前回は、動詞が「動作の状態を現す名詞」だという話をしましたが、じゃあ本当の動詞はなんなのか?その答えは、もう皆さんお気付きだと思いますが、そう、amとかisとかcanなどのいわゆる「助動詞」と言われているものです。


can助動詞, will助動詞, shall助動詞は状態の変化の補足説明を伴う動詞

 

I can work hard. 私は激しく働けます -> 働くことが可能であることを示している。        

I will work hard. 私は激しく働こうと思います -> 働く意思があることを示している。

I shall work hard. 私は激しく働く必然性があります -> 働く必然性があることを示している。

 

do助動詞以外にも、can助動詞、will助動詞、shall助動詞は、状態の変化を伴います。これらの助動詞は、それぞれ「(未だやってないが)その動作が可能であること」、「(未だやってないが)その動作への意思があること」、「(未だやってないが)その動作が必然であること」を表しています。要するに、いずれも、現時点では未だその動作は始まっていないことが分かります。「やって無い状態からやってる状態への変化」への可能(can)、意思(will)、必然 (shall)を表現しているため、これら3つの助動詞を伴う名詞表現は原形になるのです。ここで少し考えたいのが、can, will, shallは本当に未来を表しているのか?ということです。確かにその動作は未だやっていない状態ですが、この文を話している私(I)は、今、その動作が可能(can)だと思っているし、今、その動作をする意思(will)があるのであり、今、その動作が必然(shall)だと思っています。そうです。学校の英文法で習うwillは実は現在形なのです!(この辺は、wouldなどと合わせて別途詳しく説明します。)

 

ついでに命令形は、

Work hard. -> 働け!

命令して、働いて無い状態から働いている状態への変化を起こさせるという意味で原形。

 

be助動詞、have助動詞は状態の継続の補足説明を伴う動詞

 

I am going there. 私はそこへ“行っている状態の継続”状態である。 -> 向かっている。

I am gone there. 私はそこへ(やらされて)“行き終わった状態の継続”状態である。 -> 行かされた。

I have gone there. 私はそこへ(自ら)“行き終わった状態の継続”状態である。-> 行ったことがある。

 

amis等の所謂be助動詞は、その直後に来る語句を伴って「そういう状態で存在している」ということを表します。ですので、変化では無く、状態の継続を表す進行形や完了形を伴うことになります。

ここで疑問に思うのが、なぜbe助動詞 + 完了形は受動的な意味合いになって、have助動詞+完了形は能動的な意味になるのか?ということでしょう。この難問については、私は以下のように解釈しています。

 

完了形には純粋に「やり終わった状態の継続」という意味しかありませんが、この状態については、自らやったのか?やらされたのか?つまり、動作の結果に対して、能動的か受動的かを表現する必要が出てくるため、能動的な表現をする時はhaveを付けるようにした。という解釈です。

haveの基本イメージは、直後に来る名詞が意味するものが「必然的に備わっている状態」ですので、「やり終わった状態が必然的に備わっている状態」 -> 「自らやった結果(自らやったので当然そういう結果が備わる)」という意味合いになったと考えられます。それでhaveが伴わない時は消去法で、「能動的ではない = 受動的」という論理だと思います。自らやったのか?やらされたのか?というのは、あくまでも結果に対する原因を表現しているため、動作の最終的な結果である完了形にのみ、このような区別があると考えています。

 

過去形は現在時制から間接的に過去を表現している

 

過去形というのは、非常に厄介なもので、その基本イメージを一番理解し難い形だと思います。一言で言うと「遠まわしな表現」をしているとでも言いましょうか。。。

 

I (do) went there. 私はそこへ行った。

 

私は、過去形もI do went there. が本来の形で、単にdoが省略されている現在時制だと考えています。

wentは、単純に「行っている状態から行き終わった状態への変化」を表しますが、これは裏を返せば、過去に「行って無い状態から行っている状態への変化」が発生していることを意味します(始まりの無い終わりは無い)。だから、wentは間接的に「過去に行った」ということを表しているのです。そして、その状態の変化が、doを伴って過去から継続して行われている。これが、過去形が過去の習慣を表したり、今もそれをやっているかもしれないというニュアンスを出す基本イメージになっていると考えられます。

過去形の否定文や疑問文に過去形が使われないのは、過去形を否定するということは、原形を肯定することになるからです。(「行っている状態から行き終わった状態への変化」を否定できるということは、既に「行って無い状態から行ってる状態への変化」は事前に発生しているということになり、結果的にその動作を実施したことを肯定する。)


I donwent there. (私はそこへ(行ったけど)行き終わっていない。)

didnwent there. (私はそこへ(行ったけど)行き終わっていなかった。)


上記のようにwentという状態変化は、goという状態変化が無いと発生しないため、wentを使った時点でgoを肯定することになります。その動作自体を過去時制で否定するためには、原形を否定する必要があります。

didnt go there. (私はそこへ“行って無い状態から行く状態への状態変化”をしなかった。-> そもそもいっていない。)

 

「どうする(なる)」という述語動詞句の構造

 

述語動詞句(V) (副詞) + 動詞 + [(副詞) + 動詞 + [(副詞) + 動詞・・・]]


「動詞」というものを「動作の状態を現す名詞」という意味でとらえると、述語動詞句(V)の構造は、端的に行ってしまうと、副詞->動詞->副詞->動詞->副詞->動詞と繰り返しているだけになります。

一番最初に現れる動詞は「助動詞」という本当の動詞的な意味をもつ言葉がきますが、「助動詞」も結局のところ「動作の状態を現す名詞」と言えますので、このような定義ができると考えています。

 

述語動詞句の例)

I (do) go to Tokyo.

=> 副詞(省略)+動詞(do+副詞(省略)+動詞(go

I can go to Tokyo.

=> 副詞(省略)+動詞(can+副詞(省略)+動詞(go

I will often go to Tokyo.

=> 副詞(省略)+動詞(will)+副詞(often+動詞(go

I have never been gone to Tokyo.

=> 副詞(省略)+動詞(have+副詞(never+動詞(been+副詞(省略)+動詞(gone

I really would have never been gone to Tokyo.

=> 副詞(really+動詞(would+副詞(省略)+動詞(have+副詞(never+動詞(been+副詞(省略)+動詞(gone

I just cant quickly stop loving you.

=> 副詞(just+動詞(cant+副詞(quickly+動詞(stop

 

この時、注意したいのが、述語動詞句(V)を構成する動詞は副詞によって、必ず前から修飾されるというところです。私の持っている文法書によると、「動詞に対する副詞の位置は、動詞が目的語や補語を伴うときはその後ろにくる。但し動詞の前にくることもある。」という、結局どっちでもいいんかい!と言いたくなるようなことが書いてありますが、副詞が後ろに来ているのは、

I (S) got (V) the ticket (O2) already (C).

のように、alreadyが文の要素である補語として扱われている場合です。以下の場合は、

I (S) already got (V) the ticket (O2).

already gotが動詞(do:省略)+副詞(already+動詞(got)で一つの述語動詞句(V)を構成しています。