というものだから、冷戦期の革新、保守の概念に近そうだ。後者は、多様性に寛容で、個人の価値観への権力的介入が少ないというのがリベラル、権力者が価値観の問題に介入、干渉を強めるのがパターナルとする。(パターナルというのは、家父長制的という意味だが、要は家長が全員のことを決める、という趣旨だろう。)
だが私はこの後者の軸は、まだ複数の座標軸を混在させているように思えてならない。リベラルを標榜する私自身でいえば、最も重視するのは、政府に批判的な官僚や裁判官が左遷されたりしないこと、一般市民が思想や信条を理由に行動を制限されたりしないことが重要で、「保守派」が毛嫌いする「多様性」は実はそれほど重視してはいない。
そんなことを思っていた矢先、佐伯啓思氏の3段階の整理が私には腑に落ちた(朝日新聞2026-3-28)。
戦後、冷戦中の「保革対立」では「革新」は護憲と社会主義に傾斜し、「保守」は日米安保を容認する現実主義で米国に従属していた。この構図は日本の特殊事情だという。
冷戦終結で社会主義への共感が得られなくなると、「個人の自由」「民主主義」「人間の権利」「法の支配」などを中心的な価値とする米国流の「リベラリズム」が一般的になった。この第二段階が私のリベラルに近い。これは米国流だったのか。
その後、リベラルは移民の保護、女性の権利、性の多様性を重視する「アイデンティティー・ポリティクス」や、「ポリティカル・コレクトネス」へ「変質」していったという。アメリカではこの動きが本来の米国の「リベラリズム」を破壊するのではないかとの懸念で揺れているという観察は私の感覚にも近い。
日本でも昨今、「リベラル」政党は第三段階の「アイデンティティー・ポリティクス」に進んでいってしまい、私のように取り残された思いをしている人は多いのではないか。「アイデンティティー・ポリティクス」では「大衆の心情を動かすことはできない」という指摘は正しいと思うし、これまでも指摘されてきたことだと思う。もちろん「票にならない政策は重視するな」というわけにはいかないから難しい。しかも、かつては弱者対策は「革新」「リベラル」の専売特許だったのだが(中島氏のいう第一の軸、佐伯氏も第二段階のリベラルに関連して「経済格差」に触れている)、いつからか、「保守」政権が際限なく借金して「××無償化」のような聞こえのいい弱者対策をするようになってからはリベラル政党にとっての売りがなくなってしまった。
リベラルの定義についてはすっきりした気はするが、自民党への対立軸としてのリベラルをどうするかという功利的な点でどうしたらいいかという点には答えは出そうもない。
関連過去記事(中島氏、佐伯氏ともに過去記事でも引用している。定番の論客らしい):
「「リベラル」って何だ?」
「「リベラル」こそ保守で,自民党は保守ではない」
「リベラルと保守,立憲と護憲」
「自民党は保守ではない」
「リベラルなのに与党を容認するイマドキの有権者のメンタリティー」
だが私はこの後者の軸は、まだ複数の座標軸を混在させているように思えてならない。リベラルを標榜する私自身でいえば、最も重視するのは、政府に批判的な官僚や裁判官が左遷されたりしないこと、一般市民が思想や信条を理由に行動を制限されたりしないことが重要で、「保守派」が毛嫌いする「多様性」は実はそれほど重視してはいない。
そんなことを思っていた矢先、佐伯啓思氏の3段階の整理が私には腑に落ちた(朝日新聞2026-3-28)。
戦後、冷戦中の「保革対立」では「革新」は護憲と社会主義に傾斜し、「保守」は日米安保を容認する現実主義で米国に従属していた。この構図は日本の特殊事情だという。
冷戦終結で社会主義への共感が得られなくなると、「個人の自由」「民主主義」「人間の権利」「法の支配」などを中心的な価値とする米国流の「リベラリズム」が一般的になった。この第二段階が私のリベラルに近い。これは米国流だったのか。
その後、リベラルは移民の保護、女性の権利、性の多様性を重視する「アイデンティティー・ポリティクス」や、「ポリティカル・コレクトネス」へ「変質」していったという。アメリカではこの動きが本来の米国の「リベラリズム」を破壊するのではないかとの懸念で揺れているという観察は私の感覚にも近い。
日本でも昨今、「リベラル」政党は第三段階の「アイデンティティー・ポリティクス」に進んでいってしまい、私のように取り残された思いをしている人は多いのではないか。「アイデンティティー・ポリティクス」では「大衆の心情を動かすことはできない」という指摘は正しいと思うし、これまでも指摘されてきたことだと思う。もちろん「票にならない政策は重視するな」というわけにはいかないから難しい。しかも、かつては弱者対策は「革新」「リベラル」の専売特許だったのだが(中島氏のいう第一の軸、佐伯氏も第二段階のリベラルに関連して「経済格差」に触れている)、いつからか、「保守」政権が際限なく借金して「××無償化」のような聞こえのいい弱者対策をするようになってからはリベラル政党にとっての売りがなくなってしまった。
リベラルの定義についてはすっきりした気はするが、自民党への対立軸としてのリベラルをどうするかという功利的な点でどうしたらいいかという点には答えは出そうもない。
関連過去記事(中島氏、佐伯氏ともに過去記事でも引用している。定番の論客らしい):
「「リベラル」って何だ?」
「「リベラル」こそ保守で,自民党は保守ではない」
「リベラルと保守,立憲と護憲」
「自民党は保守ではない」
「リベラルなのに与党を容認するイマドキの有権者のメンタリティー」