お題にそって、70年代のサザンの話を。1978年から1979年にかけて発売されたサザンのレコード(当然当時はCDなど無い)は、
シングル
勝手にシンドバッド(1978年6月25日発売)
気分しだいで責めないで(1978年11月25日発売)
いとしのエリー(1979年3月25日発売)
思い過ごしも恋のうち(1979年7月25日発売)
C調言葉に御用心(1979年10月25日発売)
アルバム
熱い胸さわぎ(1978年8月25日発売)
10ナンバーズ・からっと(1979年4月5日発売)
実質1年半の間に、シングル5枚、アルバム2枚という今では考えられないハイペースでリリースしていた。この間ツアーを3本(のべ101ヶ所!)、ライブイベント(ジャパンジャム)をこなし、桑田佳祐はラジオのレギュラー(「オールナイト・ニッポン」「桑田だセーラーマン」)を持っていた。日清やきそば「UFO」や三ツ矢サイダーなどのCMにも出演。とにかくむちゃくちゃな背景がそこには存在した。
サザンのデビューのきっかけは、当時ヤマハが主催していた「East West」というコンテストで優秀バンド、桑田が「最優秀ボーカリスト」に選ばれたことによると言われている。コンテストに優勝したってデビューできないバンドはいるのだから、「縁」というものが如何に大切かということを思い知らされるエピソードがサザンにはある。このコンテストを観ていた高垣健(たけし)という人物が(今じゃレコード会社のかなり偉い人になったそうだが)、次の朝起きても「女呼んでブギ」のメロディを覚えてたことから「いけるかな」と思いスカウトすることに。その後紆余曲折もありデビューにこぎつけることになる。
「勝手にシンドバッド」は、最初ミディアム・テンポのラテン・ナンバーだったらしいが、ドラムの松田弘が「ディスコ・ビートでやろう」と提案し、誰もが知っているあの曲になるわけだ。「夜のヒットスタジオ」ではテレビ界初の歌詞がテロップに出されるという快挙(?)を果たし、「ザ・ベストテン」では「目立ちたがり屋の芸人です!」と叫び、当時の扱いは完全に「色物」「一発屋」だった。
「色物」第2弾が「気分しだいで責めないで」であり、完全に「コミックバンド」扱いが板についた頃、汚名返上とばかりに発表されるのが、稀代の名バラード「いとしのエリー」ということになる。この曲は発売前にツアーで披露されていたが、客の反応はイマイチだったというのが、今では考えられない話だ。一番売れたシングル「TSUNAMI」の例を出すまでもなく、「サザンはバラードがいい」というのは、もはや日本人の常識に近いものがあるのだから。「いとしのエリー」が今は妻となった原由子に「浮気してゴメンね」という意味を込められて作られた曲だという話は、かなり有名になっているから省略。結婚披露宴でも「エリー」を「由子」に変えて歌われた。今は亡きレイ・チャールズにカバーされたり、とにかく日本を代表するポップスになった。
「思い過ごしも恋のうち」は再びアップテンポの「おふざけナンバー」になったが、16ビートになるべく多くの日本語の歌詞を乗せるというテクニックを完全に定着させた感じがする。そしてエッチな歌詞にも関わらず、何故か女性に人気がある「C調言葉に御用心」を発表後、サザンはテレビ出演を控え、レコーディングに専念することになる。
ざっと70年代のサザンはこんな感じだが、「マイ・フェイバリット・'70s サザン」は、「いとしのエリー」かもしれない。「色物」からの脱却を果たした記念すべきナンバーであり、最初に聴いた時の反応はやはり当時のファンと同じ「?」だったが、聴けば聴くほど沁みてきやがった。
「ああ、このバンドに解散するまで付き合おう」
そう思わせてくれた名曲だから。
そしてサザンは未だに解散していない。解散どころか、デビュー27年目にして、約7年ぶり14作目というアルバムを携えて、「何でもアリ」のサザンオールスターズがもうすぐやって来る。