試合を久々に見てきた。
試合前の選手の顔が大好きだ。競技レベルで言うならば高いほうが面白いというのかもしれない。
けども同じ日本人でその選手の背景が分かったりここで勝負だと思っている選手の鬼気迫った感じの顔が好きだ。
言うならばそれを見に行ってるんだと思うし自分が闘う時の気持ちは毎回、ギャンブルしてる気持ちだ。自分の存在価値を賭けるギャンブル。なので殺気が出てると言われるのかもしれない。
僕の気持ちになってしまうんだけども僕の前に立つ選手は敵だ。僕の家族を邪魔する敵。なので存在を消しに行く訳だ。だから対戦相手と試合後に笑顔で抱き合う事が目的ではないし友達になる事もなる事もない。お互いの存在にリスペクトは持ってるけどもそれ以上はないのだ。

試合を見ていて負けた選手を見ると落ち込む。仲間ならば尚更だ。
凄く悲壮感を感じるというか自分が負けた時に感じた基準で思うのだ。
自分の場合は負ける=ゼロでやり直さねばならないし自分の存在を否定された訳だから失望感は凄い。でこれからどうして家族を食わせていこうかと思うし自分の周りに居る人は自分の敗北で離れていくんだろうなと思う。実際はそんな事は無く日々頑張っていく事が大切だと気がつくしそれが応援してくれる人が見たい過程なんじゃないかなとも思う。

でも実際の選手達はそこまで感じてないようにも思う。
またやれば良いやってすぐ言えたり案外、終わった事で解放されて楽しそうにしてたりする。
僕としてはそれって無いんですよ。半分羨ましくもある。自分が感じたあの苦しみは感じないのだから。

そう考えると自分の取り組みって真剣なんだろうと思うし自分の魅力はその部分かなって思う。

でもね。自分がやってる事が凄い事だとも思ってないんですよ。
だって世間様から見たら道楽だと思うし。20代を好きな事やって過ごし30歳を過ぎてもそれをやろうとしてるなんて遊んでる人と言われてもそうですねって話だ。それはそうなんだけど自分の中での意地というかプライドは持ってやっていきたいなって常に思っている。

どこまでいってもそのプライドや意地は世間様から見たら甘いって話になると思うんだけどもそれは自分の中での話というか自分を保つ部分でだ。俺は他の格闘技選手とは違うってのは思ってる。

自分の中でのプライドは持ってるし大切にする。

だから自分は格闘技選手じゃなく青木真也だと思ってる。

職業アオキシンヤ。それは自由業だ。

何が良いたいかというと意地を持っていたいよねって話。
お金稼げなくて練習だけの生活出来ないからお金くださいってネットで言うのは違う。
スポンサーしてくださいって簡単に言うのも違う。
真剣にやってますって簡単に言うのも違う。
違うと思う事は沢山ある。あくまで自分の基準でだからそれでどうこうする事は無いけども。いや舐めてしまうか。

違うと思う事は沢山ある。

でもそれはあくまでも俺基準。
極論、法律に違反してなきゃ良いんでしょう。
でも俺は自分の中での基準を大切にしていきたいし大切にしていくでしょう。

好きな事やってるからこそ意地を持っていきて生きたいなと思います。

気概ってやつですね。

そんな事を思った最近でした。では。