「だからヨ、オメェーらみてェな小学4年ガキなんかのガランドウな頭の中にゃ、ありきたりにポッピン・シャワーとか、オレンジソルベとかしか存在して無ぇんダロ?」
「まったく、呆れ返るほどオ子ちゃまだな。」
「うるせぇ!6年ソリストだからって偉そうな口たたくな!」
「なんだよ!まがりなりにもオレら第2メゾソプラノの高貴な先輩がたに対してその横柄な口のききかたは46億10年早ぇーってもんだよ。」「まったく!このウンコ色ぱっつんの4年ガキめが!」
「なんだヨゥ!虎夢くんだって古川くんと僕で、去年の大桟橋コンサートの帰りにポッピングシャワー一緒に食べたじゃん!『中梅、おいしいか?今日は良く歌えたナ。偉かったぞ。もう1個食ってダブルにするか?』って優しく言ってくれてたのに…」
「テメェ、どんだけマジ大昔の話してやがんだよ?」
「おめぇだってガキだったンじゃん!」
「おぃ!12歳で6年生の先輩がたに向かって『おめぇ』呼ばわりの人称代名詞は、いったい中梅、何様なんだよ?」
「中梅煋次朗様ダヨ!やるかぁ!」
「受けてやろうじゃねぇか!5秒でカタ付けてやるからな!泣く準備でもして待ってろ!」
そういえば昨年もゴールデンウィーク明けには練習場で既に「ガリガリ君のトマト・カプレーゼ味は許容範囲内か否か」で第2メゾソプラノの連中は大揉めに揉めていたような気がする。この時節、毎年早々にアイスの話題でバトルとは、地球温暖化も来るところまできたという末期的状況だ。
「ねぇねぇ、2メゾのビューティフル・サンデー/天使のハーモニーの美男美声のお兄さま方、そろそろ『ママごめんなさい』の音取りの方を進めません?アルト・チームはもう暗譜まで行ってんのよ。」
「先生ぃ、そりゃあいつらソロ無いから、身軽なんスよ。なぁ?」
「まぁ、アルトなんて、お経みたいな旋律しか歌わない地味ぃーな声部だからなぁ。声部池袋線…」
「東武東上線!」
「ねぇねぇ知ってる?永遠のライバル西武池袋線と東武東上線って地下鉄13号線経由で相互乗り入れしてるらしいよ。」
「ンなわけねぇじゃん!それ、どこ情報だよ?」
「ネットです。」
「だろうね。」
パート音取り担当の先生は、哀れカワイ・アップライトの鍵盤蓋へ斜めに映った自身の吐息の表情を見ないように努めながら言った。
「ねぇ、キミたちソロ担当のパートなんだから、むしろ2メゾの方が練習リードしててくれなきゃ。違う?相模くん?」
呼名された5年メゾは虚を突かれて飛び上がりざま、持っていた楽譜でパタパタと羽ばたいた。
「何で俺?」
「そりゃ、相模リヒトさまにソロの座を勝ちとってほしいっていう先生さまの魂胆ミエミエのオモワクなんじゃ?」
「ヒュー!ヒュー!」
「先生ぃ、相模パイセンなんかどうでもいいから、6年生の言う『大人のフレーバー』ってのがいったい何なのか、ここいらでハッキリさせやしょうよ!」
「だからヨ、最低ロッキーロードだって言ってんじゃんよ。」
「そうかねぇ?あんな泥だんご色の、ちっぽけなマシュマロと邪魔っけなデカいアーモンド入ったチョコアイスの一体どこが大人なんだか?」
「まぁ、4年生のガキにゃあのワイルド・アメリカなテイストってのは到底理解不能なんだろうなぁ。」
「Rocky Road! Exactly, that’s American way, baby!」
「いや、ロッキーロードもイイんすけど、バスキン・ロビンズの最高傑作って言ったらやっぱダイキュリーでせう?」
「おー!出ました、ダイキュリーアイス♡ 下級生の子どもらにゃ、ちょっと危険な味っつーか…」
「ねぇ、ねぇ、サーティワンじゃなくって、あんたがた少年合唱団のお仕事の音取りをさっさと済ませない?少なくとも31分以内には?」
「先生ぃ、もしかしてダイキュリーのあの禁断のフレーバーをお召し上がりになられたコトが無い??」
「だって、先生が小学生だった頃、ダイキュリー無かったもん。」
「それ、ウソですよね?俺のじいちゃん、中学生の頃に初めてダイキュリー食べて『確かにキューリの味だ』って思ったとか、ギャグ言ってましたよ。」
「先生、まさか、実はかなりのご高齢なのでは?」
先生は激昂するどころか、さらに萎れてキーボードへ突っ伏さんばかりだ。
「そりゃ、いつまでたっても『ママごめんなさい』の音取り1音すら進まないでアイスの話ばっかりしてる男子小学生どもを相手にしてりゃ、ストレスでタップリ歳もとるわよ。」
「あー!それ知ってる。中国の革命バレエでしょ?中国国民党の息がかかった悪辣な悪徳地主にいじめられて一晩で白髪(しらが)になった女っていうほぼ中華ホラー(?)的展開のバレエ!」
「それってタイトルがエロエロげな『红色娘子军』だっけ?」
「バーカ!白髪ってんだからそりゃ『白毛女』だろ?」
「♪ 風が吹ぅくぅー
雪も降ぅるぅー
風が吹ぅくぅー
日毎に」
「♪ 日毎に~」
「♪ 子供は走るー
家の表(おもて)~
強く我らをーおお 呼ぶよぉー
子どもは待っている
父さん帰ってくるのを
早く来い来い お正月
チャラらラララララぁ ゴーン!」
いやはや、美国冰果的話題から、鬼子日本軍殲滅に奔走する少年八路軍の活躍話までラジオ中国語講座主題歌ものけぞる飛躍ぶりだ。超有名な『北风吹』まで歌いまくるカオスな少年たちは最終的に銅鑼の音まで歌ってサービスしてくれる。
「紅小兵の良い子のみなさま、ここは革命バレエ置いといてよ。帰りまでに音取り・暗譜・暗唱まで行ったら、先生方からアイスのご褒美が出るかもよ?」
「出たな!賄賂で純真な少年たちの心を釣ろうとする悪辣資本家的反革命分子め!」
「だめだこりゃ。即時トイレ休憩にしよう。」
先生のありがたきご提案はすでに諦観の様相を呈している。
「先生。トイレ休憩にして、その間に俺らのサーティワンの話の決着をつけさせようっていう考えはミルキー・ウエーかハーシーのチョコバーのごとく極甘、かつ、浅はかサカスっすよ。」
「違うわい!先生はこれから事務室で自分の哀れ過ぎる少年合唱団指導者人生を呪って、髪の毛が真っ白になるまでタップリ泣いてくるのよ!」
子供たちの声の収録のため、鮮やかな蛍光ライトグリーンに満たされたスタジオへ、丁寧なリフレインでたたまれたカラオケの前奏部分が陽水初期の明快な音斗を保ってやんわりと流れ始めた。21世紀も25年を過ぎる今、録画合成に実はグリーンバックもクロマキーも絶対必要条件とは言えず、AI任せのミックスは今や携帯ですら簡単にできる。
「オレ、グリーンのスタジオの録画って、なヵ,嫌だ。」
「う”ー、なヵ、気持ち悪くなんねぇ?」
「僕もニガテ。」
嫌がる彼らがどうしてこの一面淡緑色のスタジオにこもって録音しているのかは、お金を出している制作サイドの「手間」と完全な大人の事情による。
歌唱への駄賃として合唱団には大枚が支払われ「汝ら、かつてのビクター少年合唱隊であり続けよ」の神託が下っていたからである。オイゲン・ベルトルート・ブレヒトの劇にありそうな筋書きで、一面マラカイトの原石に包まれたかのような明るい緑の光の中に彼らがおかれているのは、21世紀の歌う少年たちがはたしてVBCの隊員として刹那ふるまうことは可能なのか、彼らはどこまでビクター少年合唱隊に近づくことができ、歌いきれるのか、の難しさを動画記録するという破天荒でどこがおもしろいのかもよく分からない実験企画が与えられたからなのである。
両者を介在するのはAIという名の編集者。主たる仕事は背景の描画と少年たちの1975年当時の普段着衣装の創出だ。
「おーい!鈴木尚央、おまえ今、誰のパンツ履いてるんだ?尚央?第一メゾソプラノのプリンス、鈴木尚央!いったいどこにいる?」
「うぃ、ココにいます。」
大声で白い下着を振り回す総指揮者のほんの目前30センチの場所で、名指しされた1メゾのプリンスはチョコババロア色のほっそりとした腕を旗竿のごとく掲げて応じた。
「なんだ、こんなトコロにいたのか!そろいもそろって全員が同じ白Tに白いおパンツ姿に裸足だもんだから、全然見分けがつかない。尚央くん、きみ、いったい誰のパンツ履いてんだ?」
「誰の…って、僕のです。」
男の子は地黒のうえに水羊羹生地よろしくタップリ日焼けした顔の真ん中で澄んだ青みがかった白目をぱちくりさせながら答えた。
「『僕のです』って、先生が持ってるこのパンツの名まえを読んでみろ!まさか、ここにいるのは鈴木尚央のドッペルゲンガーじゃないだろうな?ドッペルゲンガーも負けず劣らず真っ黒で男前みたいだが、…名前を読んでみろ!」
毛むくじゃらの先生の腕の先にゆらゆらとぶるさがっている白い布切れのちょうど腰骨のヘリが当たる部分に記された見覚えのある黒マッキーの文字(彼は母の書いてくれる自分の名前の文字を見ると安堵する)を凝視して、吃驚した。
「おまえの履いてるパンツはいったいどいつンだ?一人に2枚も支給してやった覚えは無いゾ!ドイツんだ?」
「ネーデルランドだぁー!」
2メゾの一番後列のあたりから子供らの汗ばんだあまたの頭髪を乗り越え、変声直前の誰か(おそらく古川ことら?)がギャグの声をあげ、皆は腹をかかえて笑った。すかさず彼の背後から敏捷なソプラノっぽい少年の手が一本のび、鈴木のパンツの腰部を引っ張り下げた。地黒だがさすがに日焼けていないクロームイエローの臀部のふくらみの下で、下着に記された名前ペンの記名をいたずらっ子はすかさず声に出して読んだ。
「佐久平レキ!…のじゃん!」
「あいつの着替え、超スーパー遅いからなぁ。」
少年たちは再びわッと笑った。
「どうせ5-6年生には同じサイズが配られてんだ。尚央すけ、これ持ってってゴメンって謝って、レキ坊にこのパンツ履いてもらえ。おおかた、いまごろ履くものが無くって青くなってるだろう。フルチンで来ちゃう前に、とっとと行ってこい。まったく!」
「佐久ちゃん先輩のフルチンなんか見たら、ファンのおばちゃんたち、キゼツしちゃいますよぉ。」
「そうか、中梅くん、キミも早くファンを気絶させるぐらいにお歌がお上手になって頂きたいものだな。」
「ゲーッ。なんだよぅ。」「人はそれをヤブヘビ…と呼ぶ。ま、中梅サマなんかにゃファンなんてタデ喰う蟲のモノズキはいないだろうがな…」
少年たち全員の周知の事実だが、実際のところ中梅煋二朗にはパッツン茶髪やバニラアイスを思わせる白くて冷たい肌や愛らしい歌声と演技に心弾ませる熱心なファンはたくさんいた。この少年合唱団に団員のガイケンや芸風は必須要素なのである。
とにもかくにも全少年時代をかけて歌い上げようとする夏休みの無かった少年たち=ビクター少年合唱隊と、海千山千で首都圏の少年合唱団のたいがいの団史を「耳年増」的に知る今の少年たち。歌い続ければやがて名称や経営母体としてのビクター少年合唱隊は消滅する。そのあらかたの寂しいまでの顛末を知っていてなお、かつての少年らの歌声を21世紀の今、AIの力を借りて再現してみようとする鈴木尚央や中梅煋二朗たち「今日(きょうび)の天使のハーモニー」たち。『トゥーラン…』のピンポンパンよろしくいい加減な3人の神々は、セツアンの国と地上から善人探しを断念し姿をくらます。
「先生ぃ、これって、俺ら、ひもふんどしじゃイケないんですか?」
アルトの団員らが密集したグループの左端で、トナミカツノリは不満げに大人っぽいボーイソプラノの地声を挙げた。
「AIが大昔の小学生の服を俺らに貼り付けて動画にするんなら、べつにふんどし一丁でもかまわねえでやすよね?」
アルトについていた指導者は「またこの話か」とあきれて白目をむいた。すかさず3年アルトが、
「服を貼り付けるって、アラビック・ヤマトとかPITみたいの塗るの?え“-、なヵ気持ち悪ぃー。背中お腹にフエキ糊とか、僕,ヤダですぅ。」
とゴネた。下級生の知識レベルではAIが少年たちの動く図像に昭和後期の子供服のイメージ素材をかぶせてゆく工程は感覚として分かりにくいのかもしれない。5-6年生は、それを単なるギャグだと解して聞き流した。
「クライアントさんから白いパンツ履いてくださいって現物支給されてんだから、履きなさいよ。お家のかたへのお知らせで『全員支給(無料配布)』って書かれてるのよ。」
「いや、だってめっちゃ暑いんですよ、ココ。俺らいっつもふんどしだから、おパンツなんか履けねぇっすよ。なぁ、アオケン?」
となりにひっついていた5年アルトは、突然の指名でぴょこりとうなづいた。
「それって、あんたがたの通ってる学校の水着なんでしょ?」
「低学年用のナ。」
古川ことらがあちらの集団から揶揄じみた声をかけた。
「そんな特別待遇はできませんよ。他の子は暑くてもグリーンバックの中でガンバってるのよ。あまったれるんじゃない!それに、エンジニアサイドが、作業効率を考えてこのカッコにしてるんだから…」
「ちぇ!俺ら結局AIに都合が良いように繰られてんスから、人類の少年合唱団ももう長くはないんじゃないでしょーかね?」
「はいはい、そろそろ観念してアーティフィシャル・インテリジェンスさまに白旗でもあげるのね、日本一のボーイアルトさま」
こんな下着のようないでたちだが、体力勝負で歌う小学生男子たちにとっては十分暑いのだ。
「すみません、スタジオスタッフさんかマネジメントのかた、空調、ちょっと寒いぐらいまで下げてもらえませんか?設定ロケ地は昭和時代の嬬恋村とか軽井沢とか浅間高原の当時まだ十分冷涼だった避暑地なんですよね?」
「わかりました。えーっと、それじゃ…先生方、最初に『夢の中へ』ハンドクラップの音声収録します。部分のカラオケ流しますから…クラップお願いします。」
コントロールルームのコンソールでトークバックボタンが押され、流れていたカラオケのインターミッションが減衰しエンジニアの声がスタジオスピーカーから溢れた。
「子供らの立ち位置はこのまんまで良いんですか?児童4部合唱の隊列に戻すことは可能ですが。」
総指揮者は調整室の防音窓の方ではなく、ソプラノ・パートリーダーの深谷寒太郎の方へ目線を送りながら問うた。実際にフォーメーションチェンジの号令を発するのは小6のこの少年だったからである。
「先生。後撮りの画面とシンクロさせるのは全部AIなんで、そっちの方で音像の位置づくりは自動でやってくれるんですよ。21世紀です。ソプラノ・メゾ・アルトがだいたい固まってさえいてくれればそれでいいんです。」
「わかりましたー。」
第1メゾソプラノの隊列の奥で瓶田聖斗が「ちぇ!俺ら1メゾも2メゾもいっしょくたにメゾなのかよ!」と不満げに漏らし、その声がスタジオのリバーブをともなってコンソール側にも届いた。当時、VBCのスタジオ録音はアラが聞こえにくいよう声部を中央に寄せてミックスダウンしていたらしいとスタジオスタッフは聞かされている。それが真実だとすると、たとえ4部の合唱であっても「メゾ高声」パート、「メゾ低声」パートの区別は判別しにくいということになる。歌い慣れている団員たちは、スタジオに突如流されたインターミッションのカラオケに反応して、何の指図もタクトも送られないままに、コンテンポラリーな手拍子を打ち始めた。要は音像の定位の問題だけで、単なるユニゾンのハンドクラッピングというレベルの手拍子なのだが、指導の声も飛ばぬまま、リズムに乗り、精悍なスナップを効かせて、スタイリッシュな拍手さばきを聞かせている。このリズム感は、周囲にバックビートの音楽のあふれる21世紀四半世紀のローティーンの少年たちならではのものだろう。
「先生ぃ、これってキーボードパーカッションとかのハンドクラップじゃダメなんですか?」
エレクトーン演奏グレード11級の井之上ハルカが尋ねた。
「オレの妹が学校で使ってるちびっちゃいカシオトーンのドラム音色でさえハンドクラップってあるんですが…」
そうつぶやくのは葛木アキヨシだろう。
「こんな手拍子、MIDI音源のハンドクラップでいいですよね?カンタンでしょう?トラックライン3つ組んでパン回しゃあ、コントロールチェンジなんか0.05秒で終わるってもんを、なんでオレらがわざわざ手をたたくんですかね?」
古川ことらは学校の自由研究で毎週DAWの打ち込みをやっている。現在挑戦中なのは黛敏郎の記念碑的名曲『素数の比系列による正弦波の音楽』の追試だそうだ。いやはや日本の電子音楽(笑)も、小学生が学校のピンク色のiMacで簡単に作って指2本で瞬時にセーブして情報科の先生に提出してしまえるようなレベルにまで達したということなのだろう。
「先生、すいません。ちょっとご説明したいのですが…」
トークバックのノイズがスタジオに返り、プロデューサーの声が聞こえた。総指導者は頷きながら「どうぞ」と簡単に応えた。
「団員さん。みなさんの歌というか手拍子のトラックには、別に打ち込み…電子楽器の『手拍子』の音がかぶるようになってます。皆さんのナマの手拍子のフォローと増幅のためですが、使わないかもしれません。皆さんの出来を聞いて決めます。ちょっと流してみますから聞いてみてください。」
少年たちが口々に訴えた電子的な手拍子の音が力強くカッコよくスタジオに響く。
子供らは小声で「これでイイじゃん」などと口走って、一緒に手拍子をしている3-4年生も何人か居たが、コントロールルームから即座に先ほどの声が「では、ビクター少年合唱隊が録音した拍手の音を、伴奏トラックを絞ってお聞かせします。感想を聞かせてください。」と響き、ガラス窓の中ではその人がコンソールの助手さんに何か指示を伝えている様子が見えた。
間奏の音がうっすらとかぶった2小節目の辺りから、前世紀、1975年夏休みのビクター少年合唱隊の隊員たちが叩く手拍子の音が鮮やかにスタジオへ送られてきた。
「ぇ……!」
彼らは感想らしきものを誰も口にしなかった。人のために歌を歌い、幸せと元気と勇気を客席へ届けるために日々精進している彼らは、プロデューサーの男の言わんとしていることを僅か10秒間のプレーバックを聴いただけで理解した。
見事なアタックの充溢した強力な手拍子では無かった。それどころかかつての隊員たちの子供然とした小さな両手を撃ち合わせる音は、真剣だったが明らかに脆弱で愛らしく、何よりも身長150センチそこそこのヒトの男の子が作る肢体の音でしか無かった。調整卓からの反応も最低限で簡潔だった。
「…わかりましたね。皆さんのすばらしい子供らしい手拍子がどうしても必要なんです。」
ハンドクラップの録音の後、少年たちには早々におやつ休憩の指示がおりた。きわめて異例の下命で、団員のメンタルを周知している指導者の撮影初日ならではの判断である。
ドンホイのベトコン拠点にMk84無誘導爆弾の雨をばかすかと投げ落とすアメリカ軍のB-52戦略爆撃機よろしく、少年たちには売られている限りの様々な種類のパピコがバラバラとばらまかれた。種類の交換について何も物言いの悶着が無かったのは、彼らが「パート(声部)」という厳しいタテ社会でしっかりと統率されていたからである。年下の者から好きなモノを選ばせ、揉めた場合はじゃんけんで決め、それでも確執がある場合は年少者・経験の少ない者の順で分かち、さらに解決できなければ優秀な年長者・経験者が自分の持ち分を下級生にわけた。彼らは一番人気のありそうな種類のオヤツを必ず毎回物故団員に陰膳していたので、一番欲の張った聞かん坊の下級生には、ソプラノのパートリーダーが最敬礼で真顔にこうべを垂れ、暫く目を瞑って黙祷し、亡くなった団員の捧げ物からそっと掴んだおやつを交換してやる。するとわがままでゴウツクバリだった下級生も突然神妙な顔つきになり、静かに「ありがとう」と言って受け取り、もう2度とこんな身勝手な真似はするまいと自制するようになったり、急に「ボクはこれは要らない。こっちのでよかった。」と辞退したりするのだった。少年たちは自らも幼い時そういう修羅場をくぐりぬけてきていたし、合唱という児童芸能の交流の場でたくさんの地方の同世代の男の子たちと交わっていたので、誰も揶揄したり鼻で笑ったり睥睨したりすることはなかった。彼らは地方の小学校の、口数は極端に少ないが弱い者をしっかりと守り、女子を軽蔑もせず、伝統や家族を黙って守って伸びる活発な少年たちの姿を見ながらその生きざまを学んでいたので、歌の片鱗でそれに勘づく心の目をもった客席の鑑賞者たちから特段愛され「この子達の歌を聞いて気分が晴れた」と幸楽の家路を分かちあっているのだった。
「鈴木ナオって『レッドビッキーズ』の3番シゲやってた子だよね?」
「うーん。それ多分ガセネタ!おめぇジュクが大好きだからなんでも BL関連でてめぇのトコロに話もって来んな!イイカゲンにしろよ!」
♪青空に 浮かぶ白い 雲
打ち上げた ボールが キラリと舞って
あの子の瞳に見えました 輝く瞳に 見えました
突然こんな大時代な歌を何故にそろって歌い出すのだろう?
21世紀の今、昭和のテレビジョンドラマは大画面で簡易に見られる会員制のコンテンツに収斂されつつある。こんな少年合唱団の昭和ふう制服をまとった男子らが、70年代後半からバブル超前夜のテレ朝の30分少年野球実写ドラマのキャラクターに馴染んでいるのは、彼らが毎日、東映系の見放題”大昔の男の子向けテレビ番組”を暇つぶしに観ているからだ。『ビューティフル・サンデー/天使のハーモニー3』のリメイクをグリーンバックのスタジオで歌い繋ぐ前から、彼らの日常には既に昭和晩期の様々な歌や物語が横溢しているのかもしれなかった。
♪走って 受けて 転がって
汗の匂いと草のつゆ
今にきっとと手を握り
風の歌声ききましたぁ~!!
「はいはい、令和レッドビッキーズの良い子の皆様、ここ、21世紀の収録スタジオです。勝手に好きな歌を歌わないでください。AI編集者さまが早く動画処理させろってお待ちかねなんですよ!」
♪ほら もうすぐここに
やがて春 それは青春
やがて 青春ン~♡
きゃぁー!わぁわぁ!ドンドンドンドンパチパチパチパチ! パフーパフー 「エキシャー!」「ジュクかっこいい~」「ミルクタソハァハァ(*´Д`)」
「だめだこりゃ。あんたがた、今週いったい何曲録画・録音しなきゃなんないの?はい斉藤なっちゃん?」
「7曲?プラス1?」
「できるの? 皆さんできますか?ビクター少年合唱隊は1975年の夏に一週間で28曲、このレコードをスタジオで録音したのよ!」
「レコードって?先生ぃ、レコードって何?」
「昔のCDよ。黒くて30センチぐらいの大きさで溝がたくさん付いてるビニールのお盆みたいの。」
「レーザー・ディスクは何者だ? ♪ オラこんな村イヤだぁ~」
「先生ぃ、お言葉ですが、ヴァイナルのLPもSPもEPも4チャンネルのSQも、溝って全部たった1本なんですよ。たくさん無いんです。1周ごとにいちいち針を落とすの不便だから。」
「大森くん、ごめん。しょうがないじゃん、先生が生まれた時、もうLPレコード無かったから。」
「はぁ…これだから平成生まれはしちめんどくさい。」
「悪かったわね!平成生まれで。…って、あんたがたもギリ平成生まれでしょ!?(怒)」
50年近く前の日本に大量生産型?の水風船(ウォーター・バルーン・ボム)は存在したのだろうか?
縁日の柄入りヨーヨー風船は大昔からあったものだろうが、1975年に小ぶりの薄い風船へふさ状に数十個イッキ注水してバケツへ落としたものを投げ合う『水風戦』的な遊びが既に行われていたのかはネット上、あまり記録が残っていないらしかった。100個単位の水入りの風船を大人数で投げあって、水もゴムも割り捨てて楽しむ大量消費型・環境資源破壊タイプの遊びだ。こんな文字通りバブリーで金を投棄するようなことを万事意に介さずあっけらかんとした世紀末的な遊びは、いかにもバブル時代の産物という感じがする。
スタジオ内のバケツにはこうして1000個を凌駕しようという数のバトル用水風船が用意されていた。
防水仕様の録画設備が存在することは理解できるが、生活防水の録画スタジオというところでこれまで歌ったことも歌わせたこともない合唱団の指導者たちは、はたしてどの程度まで激しい水風船バトルが許容されるのか、マネジメントスタッフを含めて誰もわからなかった。
「カメラにはぶつけないでね。」
マイクロフォンやマイクブーム等録音機器はそそくさと撤収され、コードやワイヤーのアタッチメント部分など、濡れてはまずいアイテム類にカバーがかけられた。
少年たちがアドレナリン放射のままバケツごと投げたりしないよう、全てのバケツには後から水が足され、持ち上げられないよう加重された。
指揮者たちもカウントダウンの段階でエリアから退出し、キュー出しに備えた。
抹茶色に沈んだリノリウム床。少年たちの薄冷たい裸足の足裏がふれて発つ3メチルブタンの微香がそこはかとなく感じられ、彼らの体温もまた互いの人肌の気配を可視光線のように放っている。スタートの態勢を特に指示されていない彼ら。各パートリーダーと副リーダーが卑近のバケツの前に1列で団員を並ばせ、中から各自両手に1個ずつ水爆弾を握らせてから「カメラにぶつけないで」と指示を再確認しただけだった。息を殺しているはずの男の子らは、それでも水着のような格好をさせられたからか、しゃっくりをしたりおくびを吐いたりして気配だけは殺しきれていない。それぞれの身体も視線も好き勝手な方を向いていたが、合唱の訓練を受けているからか、開始の指示が出る防水スピーカーのたてる音に耳をすましている。遮蔽板の向こう側ではアシスタントさんが背後の人々に何かを問い、何かをオペレーションするとスタジオに「スタート!」の指示が流れ、少年たちは撃たれたように両手のものを大袈裟な身振りで投げつけはじめた。VBCの『われは海の子』の4番の部分(文部省唱歌のオリジナルでは6番)がエンドレスBGMで流れている。
♪波にただよう氷山も
来たらば来たれ恐れんや
海まき上ぐるたつまきも
起らば起れ驚かじ
われは海の子だー!
「笑ってますね。」
「もっとおっかない顔して投げるんだと思ってた。」
指揮者たちは団員たちの表情を一見して、意外だという反応だった。
デスクから身を乗り出し、見守る側の誰も配られたペットボトルのお茶に口をつけないばかりか、キャップをひねった者すらいない。
「あいつら、水鉄砲対戦のときは別人みたいにおっかない顔して本気で攻めてたのに…」
「予科生との親睦行事のときですよね?」
「チーム分けしてないからかな?」
ガラスの向こうの少年たちはますますバカ笑いで、悲鳴より嬌声の方が優っている様子。
「あんなに楽しそうに笑ってる。」
体を大の字にして故意に標的となり、たくさんの水礫を投げつけてほしいと言わんばかりの釜谷作之進。
中梅煋次朗と松田リクはそれぞれシャツのお腹と背中に力士コスプレのように水風船を詰め込み、勢いをつけて抱き合い自爆を楽しんでいる。
途中入団の下都賀レイはソプラノの団員たちから総攻撃を受け、反撃不能な集中砲水下でキャーキャーはしゃいでいるのが口の動きでよくわかる。腕を振り上げて風船を投げつけているパートの仲間たちも結構な大笑いだ。
「下都賀くん、本当にすぐこの合唱団に溶け込みましたね。お兄ちゃんたちにあんなに相手してもらって…」
大抵の少年がまさにやりたい放題で力任せ。実際の動画のバックに使われるのはスタジオへ流れている4番の歌詞の部分で、およそ10秒間とちょっとの尺。彼らは日々の憂さを晴らすが如く水風船を徹底して割りまくった。20世紀中後期の日本人小学生と比べやや長めの髪がすぐにへたって風呂上がりの様相になり、パンツインさせたはずのシャツは重そうに裾をぶら下げ水を垂らしている。本来、「ものを投げる」様子の画は『遥かな友に』の2番あたりに合宿枕投げのシーンを挿入するという企画で始まった。だが、飛び交う枕の様子を合宿所のほの暗い灯の中でどの程度再現できるかが不安だったのと、そもそも少年たちの「敷いた布団の上で枕を投げ合ったりぶつけられたりする演技」がCGの枕のあるつもりで可能なのか…という問題があがって保留になりかけた際の代替案として水風戦バトルは考えられた。
水風船はついにいくつもスタジオのブース窓にぶつかってはじけ、小さい子たちは疲れはじめてへたりこんでいる。
「そろそろストップかけましょうか?」
防滴ハンドメガホンを掬い上げ、4本の指をピストルグリップにかけようとしたディレクターを先生方が制した。
「いや、弾切れになるまでやらせましょう。ダメって言っても止めない連中だから。気が済むんじゃないデスか?」
水風船バトルの終了。スタジオ撤収でおおわらわのスタッフをよそに、コスチューム全とっかえの団員たち。
各自持参のプールバッグwwをトスされるなか、最後、6年メゾの集中放水を浴びてさすがに左耳の穴へ水が入ったらしい中梅煋次朗が、左足を濡れそぼった床にカラカサお化けのごとくトントンぴちゃぴちゃつきながらつぶやいた。
「VBCって、ひとりひとりの声が確実に聞こえてない?なんていう名前の子なのか全然わかんないけど、一人一人の声が良く聞き分けられた…」
「どアホ!俺たちゃ合唱やってんだよ。歌ってるときに他のメンバーの声が聞き分けられてなかったら声量の調節できねぇだろ?」
「まったく4年ガキってのはどうしようもねぇクソだな。」
「だって、アラが見えないように中央へミキシングしてんでしょ?だったら、団員の声が聞き分けられるってのはアラがみえてるってコトにならない?」
「チュウ坊が少年合唱団員だから聞き分けられんだって言ってんだろ?ばーか!」
「そうかなぁ?」
「中梅くん、少年合唱団ではお着替えの最中に私語は厳禁デスよ。静かに着替えなさい。」
彼はびしゃびしゃの白Tシャツを適当に絞って振り回し、近くの3年メゾから腕を翳して避けられた後、昭和晩期の体操着ズボンのような白いボクサーパンツを尻から剥がしてその場でまた絞ろうとした。
「ねぇ、中梅くん、お衣装はバケツに絞って!スタッフさん、床のお水とってんのよ。まったく…事前にキツく言っとけばよかった…」
「ねぇ、先生ぃ?ビクター少年合唱隊って、なんで一人一人の団員の声がハッキリ聞こえてんでしょう?」
「さぁ?きっと先生方がそれでイイと思ってらしたんじゃないの?団…じゃない、「隊」の方針で。…ねぇ、バケツの縁の上で絞るのは、”バケツに絞った”って言わないヨ。片付けてる人のコトを考えなさいヨ!」
「そうかぁ。一人一人の団員の声がハッキリ聞こえるようにしてんのかァ。」
「中梅クンっ!先生の言ってるコト、聞こえていますか?耳の中にお水が入ってるんじゃないの?」
「はぁ、いや、まあ、こっちの耳だけは聞こえてます。お気遣いありがとうございます。¡Muchas gracias mi amiga!」
ワンポイントの防水スピーカーから流れていた『われは海の子』は、彼の右耳介へモノラルに到達していたのだった。
「それでは……『花と小父さん』のテイク3のSです。」
アシスタントエンジニアの声が若干のルームエコーをともなってスタジオに流れた。
「すみません、テイク3のDの方を流していただけますか?」
彼の背後から総指揮者先生の訂正依頼の声がかぶるように聞こえてきた。
「はい、わかりました……」
トークバックの声は途切れ、調整卓ではプレー指定位置の変更の手続きが行われているようだった。
少年たちはこんな待機はもはや慣れっこのはずだが、それでも一人一人の息を飲む気配が、分厚いガラス窓を通じて聴こえてきそうな気がする。
「お待たせしました。『花と小父さん』のテイク3のDの方をかけますので。」
団員たちが予想していたビープ音やマーキングノイズの一つもなく、小洒落たクラリネットの揺れる長めの前奏が、ビブラフォンのコードを引き連れフッとスタジオのスピーカーから流れてきた。
「じゃ、プレーバック静かに聴きましょう。」
「梅ちゃん、一緒にダブルトラック歌うなよ。」
「加賀協太朗、うるさい。しゃべるな!」
「はい。」
少年たちがそのやりとりに笑い声をたてる間もなく、少年合唱のボーイソプラノがステレオで静かに流れてきた。
テイク3で早くもプレーバックがあるのは、彼らの歌の出来が非常に良く、きわめて安定していたからである。
♪小さい花に くちづけをしたら
小さい声で 僕に言ったよ
小父さんあなたは 優しい人ね
私を摘んで お家につれてって
私はあなたの お部屋の中で
一生懸命咲いて 慰めてあげるわ
どうせ短い 私の命
小父さん見てて 終るまで
「うん、良いんじゃないでしょうか?このテイクをもらいましょう。みんな、イイよね?」
彼らはいわゆる「Liberaっぽい」隊形を組んで、同時録音というシロウト見、ちょっとイージーなプロセスで収録をすすめている。レコーディング順番はもちろん映画やテレビドラマと同じようにリリース順では決して無いため、翌日にパンチインの撮り直しがあったり、最初の曲が収録3日目に行われたりと割本の内容は少年たちの予想を大きく凌駕していた。
「先生ぃ。VBCってなんでこんな曲歌ってるんでしょうか?最初の曲に。」
丘村虎夢が歌の出来とは無関係そうな質問を挟んできたため、5-6年の団員たちはやや鬱陶しそうな相貌だ。
「虎夢くんあのね、CDでも4枚組っていうのがあるの知ってるでしょ。クラッシックのベスト盤とかワーグナーのバカみたいに長い楽劇とか…」
「先生ぃ、ワシらはヒトラーやナチスやSSが大好きなワーグナーなんかは聴かんのです。」
「ホロコーストで悪かったわね。ともかく、それと同じように、『ビューティフル・サンデー/天使のハーモニー3』は2枚組4面のレコードで、『花と小父さん』はその4面の最初の曲なの。決してアルバムの最初の曲ではアリマセン。」
「先生ぃ、ワシらレコーディングの前にあらかじめネットでどんな曲なのかは調べてきてるんですヨ。」
「偉いのね。で、どんな曲なの?4面の最初の曲にふさわしく無い…と?」
「伊東ナントカって女の人が歌ってるんですよ。しかもカバーのほとんども女の人。リリースもビクターじゃない、CBSで…」
「摘まれて枯れちゃって、どうせ短い女の命…って?こんな曲が冒頭で委員会(イインカイ)って?」
「先生、なヵ感情込もっちゃってマスね。」
♪しミしミソーミー ソミソシーソ シソシレーれー ソレソシぃ~
偽ベルカントっぽくソプラノの誰かが向こうのほうで『ワルキューレの騎行』を歌っている。
「ともかく先生方は、なんでこの曲が4面の最初かということはワカリマセン。」
「いや、VBCにとっては4面かもしんないスけど、俺らにとってはこの曲がアタマなんですよ。」
♪ドッラドミーーシドラドミーーシドラドファーシ…
言い下がる丘村の発言を遮るようにスタジオスピーカーからコンソール側の先生の声が聞こえた。
「いや、そのコトなんだけれど、…おい!ワーグナー歌ってるヤツ!うるさいです。やめろ。…で、そのコトなんだけれど、こないだパイロットで撮った『ビューティフル・サンデー』をアルバムの最初の曲にしようかというところで、先生方の話はまとまってきている。アルバムリリースタイトルも『ビューティフル・サンデー/天使のハーモニー』なわけだから。オカムラくんのいうのも御モットモなことだよね。じゃ、続きの収録に行きましょう。」
少年たちにとっては初耳のプランだったので、彼らはキツネにつままれたような顔をしていたが、疲弊し始めていたのか何か言う団員はいないようにみえた。
「あの、先生ぃ?」
メゾソプラノの誰かが、静かになったスタジオに可愛らしい声色で何かを問おうと声を上げただけだった。
「先生ぃ?丘村先輩が考えているのは、なぜ『花と小父さん』が4番のレコードの最初の曲なんだろう…ってコトだと思うんです。バラバラの順番で録って、何か理由があったからそうなったハズだって先輩は思ってる…ん、で、すよね?先輩?」
中梅煋次朗だった。ビクター少年合唱隊がこのアルバムを録音したとき、隊の保護者組織である『親睦会』は会紙『天使のハーモニー』を創刊した。録音時の簡単な次第はその文面に読める。同業者の半世紀前の部内紙すら、なんとか裏のスジを駆使して入手してしまえる「蛇の道は蛇」的な日本の少年合唱業界。だが、アルバムの選曲の順番については親睦会紙にも記録が残っていない。先生方が「そんなことは知らない」とはっきり言い切るのはそのためだろう。
「丘村くん。丘村くん。…何か理由があったにせよ、それは21世紀の私たちが動画の同録で再現すべきことなのかな?百歩譲って、それはAIの編集が対応できるレベルのものなのかしら?どう思う?先生はそいう話じゃないかと思うよ。」
3-4年団員の誰かの小さなくしゃみがスタジオに響いた。子供たちは皆、口をつぐんだままだった。
オリジナルのジャケット表示は『海のマーチ』。アメリカの『コロンビア・大洋の宝(海の宝石・コロンビア)』だ。
『われは海の子』『海のマーチ』『アロハオエ』と3曲続いて幕を降ろす海洋テーマの連続は、次のアルバム『カントリーロード/天使のハーモニー4』と『HEIDENRÖSLEIN野ばら/天使のハーモニー5』双方の4面(カントリー…では3面後半以降エンディングまで)で展開されるコンセプト・アルバムへの指向を先取りしたものだ。『ゆかいな行進』『大脱走のマーチ』『聖者の行進』『海のマーチ』と本アルバムでは行進曲とタイトルされるものが4曲も揃っている。ビクター少年合唱隊にとって”マーチ”は小学生の男の子らしさをアピールできるコダワリのレパートリー分野だったのだろう。VBCにとっての”マーチ”の意味を事前に教え込まれていた団員らは、『集団行動』パフォーマンス的な稠密な隊列を作ってテンポ125bpmの調子を守り、剥き出しの両の太ももをきっちり地面と平行になるくらいまで上げてグリーンバックの中を進んでいた。
「腕は棒。前への振りはそれでいいけど、後ろは真っ直ぐのまま痛くなる直前まで後ろに振ってる??トナミくん、なんでそんなに上手いの?カッコいい。」
「いや、学校で毎朝たんまり仕込まれてるんで。」
「オラはダメなの?先生ぃ?」
「ハルカくん99点かな?気持ちもうちょっと腕を後ろに引けない?」
「コ…こうですか?」
「うん。99.999!がんばれ!」
「ハルカ、先生に騙されてるよ。頑張っても次は99+限りなく1に近い0.999999だよ。」
「うるせぇ!」
「1メゾうるさい!だまって行進する!」
「だってコレ、歌の部分は別撮りなんですよね?」
ステージ上への整列のピリッと整った様や姿勢や目線の雄邁を客席に見せてナンボの少年合唱団である。そうではないドロドロさやアバウトさ、ぐだぐだ男子小学生あるある的姿を男の子らしさとして見せて「かわいいぃー♡」と人気の少年合唱団も国内にあることはあるのだが、この合唱団ではビクター少年合唱隊と同じ、精悍さをウリにするイメージ戦略を狙っていた。揃っていてやかましくはないが、合成材の床にパチパチとあきらかな足裏ノイズがたっていた。
「別撮りなんですよね?」という団員の異存で気付いたように、スタジオ内にはVBCの歌う『海のマーチ』が、跫音に配慮したのか、かなり音量を上げて流れ始めた。
「おー!さすがHis master's boys. 天使のハーモニー!ビクター少年合唱隊!」
「先生ぃ、これ、本番ですか?」
「ココはソユーズ宇宙船か?! 動画で口元はハッキリ映るんだから、『2001年宇宙の旅』のポンコツAIみたいにあんたがたハイビジョン4kで読唇されてんのよ。全員揃うまで黙って行進リハーサルしなさい!いち、に!いち、に!」
「先生、僕たちの合唱の楽譜って、これ、どの先生が編曲してるんですか?」
「中梅くん、先生方には敬語を使ってください。」
いち、に!いち、に!
「合唱団のお返事はなんですか?言い直し!」
「はいッ!では、どちらの先生が編曲なさっていらっしゃるんですか?」
「いち、に!いち、に!…中梅くん、これ、先生方じゃなくってAIが採譜してるんですよ。でも、もともとの楽譜を編曲なさったのは北村協一っておっしゃるVBCの一番偉い先生。」
「先生がこないだ『キョーちゃん』って言ってた人?当時合唱やってた大人なら誰でも知ってた…っていう。」
「いち、に!いち、に!50年も大昔だから、こういう日本語の少年合唱用の四部の楽譜っていうのは無かったらしいの。だから、少年合唱隊の隊員の声をよく知っていらした北村先生が編曲なさったんだとおもうよ。」
「キョーちゃんが?」
「中梅くんが一向に黙らないので、あと1分は行進続けます。」
「え”ー、なんでぇ??」
「中梅、オメェ、黙れ!」
「中梅くん、合唱で一番大切なことは、…声をそろえること。だから声が合うと書いて”合唱”と読む。違いますか?今の君は声を揃えるどころか、黙って足踏みすることもできていないよ。」
「そうなんです!揃ってない。一人一人の歌が聞こえるんです。」
「歌じゃなくって、キミのおしゃべりのことを言ってるんですよ。」
「いや、僕の言ってるのはビクター少年合唱隊の歌のことです。」
「はいダメだ!全隊止まれ!これじゃ練習にならない…」
中梅煋次朗はグリーンの空気を背後へスモークジェネレータのように吐き流しながら、足踏みを駆け足に変えて指揮者らの前へやってきた。
「キョーちゃんの編曲って、一人一人の声がハッキリ聞こえるように作ってあるんです。『花と小父さん』が4面最初の曲なのは、それが一番うまくいっていたから。」
「中梅くん、それは失敗なんじゃないかな?」
「いや。キョーちゃんはVBCの一人一人の声がちゃんとわかっていて、それがうまくキレイにハッキリ聞こえるように編曲をしたんです。」
「中梅、ウッセーよ。だからどうなんだよ!」
「中山先輩。先輩の声は、合唱してる最中も僕にはよく聞こえる。でも、後ろに立っている中山先輩の体の暖かさとか、息のにおいとかも、一緒にすごーく感じる。」
「中山アンビ、おめえ、ニンニク臭いからな…」
「うるせぇ!古川ことら!」
「キョーちゃん先生は、それがイヤってほどよくわかっていて、きちんとレコードに残るように合唱編曲してるんです。ココをこうすればアンビ先輩の息の匂いがする…とか、このパートをショーアップしたら古川先輩の声が確実に録音へ残る…とか。だから、決してバラバラじゃない。ただ、一人一人の声が一番良く聞こえるように工夫してある。わざと、…そして苦労して。全員とかパートの声をあえて揃えようとはしていないんです。」
こっそりと日本の他の少年合唱団の演奏会の客席に紛れ込んで勉強しているタイプの団員たちにはすぐに合点がいった。合唱のさまざまをそろえ、ピュアライズし、統一され、整った歌を歌おうとだけしている少年合唱団のステージに「声が前へ出ていない」「何を歌っているのかわからない」「眠気をさそう」そして「男の子らしい面白さが全く聞こえてこない」「日本語の発音が不明瞭」という評価が下されがちであることも知っていた。
「僕たちの今回のミッションは、AIの力を借りて、そんなビクター少年合唱隊の”合唱”を可視化するコトなんじゃないかと思いマス。」
4年メゾはそこまで一気呵成に言いきって、白ボクサーから突き出た太ももを両手でパチンパチンと叩いた。
「中梅くん、わかりました。とりあえず、行進の部分の動画のホンバンを撮りましょう。ビクター少年合唱隊のレコードに合わせて。」
「中梅、おめぇ、なんであんなこと考えついたんだよ?」
『アロハオエ』の本番は6テイク目の準備に入っていた。吊り上げられたカメラがヤシの木陰や砂浜やハワイアンカヌーのアウトリガーや浮き輪に仰臥した(…という設定になっている)上半身裸の少年たちを捉える。
「『われは海の子』の水風船バトルのとき。スタジオにVBCの歌が流れてて、アラが見えないように中央へミキシングしてるんだって聞いてたのに、ひとりひとりの声や日本語がとっても良く聞こえてきてた…。コレって、”アラが見えないように”じゃなかったとしたら、なんのためのミックスなのかな…って。丘村先輩、何だと思いますか?」
「俺に聞くなよ!おめぇは何だと思ってんだよ。」
敷かれているグリーンの体育マットは今はひんやりして裸の背中に気持ちがいい。
「一人一人の声がきちんと録れるように編曲してあって、結局それを優先させたら犠牲になるモノって何だろう?…って思って。」
「パートの声だろ?3部とか4部なんだから、パートどうしのバランスは保証できない。」
「僕もそう思った。パート間のボリュームのバランスを取るにはボリュームを絞るしかない。でも、そうすると…」
「一人一人の声が弱められて小さくなるパートがどうしても出てくる。」
「だから、真ん中にミックスしたんです。…たぶん。そうすれば、一人一人の歌をきちんと聞かせながら、ボリュームのアンバランスを聞かせずに済むから。」
「へぇー。」
テイク6が回る。調整卓がキューを告げてきた。
「はい、そこの2メゾのウルサい連中!もうそろそろオールアップに漕ぎ着けない?静かにして待つ!」
「先生ぃ、オレら、マジに気持ちを作ってるんですよ。ワイハの浜辺で太陽サンサンでエンジョイして、美味しいグアバ・ジュース飲んで…。」
「ねぇ、古川くん、仙寿院のお墓の横にあるビクタースタジオで一週間カンヅメになってこの曲を録音したビクター少年合唱隊員に、ハワイの浜辺のイメージをエンジョイする余裕があったと思う?」
「…いや、多分、これが日本の少年合唱団の最高峰の2枚組LPになって、21世紀の少年合唱団の良い子のボクたちの背中をあと押ししたり、それ以降50年間に長きにわたって歌への勇気や元気や愛情を置いてってくれたり…」
「はいはい、わかった、わかった。ともかく、はやく撮り終えてAIの編集に回しましょうヨ。太陽サンサンでエンジョイして、美味しいグアバ・ジュース飲みながら聞いて楽しんで幸せな気持ちになるのはあなた方じゃなくって、これを見て聞いてくれるこれから少年合唱を目指そうと決意する少年たちなんじゃないの?」
♪思い出は懐かしい
はるかの夢の国
漣に月映る
夜の海は静か
アロハオエ アロハオエ
別れた友の姿を
アロハオエ アロハオエ
今も想うよ
アロハオエ アロハオエ
手を振る友の姿は
アロハオエ アロハオエ
今も浮かぶよ
ハワイアン楽器ふうに風情を醸しだすストリングスのアウトロが、これでもかとばかりスチールギターのベンドを効かせて、浮き輪やカヌーに寝そべる真っ黒く日焼けた手を振る少年たちの姿をドローン撮影のように眼下の透明感あふれるエメラルドグリーンの水面と共に遠ざかり、空へ登るかのごとく消えていった。


