一時代の終焉 「中田英寿 現役引退」 | 能役者青木健一のお稽古日記。

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能役者、観世流青木健一(梅若研能会所属)の日々の活動や能に対する想いを記すお稽古日記。

父一郎からの教え、芸大在学時の先生方からの芸談等を更新。

一時代の終焉。そんな言葉がぴったりの出来事だった…。


その日は夜9時からのドラマ「HERO」を何となく見ていた。9時20分過ぎだったろうか。ドラマ放映の途中でニュース速報が入った。


「中田英寿 現役引退」


初めてTVで彼の姿を見たのは98年W杯フランス大会の予選だったと思う。今でも印象に残るのが、この予選の中で本大会行きを勝ち取った試合。岡野が決勝点をゴールに蹴り込む1プレー前、ある選手がゴールポストぎりぎりの所にシュートを放つ。キーパーはかろうじて指先で軌道を変えるが、ボールはゴールポストに弾かれ岡野の前に…。そのシュートを放ったのが若き日の中田英寿だった。


98年W杯の後、イタリアリーグ セリセAのペルージャで活躍。11月29日(俺の誕生日 笑)に決めた鮮烈なオーバーヘットシュート。同じセリエA ローマに移籍後は試合後半から流れを変えるキープレーヤーとして優勝に貢献。飛ぶ鳥を落とす勢いだった。


そして02年W杯日韓共催大会。地元開催のW杯で精神的支柱となり、日本代表はベスト16入り。彼の牽引が無ければ為し得なかった事のように思える。


しかしその後、彼は不遇の選手生活を送る事になる。イタリアリーグを転々とした後、イギリス プレミアリーグへの移籍。今、思えばこの頃から彼は自分に限界を感じていたのかもしれない。


そんな中で迎えた3度目のW杯ドイツ大会。彼自身、この大会が良い節目になると確信していたのか、その発言内容が日に日に厳しくなっていった。「1対1で負けない事」「強い気持ち持つ」と行った事を常に口にしていた。人の2倍3倍この大会にかけていた彼にとって、この大会での結果は満足いくものではないと思う。しかしここで潔い身の引き方は彼の「美意識」に基づくものに違いない。



俺の今まで生きてきた人生の大半の時間、彼を追い続けていた。それだけに彼の現役引退は一時代の終焉の様の感じられる。所詮、いちサポーターではあったが、彼に声援を送り続けたサポーターとして彼に俺も心の底から一言



“ありがとう”