「三単現のS」、何故かこの言葉だけは英語が嫌いだった私もしっかり覚えています。「三人称、単数、現在のS」ということで、heやsheなどの三人称で主語が単数になる現在形の動詞にはSが付くという、おまじないのような決まりごと。
でも、
I think that he goes there.
I suggested that he go there.
何でthinkの場合はhe goesで、suggestedの場合はhe goなんでしょうか?
三単現のSは動詞の複数形
私は、話者を含む会話の中に出てくる登場人物との間で、動詞(動作の状態を表す名詞表現)のイメージが一つしか無い場合には単数形になり、複数のイメージが存在する、または、その可能性がある場合には、複数形、すなわち、三単現のSが付くと考えています。 要するに三単現のSは動詞という名の名詞の複数形です。
I go there.(単数形)
私(一人称)が対話者(二人称)に対して直接話しをしているため、同じgoを共有しているという考え方です。下記図のように、一人称と二人称の間で話されているgo以外に他のgoは存在しない状態です。この関係は、3人称が存在しない場合に成り立つため、youが主語の場合も成立すると考えられます。
私(一人称)が対話者(二人称)に対して彼(三人称)の事を話しているので、一人称と二人称の間のgo以外に、彼が実際に行っているgoが存在する状態です。これは、会話の空間と別のところにgoが存在するイメージで、一人称や二人称が三人称に影響を与えない独立したgo、言い換えれば、少し他人事のようなイメージを持つのではないかと考えます。I think that he goes there.もこのイメージです。
主語が複数形になると、少し意味合いが変わってきます。Theyは三人称ですが、この場合は、彼ら(Theyを構成する人たち)が共通のgoを行っていることを表現しています。三人称複数の場合には、話者のgoと彼らのgoの独立性を表現するよりも、三人称間でのgoが共通かどうかを表現する方が重要なのでしょう。
I think that he goes there.の場合と違い、彼のgoは私が提案したしたために行われるもの、即ち、一人称の意思が三人称のgoに影響しているイメージです。
進行形、完了形については、必ずisやare、hasやhaveと言った助動詞を伴うため、isやhasといった助動詞が動詞の複数形と同様な意味合いを表現し、結果、「動作の状態を表す名詞表現」は複数形になりません。では、過去形はどうでしょうか?
私の考えでは、過去形も「やってる状態からやり終わった状態への変化」の現在時制でありdoを伴っているため、He goes there. と同様に、 He wents there. になるべきでは?という疑問が湧いてきます。では、なぜ過去形に三単現のSが付かないのか?
これは「やってる状態からやり終わった状態への変化」が、有から無への状態変化だからだと考えます。
原形は「やって無い状態からやっている状態への変化」、即ち、無から有への状態変化であり、有の状態を単数や複数で捉えて、確実性や共通性を表現することに意味がありますが、過去形のような有から無への状態変化の場合、「無」、即ち、無いものに対しての確実性や共通性を表現することに意味が無いからだと考えます。
但し、過去形にたった一つ複数形を持つものがあります。それはwasです。
were(was)だけが唯一の複数形表現を持つの過去時制
まず、were(was)の説明に入る前に、何故、be助動詞にはbeという原形が存在しながらam、are、isといった現在時制を表す表現が別に必要なのかを説明する必要があります。
先ず、動作の状態を表す名詞表現でbeを考えてみると、
原形 be 「ある状態で存在していない状態からある状態で存在している状態への変化」
進行形 being 「ある状態で存在している状態の継続」
過去形 無し
完了形 been 「ある状態で存在し終わった状態の継続」
実は、be自体には「ある状態で存在する」という継続的な意味は無く、他の動詞と同じ様に、「存在していない状態から存在している状態への変化」というある一時的な期間を表しているにすぎないということです。これはbeの語源が「become」であり、本来の意味はbecome, grow, come to existなどであると言われていることからも裏付けられます。他の動詞がdoを伴って過去からの継続的な動作を表現する様に、be単体ではそれ自体が継続的な状態を表現するということが出来ないということです。なので、助動詞として継続的な状態を表現する別の表現が現在時制のために必要になります。それがam、are、isです。これらは、be助動詞と呼ばれていますが、beとは全くの別物だと考えています。
areの語源は調べきれていませんがam、isの本来の意味はdw
現在時制と同様で、過去時制についても、他の助動詞を伴わないで、かつ、継続的な状態を表現する必要があり、これも、他の動詞と同じ方法では表現できないためwere、wasが使用されるようになったと考えます。他の動詞が、do助動詞を伴い「やってる状態からやり終わった状態への変化」を遠まわしに「過去にやった」という風に表現しているのとは違い、were、wasはストレートに「ある状態で過去に存在していた」ということを表現しています。
もう、お気づきの人もいるかも知れませんがwere、wasは、他の動詞の過去形(現在時制)と違い、有から無への状態変化ではなく、純粋に過去の状態を表現している本当の過去形(過去時制)なので、複数形にすることが出来るのだと考えています。
You were young. (単数形)
私(一人称)がイメージしているあなた(二人称)の過去の状態が一致しているイメージです。私は、あなたの過去をしっているから「あなたは若かった」と話せるということでしょう。

I was young. (複数形)
私(一人称)がイメージしている私の過去と、対話者(二人称)のイメージしている私の過去が一致していない状態です。過去の話なので、対話者は私の過去を正確にはイメージできないニュアンスを表現していると考えます。
If I were young, (単数形)
若いという仮の私を想像(実際には若くない)して、本当の私と、仮の私とが一致しているイメージです。
ちなみに、ある歌の題名で、She don’t know me. や We was lonely. などという表現がありますが、
She don’t know me. (単数形)
彼女(三人称)が私を知らないというイメージが私(一人称)のイメージと一致している、即ち、確実に(自信を持って)彼女は私のことを知らないということを表現しています。
We was lonely. (複数形)
私達(三人称)はみんな孤独な状態だったが、一人一人の孤独さはそれぞれに違うイメージでは無いでしょうか。
なぜcan, will, shallに三単現のSが付かないのか?
can(可能), will(意思), shall(必然)は、たとえ主語が三人称であろうとも、話者(一人称)の考えを表しているからです。
He can go there. 彼はそこに行くことが可能である(と私は考える)。
He will go there. 彼はそこに行くだろう(と私は考える)。
He shall go there. 彼はそこに行く必然性がある(と私は考える)。




