美しい暦      -2ページ目

 美しい暦     

   Calendario bonito           

 

「だからヨ、オメェーらみてェな小学4年ガキなんかのガランドウな頭の中にゃ、ありきたりにポッピン・シャワーとか、オレンジソルベとかしか存在して無ぇんダロ?」

「まったく、呆れ返るほどオ子ちゃまだな。」

「うるせぇ!6年ソリストだからって偉そうな口たたくな!」

「なんだよ!まがりなりにもオレら第2メゾソプラノの高貴な先輩がたに対してその横柄な口のききかたは46億10年早ぇーってもんだよ。」「まったく!このウンコ色ぱっつんの4年ガキめが!」

「なんだヨゥ!虎夢くんだって古川くんと僕で、去年の大桟橋コンサートの帰りにポッピングシャワー一緒に食べたじゃん!『中梅、おいしいか?今日は良く歌えたナ。偉かったぞ。もう1個食ってダブルにするか?』って優しく言ってくれてたのに…」

「テメェ、どんだけマジ大昔の話してやがんだよ?」

「おめぇだってガキだったンじゃん!」

「おぃ!12歳で6年生の先輩がたに向かって『おめぇ』呼ばわりの人称代名詞は、いったい中梅、何様なんだよ?」

「中梅煋次朗様ダヨ!やるかぁ!」

「受けてやろうじゃねぇか!5秒でカタ付けてやるからな!泣く準備でもして待ってろ!」

そういえば昨年もゴールデンウィーク明けには練習場で既に「ガリガリ君のトマト・カプレーゼ味は許容範囲内か否か」で第2メゾソプラノの連中は大揉めに揉めていたような気がする。この時節、毎年早々にアイスの話題でバトルとは、地球温暖化も来るところまできたという末期的状況だ。

「ねぇねぇ、2メゾのビューティフル・サンデー/天使のハーモニーの美男美声のお兄さま方、そろそろ『ママごめんなさい』の音取りの方を進めません?アルト・チームはもう暗譜まで行ってんのよ。」

「先生ぃ、そりゃあいつらソロ無いから、身軽なんスよ。なぁ?」

「まぁ、アルトなんて、お経みたいな旋律しか歌わない地味ぃーな声部だからなぁ。声部池袋線…」

「東武東上線!」

「ねぇねぇ知ってる?永遠のライバル西武池袋線と東武東上線って地下鉄13号線経由で相互乗り入れしてるらしいよ。」

「ンなわけねぇじゃん!それ、どこ情報だよ?」

「ネットです。」

「だろうね。」

パート音取り担当の先生は、哀れカワイ・アップライトの鍵盤蓋へ斜めに映った自身の吐息の表情を見ないように努めながら言った。

「ねぇ、キミたちソロ担当のパートなんだから、むしろ2メゾの方が練習リードしててくれなきゃ。違う?相模くん?」

呼名された5年メゾは虚を突かれて飛び上がりざま、持っていた楽譜でパタパタと羽ばたいた。

「何で俺?」

「そりゃ、相模リヒトさまにソロの座を勝ちとってほしいっていう先生さまの魂胆ミエミエのオモワクなんじゃ?」

「ヒュー!ヒュー!」

「先生ぃ、相模パイセンなんかどうでもいいから、6年生の言う『大人のフレーバー』ってのがいったい何なのか、ここいらでハッキリさせやしょうよ!」

「だからヨ、最低ロッキーロードだって言ってんじゃんよ。」

「そうかねぇ?あんな泥だんご色の、ちっぽけなマシュマロと邪魔っけなデカいアーモンド入ったチョコアイスの一体どこが大人なんだか?」

「まぁ、4年生のガキにゃあのワイルド・アメリカなテイストってのは到底理解不能なんだろうなぁ。」

「Rocky Road! Exactly, that’s American way, baby!」

「いや、ロッキーロードもイイんすけど、バスキン・ロビンズの最高傑作って言ったらやっぱダイキュリーでせう?」

「おー!出ました、ダイキュリーアイス♡ 下級生の子どもらにゃ、ちょっと危険な味っつーか…」

「ねぇ、ねぇ、サーティワンじゃなくって、あんたがた少年合唱団のお仕事の音取りをさっさと済ませない?少なくとも31分以内には?」

「先生ぃ、もしかしてダイキュリーのあの禁断のフレーバーをお召し上がりになられたコトが無い??」

「だって、先生が小学生だった頃、ダイキュリー無かったもん。」

「それ、ウソですよね?俺のじいちゃん、中学生の頃に初めてダイキュリー食べて『確かにキューリの味だ』って思ったとか、ギャグ言ってましたよ。」

「先生、まさか、実はかなりのご高齢なのでは?」

先生は激昂するどころか、さらに萎れてキーボードへ突っ伏さんばかりだ。

「そりゃ、いつまでたっても『ママごめんなさい』の音取り1音すら進まないでアイスの話ばっかりしてる男子小学生どもを相手にしてりゃ、ストレスでタップリ歳もとるわよ。」

「あー!それ知ってる。中国の革命バレエでしょ?中国国民党の息がかかった悪辣な悪徳地主にいじめられて一晩で白髪(しらが)になった女っていうほぼ中華ホラー(?)的展開のバレエ!」

「それってタイトルがエロエロげな『红色娘子军』だっけ?」

「バーカ!白髪ってんだからそりゃ『白毛女』だろ?」

「♪ 風が吹ぅくぅー

   雪も降ぅるぅー

   風が吹ぅくぅー

   日毎に」

「♪ 日毎に~」

「♪ 子供は走るー

   家の表(おもて)~

   強く我らをーおお 呼ぶよぉー

    子どもは待っている

     父さん帰ってくるのを

   早く来い来い お正月

   チャラらラララララぁ ゴーン!」

いやはや、美国冰果的話題から、鬼子日本軍殲滅に奔走する少年八路軍の活躍話までラジオ中国語講座主題歌ものけぞる飛躍ぶりだ。超有名な『北风吹』まで歌いまくるカオスな少年たちは最終的に銅鑼の音まで歌ってサービスしてくれる。

「紅小兵の良い子のみなさま、ここは革命バレエ置いといてよ。帰りまでに音取り・暗譜・暗唱まで行ったら、先生方からアイスのご褒美が出るかもよ?」

「出たな!賄賂で純真な少年たちの心を釣ろうとする悪辣資本家的反革命分子め!」

「だめだこりゃ。即時トイレ休憩にしよう。」

先生のありがたきご提案はすでに諦観の様相を呈している。

「先生。トイレ休憩にして、その間に俺らのサーティワンの話の決着をつけさせようっていう考えはミルキー・ウエーかハーシーのチョコバーのごとく極甘、かつ、浅はかサカスっすよ。」

「違うわい!先生はこれから事務室で自分の哀れ過ぎる少年合唱団指導者人生を呪って、髪の毛が真っ白になるまでタップリ泣いてくるのよ!」

 

 

 

子供たちの声の収録のため、鮮やかな蛍光ライトグリーンに満たされたスタジオへ、丁寧なリフレインでたたまれたカラオケの前奏部分が陽水初期の明快な音斗を保ってやんわりと流れ始めた。21世紀も25年を過ぎる今、録画合成に実はグリーンバックもクロマキーも絶対必要条件とは言えず、AI任せのミックスは今や携帯ですら簡単にできる。

「オレ、グリーンのスタジオの録画って、なヵ,嫌だ。」

「う”ー、なヵ、気持ち悪くなんねぇ?」

「僕もニガテ。」

嫌がる彼らがどうしてこの一面淡緑色のスタジオにこもって録音しているのかは、お金を出している制作サイドの「手間」と完全な大人の事情による。

歌唱への駄賃として合唱団には大枚が支払われ「汝ら、かつてのビクター少年合唱隊であり続けよ」の神託が下っていたからである。オイゲン・ベルトルート・ブレヒトの劇にありそうな筋書きで、一面マラカイトの原石に包まれたかのような明るい緑の光の中に彼らがおかれているのは、21世紀の歌う少年たちがはたしてVBCの隊員として刹那ふるまうことは可能なのか、彼らはどこまでビクター少年合唱隊に近づくことができ、歌いきれるのか、の難しさを動画記録するという破天荒でどこがおもしろいのかもよく分からない実験企画が与えられたからなのである。

両者を介在するのはAIという名の編集者。主たる仕事は背景の描画と少年たちの1975年当時の普段着衣装の創出だ。

「おーい!鈴木尚央、おまえ今、誰のパンツ履いてるんだ?尚央?第一メゾソプラノのプリンス、鈴木尚央!いったいどこにいる?」

「うぃ、ココにいます。」

大声で白い下着を振り回す総指揮者のほんの目前30センチの場所で、名指しされた1メゾのプリンスはチョコババロア色のほっそりとした腕を旗竿のごとく掲げて応じた。

「なんだ、こんなトコロにいたのか!そろいもそろって全員が同じ白Tに白いおパンツ姿に裸足だもんだから、全然見分けがつかない。尚央くん、きみ、いったい誰のパンツ履いてんだ?」

「誰の…って、僕のです。」

男の子は地黒のうえに水羊羹生地よろしくタップリ日焼けした顔の真ん中で澄んだ青みがかった白目をぱちくりさせながら答えた。

「『僕のです』って、先生が持ってるこのパンツの名まえを読んでみろ!まさか、ここにいるのは鈴木尚央のドッペルゲンガーじゃないだろうな?ドッペルゲンガーも負けず劣らず真っ黒で男前みたいだが、…名前を読んでみろ!」

毛むくじゃらの先生の腕の先にゆらゆらとぶるさがっている白い布切れのちょうど腰骨のヘリが当たる部分に記された見覚えのある黒マッキーの文字(彼は母の書いてくれる自分の名前の文字を見ると安堵する)を凝視して、吃驚した。

「おまえの履いてるパンツはいったいどいつンだ?一人に2枚も支給してやった覚えは無いゾ!ドイツんだ?」

「ネーデルランドだぁー!」

2メゾの一番後列のあたりから子供らの汗ばんだあまたの頭髪を乗り越え、変声直前の誰か(おそらく古川ことら?)がギャグの声をあげ、皆は腹をかかえて笑った。すかさず彼の背後から敏捷なソプラノっぽい少年の手が一本のび、鈴木のパンツの腰部を引っ張り下げた。地黒だがさすがに日焼けていないクロームイエローの臀部のふくらみの下で、下着に記された名前ペンの記名をいたずらっ子はすかさず声に出して読んだ。

「佐久平レキ!…のじゃん!」

「あいつの着替え、超スーパー遅いからなぁ。」

少年たちは再びわッと笑った。

「どうせ5-6年生には同じサイズが配られてんだ。尚央すけ、これ持ってってゴメンって謝って、レキ坊にこのパンツ履いてもらえ。おおかた、いまごろ履くものが無くって青くなってるだろう。フルチンで来ちゃう前に、とっとと行ってこい。まったく!」

「佐久ちゃん先輩のフルチンなんか見たら、ファンのおばちゃんたち、キゼツしちゃいますよぉ。」

「そうか、中梅くん、キミも早くファンを気絶させるぐらいにお歌がお上手になって頂きたいものだな。」

「ゲーッ。なんだよぅ。」「人はそれをヤブヘビ…と呼ぶ。ま、中梅サマなんかにゃファンなんてタデ喰う蟲のモノズキはいないだろうがな…」

少年たち全員の周知の事実だが、実際のところ中梅煋二朗にはパッツン茶髪やバニラアイスを思わせる白くて冷たい肌や愛らしい歌声と演技に心弾ませる熱心なファンはたくさんいた。この少年合唱団に団員のガイケンや芸風は必須要素なのである。

とにもかくにも全少年時代をかけて歌い上げようとする夏休みの無かった少年たち=ビクター少年合唱隊と、海千山千で首都圏の少年合唱団のたいがいの団史を「耳年増」的に知る今の少年たち。歌い続ければやがて名称や経営母体としてのビクター少年合唱隊は消滅する。そのあらかたの寂しいまでの顛末を知っていてなお、かつての少年らの歌声を21世紀の今、AIの力を借りて再現してみようとする鈴木尚央や中梅煋二朗たち「今日(きょうび)の天使のハーモニー」たち。『トゥーラン…』のピンポンパンよろしくいい加減な3人の神々は、セツアンの国と地上から善人探しを断念し姿をくらます。

「先生ぃ、これって、俺ら、ひもふんどしじゃイケないんですか?」

アルトの団員らが密集したグループの左端で、トナミカツノリは不満げに大人っぽいボーイソプラノの地声を挙げた。

「AIが大昔の小学生の服を俺らに貼り付けて動画にするんなら、べつにふんどし一丁でもかまわねえでやすよね?」

アルトについていた指導者は「またこの話か」とあきれて白目をむいた。すかさず3年アルトが、

「服を貼り付けるって、アラビック・ヤマトとかPITみたいの塗るの?え“-、なヵ気持ち悪ぃー。背中お腹にフエキ糊とか、僕,ヤダですぅ。」

とゴネた。下級生の知識レベルではAIが少年たちの動く図像に昭和後期の子供服のイメージ素材をかぶせてゆく工程は感覚として分かりにくいのかもしれない。5-6年生は、それを単なるギャグだと解して聞き流した。

「クライアントさんから白いパンツ履いてくださいって現物支給されてんだから、履きなさいよ。お家のかたへのお知らせで『全員支給(無料配布)』って書かれてるのよ。」

「いや、だってめっちゃ暑いんですよ、ココ。俺らいっつもふんどしだから、おパンツなんか履けねぇっすよ。なぁ、アオケン?」

となりにひっついていた5年アルトは、突然の指名でぴょこりとうなづいた。

「それって、あんたがたの通ってる学校の水着なんでしょ?」

「低学年用のナ。」

古川ことらがあちらの集団から揶揄じみた声をかけた。

「そんな特別待遇はできませんよ。他の子は暑くてもグリーンバックの中でガンバってるのよ。あまったれるんじゃない!それに、エンジニアサイドが、作業効率を考えてこのカッコにしてるんだから…」

「ちぇ!俺ら結局AIに都合が良いように繰られてんスから、人類の少年合唱団ももう長くはないんじゃないでしょーかね?」

「はいはい、そろそろ観念してアーティフィシャル・インテリジェンスさまに白旗でもあげるのね、日本一のボーイアルトさま」

こんな下着のようないでたちだが、体力勝負で歌う小学生男子たちにとっては十分暑いのだ。

「すみません、スタジオスタッフさんかマネジメントのかた、空調、ちょっと寒いぐらいまで下げてもらえませんか?設定ロケ地は昭和時代の嬬恋村とか軽井沢とか浅間高原の当時まだ十分冷涼だった避暑地なんですよね?」

「わかりました。えーっと、それじゃ…先生方、最初に『夢の中へ』ハンドクラップの音声収録します。部分のカラオケ流しますから…クラップお願いします。」

コントロールルームのコンソールでトークバックボタンが押され、流れていたカラオケのインターミッションが減衰しエンジニアの声がスタジオスピーカーから溢れた。

「子供らの立ち位置はこのまんまで良いんですか?児童4部合唱の隊列に戻すことは可能ですが。」

総指揮者は調整室の防音窓の方ではなく、ソプラノ・パートリーダーの深谷寒太郎の方へ目線を送りながら問うた。実際にフォーメーションチェンジの号令を発するのは小6のこの少年だったからである。

「先生。後撮りの画面とシンクロさせるのは全部AIなんで、そっちの方で音像の位置づくりは自動でやってくれるんですよ。21世紀です。ソプラノ・メゾ・アルトがだいたい固まってさえいてくれればそれでいいんです。」

「わかりましたー。」

第1メゾソプラノの隊列の奥で瓶田聖斗が「ちぇ!俺ら1メゾも2メゾもいっしょくたにメゾなのかよ!」と不満げに漏らし、その声がスタジオのリバーブをともなってコンソール側にも届いた。当時、VBCのスタジオ録音はアラが聞こえにくいよう声部を中央に寄せてミックスダウンしていたらしいとスタジオスタッフは聞かされている。それが真実だとすると、たとえ4部の合唱であっても「メゾ高声」パート、「メゾ低声」パートの区別は判別しにくいということになる。歌い慣れている団員たちは、スタジオに突如流されたインターミッションのカラオケに反応して、何の指図もタクトも送られないままに、コンテンポラリーな手拍子を打ち始めた。要は音像の定位の問題だけで、単なるユニゾンのハンドクラッピングというレベルの手拍子なのだが、指導の声も飛ばぬまま、リズムに乗り、精悍なスナップを効かせて、スタイリッシュな拍手さばきを聞かせている。このリズム感は、周囲にバックビートの音楽のあふれる21世紀四半世紀のローティーンの少年たちならではのものだろう。

「先生ぃ、これってキーボードパーカッションとかのハンドクラップじゃダメなんですか?」

エレクトーン演奏グレード11級の井之上ハルカが尋ねた。

「オレの妹が学校で使ってるちびっちゃいカシオトーンのドラム音色でさえハンドクラップってあるんですが…」

そうつぶやくのは葛木アキヨシだろう。

「こんな手拍子、MIDI音源のハンドクラップでいいですよね?カンタンでしょう?トラックライン3つ組んでパン回しゃあ、コントロールチェンジなんか0.05秒で終わるってもんを、なんでオレらがわざわざ手をたたくんですかね?」

古川ことらは学校の自由研究で毎週DAWの打ち込みをやっている。現在挑戦中なのは黛敏郎の記念碑的名曲『素数の比系列による正弦波の音楽』の追試だそうだ。いやはや日本の電子音楽(笑)も、小学生が学校のピンク色のiMacで簡単に作って指2本で瞬時にセーブして情報科の先生に提出してしまえるようなレベルにまで達したということなのだろう。

「先生、すいません。ちょっとご説明したいのですが…」

トークバックのノイズがスタジオに返り、プロデューサーの声が聞こえた。総指導者は頷きながら「どうぞ」と簡単に応えた。

「団員さん。みなさんの歌というか手拍子のトラックには、別に打ち込み…電子楽器の『手拍子』の音がかぶるようになってます。皆さんのナマの手拍子のフォローと増幅のためですが、使わないかもしれません。皆さんの出来を聞いて決めます。ちょっと流してみますから聞いてみてください。」

少年たちが口々に訴えた電子的な手拍子の音が力強くカッコよくスタジオに響く。

子供らは小声で「これでイイじゃん」などと口走って、一緒に手拍子をしている3-4年生も何人か居たが、コントロールルームから即座に先ほどの声が「では、ビクター少年合唱隊が録音した拍手の音を、伴奏トラックを絞ってお聞かせします。感想を聞かせてください。」と響き、ガラス窓の中ではその人がコンソールの助手さんに何か指示を伝えている様子が見えた。

間奏の音がうっすらとかぶった2小節目の辺りから、前世紀、1975年夏休みのビクター少年合唱隊の隊員たちが叩く手拍子の音が鮮やかにスタジオへ送られてきた。

「ぇ……!」

彼らは感想らしきものを誰も口にしなかった。人のために歌を歌い、幸せと元気と勇気を客席へ届けるために日々精進している彼らは、プロデューサーの男の言わんとしていることを僅か10秒間のプレーバックを聴いただけで理解した。

見事なアタックの充溢した強力な手拍子では無かった。それどころかかつての隊員たちの子供然とした小さな両手を撃ち合わせる音は、真剣だったが明らかに脆弱で愛らしく、何よりも身長150センチそこそこのヒトの男の子が作る肢体の音でしか無かった。調整卓からの反応も最低限で簡潔だった。

「…わかりましたね。皆さんのすばらしい子供らしい手拍子がどうしても必要なんです。」

 

 

ハンドクラップの録音の後、少年たちには早々におやつ休憩の指示がおりた。きわめて異例の下命で、団員のメンタルを周知している指導者の撮影初日ならではの判断である。

ドンホイのベトコン拠点にMk84無誘導爆弾の雨をばかすかと投げ落とすアメリカ軍のB-52戦略爆撃機よろしく、少年たちには売られている限りの様々な種類のパピコがバラバラとばらまかれた。種類の交換について何も物言いの悶着が無かったのは、彼らが「パート(声部)」という厳しいタテ社会でしっかりと統率されていたからである。年下の者から好きなモノを選ばせ、揉めた場合はじゃんけんで決め、それでも確執がある場合は年少者・経験の少ない者の順で分かち、さらに解決できなければ優秀な年長者・経験者が自分の持ち分を下級生にわけた。彼らは一番人気のありそうな種類のオヤツを必ず毎回物故団員に陰膳していたので、一番欲の張った聞かん坊の下級生には、ソプラノのパートリーダーが最敬礼で真顔にこうべを垂れ、暫く目を瞑って黙祷し、亡くなった団員の捧げ物からそっと掴んだおやつを交換してやる。するとわがままでゴウツクバリだった下級生も突然神妙な顔つきになり、静かに「ありがとう」と言って受け取り、もう2度とこんな身勝手な真似はするまいと自制するようになったり、急に「ボクはこれは要らない。こっちのでよかった。」と辞退したりするのだった。少年たちは自らも幼い時そういう修羅場をくぐりぬけてきていたし、合唱という児童芸能の交流の場でたくさんの地方の同世代の男の子たちと交わっていたので、誰も揶揄したり鼻で笑ったり睥睨したりすることはなかった。彼らは地方の小学校の、口数は極端に少ないが弱い者をしっかりと守り、女子を軽蔑もせず、伝統や家族を黙って守って伸びる活発な少年たちの姿を見ながらその生きざまを学んでいたので、歌の片鱗でそれに勘づく心の目をもった客席の鑑賞者たちから特段愛され「この子達の歌を聞いて気分が晴れた」と幸楽の家路を分かちあっているのだった。

 

 

「鈴木ナオって『レッドビッキーズ』の3番シゲやってた子だよね?」

「うーん。それ多分ガセネタ!おめぇジュクが大好きだからなんでも BL関連でてめぇのトコロに話もって来んな!イイカゲンにしろよ!」

 

♪青空に 浮かぶ白い 雲

 打ち上げた ボールが キラリと舞って

 あの子の瞳に見えました 輝く瞳に 見えました

 

突然こんな大時代な歌を何故にそろって歌い出すのだろう?

21世紀の今、昭和のテレビジョンドラマは大画面で簡易に見られる会員制のコンテンツに収斂されつつある。こんな少年合唱団の昭和ふう制服をまとった男子らが、70年代後半からバブル超前夜のテレ朝の30分少年野球実写ドラマのキャラクターに馴染んでいるのは、彼らが毎日、東映系の見放題”大昔の男の子向けテレビ番組”を暇つぶしに観ているからだ。『ビューティフル・サンデー/天使のハーモニー3』のリメイクをグリーンバックのスタジオで歌い繋ぐ前から、彼らの日常には既に昭和晩期の様々な歌や物語が横溢しているのかもしれなかった。

 

♪走って 受けて 転がって

 汗の匂いと草のつゆ

 今にきっとと手を握り

 風の歌声ききましたぁ~!!

 

「はいはい、令和レッドビッキーズの良い子の皆様、ここ、21世紀の収録スタジオです。勝手に好きな歌を歌わないでください。AI編集者さまが早く動画処理させろってお待ちかねなんですよ!」

 

♪ほら もうすぐここに 

 やがて春 それは青春

 やがて 青春ン~♡

 

きゃぁー!わぁわぁ!ドンドンドンドンパチパチパチパチ! パフーパフー 「エキシャー!」「ジュクかっこいい~」「ミルクタソハァハァ(*´Д`)」

「だめだこりゃ。あんたがた、今週いったい何曲録画・録音しなきゃなんないの?はい斉藤なっちゃん?」

「7曲?プラス1?」

「できるの? 皆さんできますか?ビクター少年合唱隊は1975年の夏に一週間で28曲、このレコードをスタジオで録音したのよ!」

「レコードって?先生ぃ、レコードって何?」

「昔のCDよ。黒くて30センチぐらいの大きさで溝がたくさん付いてるビニールのお盆みたいの。」

「レーザー・ディスクは何者だ? ♪ オラこんな村イヤだぁ~」

「先生ぃ、お言葉ですが、ヴァイナルのLPもSPもEPも4チャンネルのSQも、溝って全部たった1本なんですよ。たくさん無いんです。1周ごとにいちいち針を落とすの不便だから。」

「大森くん、ごめん。しょうがないじゃん、先生が生まれた時、もうLPレコード無かったから。」

「はぁ…これだから平成生まれはしちめんどくさい。」

「悪かったわね!平成生まれで。…って、あんたがたもギリ平成生まれでしょ!?(怒)」

 

 

50年近く前の日本に大量生産型?の水風船(ウォーター・バルーン・ボム)は存在したのだろうか?

縁日の柄入りヨーヨー風船は大昔からあったものだろうが、1975年に小ぶりの薄い風船へふさ状に数十個イッキ注水してバケツへ落としたものを投げ合う『水風戦』的な遊びが既に行われていたのかはネット上、あまり記録が残っていないらしかった。100個単位の水入りの風船を大人数で投げあって、水もゴムも割り捨てて楽しむ大量消費型・環境資源破壊タイプの遊びだ。こんな文字通りバブリーで金を投棄するようなことを万事意に介さずあっけらかんとした世紀末的な遊びは、いかにもバブル時代の産物という感じがする。

スタジオ内のバケツにはこうして1000個を凌駕しようという数のバトル用水風船が用意されていた。

防水仕様の録画設備が存在することは理解できるが、生活防水の録画スタジオというところでこれまで歌ったことも歌わせたこともない合唱団の指導者たちは、はたしてどの程度まで激しい水風船バトルが許容されるのか、マネジメントスタッフを含めて誰もわからなかった。

「カメラにはぶつけないでね。」

マイクロフォンやマイクブーム等録音機器はそそくさと撤収され、コードやワイヤーのアタッチメント部分など、濡れてはまずいアイテム類にカバーがかけられた。

少年たちがアドレナリン放射のままバケツごと投げたりしないよう、全てのバケツには後から水が足され、持ち上げられないよう加重された。

指揮者たちもカウントダウンの段階でエリアから退出し、キュー出しに備えた。

抹茶色に沈んだリノリウム床。少年たちの薄冷たい裸足の足裏がふれて発つ3メチルブタンの微香がそこはかとなく感じられ、彼らの体温もまた互いの人肌の気配を可視光線のように放っている。スタートの態勢を特に指示されていない彼ら。各パートリーダーと副リーダーが卑近のバケツの前に1列で団員を並ばせ、中から各自両手に1個ずつ水爆弾を握らせてから「カメラにぶつけないで」と指示を再確認しただけだった。息を殺しているはずの男の子らは、それでも水着のような格好をさせられたからか、しゃっくりをしたりおくびを吐いたりして気配だけは殺しきれていない。それぞれの身体も視線も好き勝手な方を向いていたが、合唱の訓練を受けているからか、開始の指示が出る防水スピーカーのたてる音に耳をすましている。遮蔽板の向こう側ではアシスタントさんが背後の人々に何かを問い、何かをオペレーションするとスタジオに「スタート!」の指示が流れ、少年たちは撃たれたように両手のものを大袈裟な身振りで投げつけはじめた。VBCの『われは海の子』の4番の部分(文部省唱歌のオリジナルでは6番)がエンドレスBGMで流れている。

 

♪波にただよう氷山も

 来たらば来たれ恐れんや

 海まき上ぐるたつまきも

 起らば起れ驚かじ

 

 われは海の子だー!

 

「笑ってますね。」

「もっとおっかない顔して投げるんだと思ってた。」

指揮者たちは団員たちの表情を一見して、意外だという反応だった。

デスクから身を乗り出し、見守る側の誰も配られたペットボトルのお茶に口をつけないばかりか、キャップをひねった者すらいない。

「あいつら、水鉄砲対戦のときは別人みたいにおっかない顔して本気で攻めてたのに…」

「予科生との親睦行事のときですよね?」

「チーム分けしてないからかな?」

ガラスの向こうの少年たちはますますバカ笑いで、悲鳴より嬌声の方が優っている様子。

「あんなに楽しそうに笑ってる。」

体を大の字にして故意に標的となり、たくさんの水礫を投げつけてほしいと言わんばかりの釜谷作之進。

中梅煋次朗と松田リクはそれぞれシャツのお腹と背中に力士コスプレのように水風船を詰め込み、勢いをつけて抱き合い自爆を楽しんでいる。

途中入団の下都賀レイはソプラノの団員たちから総攻撃を受け、反撃不能な集中砲水下でキャーキャーはしゃいでいるのが口の動きでよくわかる。腕を振り上げて風船を投げつけているパートの仲間たちも結構な大笑いだ。

「下都賀くん、本当にすぐこの合唱団に溶け込みましたね。お兄ちゃんたちにあんなに相手してもらって…」

大抵の少年がまさにやりたい放題で力任せ。実際の動画のバックに使われるのはスタジオへ流れている4番の歌詞の部分で、およそ10秒間とちょっとの尺。彼らは日々の憂さを晴らすが如く水風船を徹底して割りまくった。20世紀中後期の日本人小学生と比べやや長めの髪がすぐにへたって風呂上がりの様相になり、パンツインさせたはずのシャツは重そうに裾をぶら下げ水を垂らしている。本来、「ものを投げる」様子の画は『遥かな友に』の2番あたりに合宿枕投げのシーンを挿入するという企画で始まった。だが、飛び交う枕の様子を合宿所のほの暗い灯の中でどの程度再現できるかが不安だったのと、そもそも少年たちの「敷いた布団の上で枕を投げ合ったりぶつけられたりする演技」がCGの枕のあるつもりで可能なのか…という問題があがって保留になりかけた際の代替案として水風戦バトルは考えられた。

水風船はついにいくつもスタジオのブース窓にぶつかってはじけ、小さい子たちは疲れはじめてへたりこんでいる。

「そろそろストップかけましょうか?」

防滴ハンドメガホンを掬い上げ、4本の指をピストルグリップにかけようとしたディレクターを先生方が制した。

「いや、弾切れになるまでやらせましょう。ダメって言っても止めない連中だから。気が済むんじゃないデスか?」

 

水風船バトルの終了。スタジオ撤収でおおわらわのスタッフをよそに、コスチューム全とっかえの団員たち。

各自持参のプールバッグwwをトスされるなか、最後、6年メゾの集中放水を浴びてさすがに左耳の穴へ水が入ったらしい中梅煋次朗が、左足を濡れそぼった床にカラカサお化けのごとくトントンぴちゃぴちゃつきながらつぶやいた。

「VBCって、ひとりひとりの声が確実に聞こえてない?なんていう名前の子なのか全然わかんないけど、一人一人の声が良く聞き分けられた…」

「どアホ!俺たちゃ合唱やってんだよ。歌ってるときに他のメンバーの声が聞き分けられてなかったら声量の調節できねぇだろ?」

「まったく4年ガキってのはどうしようもねぇクソだな。」

「だって、アラが見えないように中央へミキシングしてんでしょ?だったら、団員の声が聞き分けられるってのはアラがみえてるってコトにならない?」

「チュウ坊が少年合唱団員だから聞き分けられんだって言ってんだろ?ばーか!」

「そうかなぁ?」

「中梅くん、少年合唱団ではお着替えの最中に私語は厳禁デスよ。静かに着替えなさい。」

彼はびしゃびしゃの白Tシャツを適当に絞って振り回し、近くの3年メゾから腕を翳して避けられた後、昭和晩期の体操着ズボンのような白いボクサーパンツを尻から剥がしてその場でまた絞ろうとした。

「ねぇ、中梅くん、お衣装はバケツに絞って!スタッフさん、床のお水とってんのよ。まったく…事前にキツく言っとけばよかった…」

「ねぇ、先生ぃ?ビクター少年合唱隊って、なんで一人一人の団員の声がハッキリ聞こえてんでしょう?」

「さぁ?きっと先生方がそれでイイと思ってらしたんじゃないの?団…じゃない、「隊」の方針で。…ねぇ、バケツの縁の上で絞るのは、”バケツに絞った”って言わないヨ。片付けてる人のコトを考えなさいヨ!」

「そうかぁ。一人一人の団員の声がハッキリ聞こえるようにしてんのかァ。」

「中梅クンっ!先生の言ってるコト、聞こえていますか?耳の中にお水が入ってるんじゃないの?」

「はぁ、いや、まあ、こっちの耳だけは聞こえてます。お気遣いありがとうございます。¡Muchas gracias mi amiga!」

ワンポイントの防水スピーカーから流れていた『われは海の子』は、彼の右耳介へモノラルに到達していたのだった。

 

 

「それでは……『花と小父さん』のテイク3のSです。」

アシスタントエンジニアの声が若干のルームエコーをともなってスタジオに流れた。

「すみません、テイク3のDの方を流していただけますか?」

彼の背後から総指揮者先生の訂正依頼の声がかぶるように聞こえてきた。

「はい、わかりました……」

トークバックの声は途切れ、調整卓ではプレー指定位置の変更の手続きが行われているようだった。

少年たちはこんな待機はもはや慣れっこのはずだが、それでも一人一人の息を飲む気配が、分厚いガラス窓を通じて聴こえてきそうな気がする。

「お待たせしました。『花と小父さん』のテイク3のDの方をかけますので。」

団員たちが予想していたビープ音やマーキングノイズの一つもなく、小洒落たクラリネットの揺れる長めの前奏が、ビブラフォンのコードを引き連れフッとスタジオのスピーカーから流れてきた。

「じゃ、プレーバック静かに聴きましょう。」

「梅ちゃん、一緒にダブルトラック歌うなよ。」

「加賀協太朗、うるさい。しゃべるな!」

「はい。」

少年たちがそのやりとりに笑い声をたてる間もなく、少年合唱のボーイソプラノがステレオで静かに流れてきた。

テイク3で早くもプレーバックがあるのは、彼らの歌の出来が非常に良く、きわめて安定していたからである。

 

♪小さい花に くちづけをしたら

 小さい声で 僕に言ったよ

 小父さんあなたは 優しい人ね

 私を摘んで お家につれてって

 

 私はあなたの お部屋の中で

 一生懸命咲いて 慰めてあげるわ

 どうせ短い 私の命

 小父さん見てて 終るまで

 

「うん、良いんじゃないでしょうか?このテイクをもらいましょう。みんな、イイよね?」

 

彼らはいわゆる「Liberaっぽい」隊形を組んで、同時録音というシロウト見、ちょっとイージーなプロセスで収録をすすめている。レコーディング順番はもちろん映画やテレビドラマと同じようにリリース順では決して無いため、翌日にパンチインの撮り直しがあったり、最初の曲が収録3日目に行われたりと割本の内容は少年たちの予想を大きく凌駕していた。

「先生ぃ。VBCってなんでこんな曲歌ってるんでしょうか?最初の曲に。」

丘村虎夢が歌の出来とは無関係そうな質問を挟んできたため、5-6年の団員たちはやや鬱陶しそうな相貌だ。

「虎夢くんあのね、CDでも4枚組っていうのがあるの知ってるでしょ。クラッシックのベスト盤とかワーグナーのバカみたいに長い楽劇とか…」

「先生ぃ、ワシらはヒトラーやナチスやSSが大好きなワーグナーなんかは聴かんのです。」

「ホロコーストで悪かったわね。ともかく、それと同じように、『ビューティフル・サンデー/天使のハーモニー3』は2枚組4面のレコードで、『花と小父さん』はその4面の最初の曲なの。決してアルバムの最初の曲ではアリマセン。」

「先生ぃ、ワシらレコーディングの前にあらかじめネットでどんな曲なのかは調べてきてるんですヨ。」

「偉いのね。で、どんな曲なの?4面の最初の曲にふさわしく無い…と?」

「伊東ナントカって女の人が歌ってるんですよ。しかもカバーのほとんども女の人。リリースもビクターじゃない、CBSで…」

「摘まれて枯れちゃって、どうせ短い女の命…って?こんな曲が冒頭で委員会(イインカイ)って?」

「先生、なヵ感情込もっちゃってマスね。」

♪しミしミソーミー ソミソシーソ シソシレーれー ソレソシぃ~

偽ベルカントっぽくソプラノの誰かが向こうのほうで『ワルキューレの騎行』を歌っている。

「ともかく先生方は、なんでこの曲が4面の最初かということはワカリマセン。」

「いや、VBCにとっては4面かもしんないスけど、俺らにとってはこの曲がアタマなんですよ。」

♪ドッラドミーーシドラドミーーシドラドファーシ…

言い下がる丘村の発言を遮るようにスタジオスピーカーからコンソール側の先生の声が聞こえた。

「いや、そのコトなんだけれど、…おい!ワーグナー歌ってるヤツ!うるさいです。やめろ。…で、そのコトなんだけれど、こないだパイロットで撮った『ビューティフル・サンデー』をアルバムの最初の曲にしようかというところで、先生方の話はまとまってきている。アルバムリリースタイトルも『ビューティフル・サンデー/天使のハーモニー』なわけだから。オカムラくんのいうのも御モットモなことだよね。じゃ、続きの収録に行きましょう。」

少年たちにとっては初耳のプランだったので、彼らはキツネにつままれたような顔をしていたが、疲弊し始めていたのか何か言う団員はいないようにみえた。

「あの、先生ぃ?」

メゾソプラノの誰かが、静かになったスタジオに可愛らしい声色で何かを問おうと声を上げただけだった。

「先生ぃ?丘村先輩が考えているのは、なぜ『花と小父さん』が4番のレコードの最初の曲なんだろう…ってコトだと思うんです。バラバラの順番で録って、何か理由があったからそうなったハズだって先輩は思ってる…ん、で、すよね?先輩?」

中梅煋次朗だった。ビクター少年合唱隊がこのアルバムを録音したとき、隊の保護者組織である『親睦会』は会紙『天使のハーモニー』を創刊した。録音時の簡単な次第はその文面に読める。同業者の半世紀前の部内紙すら、なんとか裏のスジを駆使して入手してしまえる「蛇の道は蛇」的な日本の少年合唱業界。だが、アルバムの選曲の順番については親睦会紙にも記録が残っていない。先生方が「そんなことは知らない」とはっきり言い切るのはそのためだろう。

「丘村くん。丘村くん。…何か理由があったにせよ、それは21世紀の私たちが動画の同録で再現すべきことなのかな?百歩譲って、それはAIの編集が対応できるレベルのものなのかしら?どう思う?先生はそいう話じゃないかと思うよ。」

3-4年団員の誰かの小さなくしゃみがスタジオに響いた。子供たちは皆、口をつぐんだままだった。

 

 

オリジナルのジャケット表示は『海のマーチ』。アメリカの『コロンビア・大洋の宝(海の宝石・コロンビア)』だ。

『われは海の子』『海のマーチ』『アロハオエ』と3曲続いて幕を降ろす海洋テーマの連続は、次のアルバム『カントリーロード/天使のハーモニー4』と『HEIDENRÖSLEIN野ばら/天使のハーモニー5』双方の4面(カントリー…では3面後半以降エンディングまで)で展開されるコンセプト・アルバムへの指向を先取りしたものだ。『ゆかいな行進』『大脱走のマーチ』『聖者の行進』『海のマーチ』と本アルバムでは行進曲とタイトルされるものが4曲も揃っている。ビクター少年合唱隊にとって”マーチ”は小学生の男の子らしさをアピールできるコダワリのレパートリー分野だったのだろう。VBCにとっての”マーチ”の意味を事前に教え込まれていた団員らは、『集団行動』パフォーマンス的な稠密な隊列を作ってテンポ125bpmの調子を守り、剥き出しの両の太ももをきっちり地面と平行になるくらいまで上げてグリーンバックの中を進んでいた。

「腕は棒。前への振りはそれでいいけど、後ろは真っ直ぐのまま痛くなる直前まで後ろに振ってる??トナミくん、なんでそんなに上手いの?カッコいい。」

「いや、学校で毎朝たんまり仕込まれてるんで。」

「オラはダメなの?先生ぃ?」

「ハルカくん99点かな?気持ちもうちょっと腕を後ろに引けない?」

「コ…こうですか?」

「うん。99.999!がんばれ!」

「ハルカ、先生に騙されてるよ。頑張っても次は99+限りなく1に近い0.999999だよ。」

「うるせぇ!」

「1メゾうるさい!だまって行進する!」

「だってコレ、歌の部分は別撮りなんですよね?」

ステージ上への整列のピリッと整った様や姿勢や目線の雄邁を客席に見せてナンボの少年合唱団である。そうではないドロドロさやアバウトさ、ぐだぐだ男子小学生あるある的姿を男の子らしさとして見せて「かわいいぃー♡」と人気の少年合唱団も国内にあることはあるのだが、この合唱団ではビクター少年合唱隊と同じ、精悍さをウリにするイメージ戦略を狙っていた。揃っていてやかましくはないが、合成材の床にパチパチとあきらかな足裏ノイズがたっていた。

「別撮りなんですよね?」という団員の異存で気付いたように、スタジオ内にはVBCの歌う『海のマーチ』が、跫音に配慮したのか、かなり音量を上げて流れ始めた。

「おー!さすがHis master's boys. 天使のハーモニー!ビクター少年合唱隊!」

「先生ぃ、これ、本番ですか?」

「ココはソユーズ宇宙船か?! 動画で口元はハッキリ映るんだから、『2001年宇宙の旅』のポンコツAIみたいにあんたがたハイビジョン4kで読唇されてんのよ。全員揃うまで黙って行進リハーサルしなさい!いち、に!いち、に!」

「先生、僕たちの合唱の楽譜って、これ、どの先生が編曲してるんですか?」

「中梅くん、先生方には敬語を使ってください。」

いち、に!いち、に!

「合唱団のお返事はなんですか?言い直し!」

「はいッ!では、どちらの先生が編曲なさっていらっしゃるんですか?」

「いち、に!いち、に!…中梅くん、これ、先生方じゃなくってAIが採譜してるんですよ。でも、もともとの楽譜を編曲なさったのは北村協一っておっしゃるVBCの一番偉い先生。」

「先生がこないだ『キョーちゃん』って言ってた人?当時合唱やってた大人なら誰でも知ってた…っていう。」

「いち、に!いち、に!50年も大昔だから、こういう日本語の少年合唱用の四部の楽譜っていうのは無かったらしいの。だから、少年合唱隊の隊員の声をよく知っていらした北村先生が編曲なさったんだとおもうよ。」

「キョーちゃんが?」

「中梅くんが一向に黙らないので、あと1分は行進続けます。」

「え”ー、なんでぇ??」

「中梅、オメェ、黙れ!」

「中梅くん、合唱で一番大切なことは、…声をそろえること。だから声が合うと書いて”合唱”と読む。違いますか?今の君は声を揃えるどころか、黙って足踏みすることもできていないよ。」

「そうなんです!揃ってない。一人一人の歌が聞こえるんです。」

「歌じゃなくって、キミのおしゃべりのことを言ってるんですよ。」

「いや、僕の言ってるのはビクター少年合唱隊の歌のことです。」

「はいダメだ!全隊止まれ!これじゃ練習にならない…」

中梅煋次朗はグリーンの空気を背後へスモークジェネレータのように吐き流しながら、足踏みを駆け足に変えて指揮者らの前へやってきた。

「キョーちゃんの編曲って、一人一人の声がハッキリ聞こえるように作ってあるんです。『花と小父さん』が4面最初の曲なのは、それが一番うまくいっていたから。」

「中梅くん、それは失敗なんじゃないかな?」

「いや。キョーちゃんはVBCの一人一人の声がちゃんとわかっていて、それがうまくキレイにハッキリ聞こえるように編曲をしたんです。」

「中梅、ウッセーよ。だからどうなんだよ!」

「中山先輩。先輩の声は、合唱してる最中も僕にはよく聞こえる。でも、後ろに立っている中山先輩の体の暖かさとか、息のにおいとかも、一緒にすごーく感じる。」

「中山アンビ、おめえ、ニンニク臭いからな…」

「うるせぇ!古川ことら!」

「キョーちゃん先生は、それがイヤってほどよくわかっていて、きちんとレコードに残るように合唱編曲してるんです。ココをこうすればアンビ先輩の息の匂いがする…とか、このパートをショーアップしたら古川先輩の声が確実に録音へ残る…とか。だから、決してバラバラじゃない。ただ、一人一人の声が一番良く聞こえるように工夫してある。わざと、…そして苦労して。全員とかパートの声をあえて揃えようとはしていないんです。」

こっそりと日本の他の少年合唱団の演奏会の客席に紛れ込んで勉強しているタイプの団員たちにはすぐに合点がいった。合唱のさまざまをそろえ、ピュアライズし、統一され、整った歌を歌おうとだけしている少年合唱団のステージに「声が前へ出ていない」「何を歌っているのかわからない」「眠気をさそう」そして「男の子らしい面白さが全く聞こえてこない」「日本語の発音が不明瞭」という評価が下されがちであることも知っていた。

「僕たちの今回のミッションは、AIの力を借りて、そんなビクター少年合唱隊の”合唱”を可視化するコトなんじゃないかと思いマス。」

4年メゾはそこまで一気呵成に言いきって、白ボクサーから突き出た太ももを両手でパチンパチンと叩いた。

「中梅くん、わかりました。とりあえず、行進の部分の動画のホンバンを撮りましょう。ビクター少年合唱隊のレコードに合わせて。」

 

 

「中梅、おめぇ、なんであんなこと考えついたんだよ?」

『アロハオエ』の本番は6テイク目の準備に入っていた。吊り上げられたカメラがヤシの木陰や砂浜やハワイアンカヌーのアウトリガーや浮き輪に仰臥した(…という設定になっている)上半身裸の少年たちを捉える。

「『われは海の子』の水風船バトルのとき。スタジオにVBCの歌が流れてて、アラが見えないように中央へミキシングしてるんだって聞いてたのに、ひとりひとりの声や日本語がとっても良く聞こえてきてた…。コレって、”アラが見えないように”じゃなかったとしたら、なんのためのミックスなのかな…って。丘村先輩、何だと思いますか?」

「俺に聞くなよ!おめぇは何だと思ってんだよ。」

敷かれているグリーンの体育マットは今はひんやりして裸の背中に気持ちがいい。

「一人一人の声がきちんと録れるように編曲してあって、結局それを優先させたら犠牲になるモノって何だろう?…って思って。」

「パートの声だろ?3部とか4部なんだから、パートどうしのバランスは保証できない。」

「僕もそう思った。パート間のボリュームのバランスを取るにはボリュームを絞るしかない。でも、そうすると…」

「一人一人の声が弱められて小さくなるパートがどうしても出てくる。」

「だから、真ん中にミックスしたんです。…たぶん。そうすれば、一人一人の歌をきちんと聞かせながら、ボリュームのアンバランスを聞かせずに済むから。」

「へぇー。」

テイク6が回る。調整卓がキューを告げてきた。

「はい、そこの2メゾのウルサい連中!もうそろそろオールアップに漕ぎ着けない?静かにして待つ!」

「先生ぃ、オレら、マジに気持ちを作ってるんですよ。ワイハの浜辺で太陽サンサンでエンジョイして、美味しいグアバ・ジュース飲んで…。」

「ねぇ、古川くん、仙寿院のお墓の横にあるビクタースタジオで一週間カンヅメになってこの曲を録音したビクター少年合唱隊員に、ハワイの浜辺のイメージをエンジョイする余裕があったと思う?」

「…いや、多分、これが日本の少年合唱団の最高峰の2枚組LPになって、21世紀の少年合唱団の良い子のボクたちの背中をあと押ししたり、それ以降50年間に長きにわたって歌への勇気や元気や愛情を置いてってくれたり…」

「はいはい、わかった、わかった。ともかく、はやく撮り終えてAIの編集に回しましょうヨ。太陽サンサンでエンジョイして、美味しいグアバ・ジュース飲みながら聞いて楽しんで幸せな気持ちになるのはあなた方じゃなくって、これを見て聞いてくれるこれから少年合唱を目指そうと決意する少年たちなんじゃないの?」

 

♪思い出は懐かしい

 はるかの夢の国

 漣に月映る

 夜の海は静か

 

 アロハオエ  アロハオエ

 別れた友の姿を

 アロハオエ  アロハオエ

 今も想うよ

 

 アロハオエ  アロハオエ

 手を振る友の姿は

 アロハオエ  アロハオエ

 今も浮かぶよ

 

ハワイアン楽器ふうに風情を醸しだすストリングスのアウトロが、これでもかとばかりスチールギターのベンドを効かせて、浮き輪やカヌーに寝そべる真っ黒く日焼けた手を振る少年たちの姿をドローン撮影のように眼下の透明感あふれるエメラルドグリーンの水面と共に遠ざかり、空へ登るかのごとく消えていった。

 

 

▲「コロナ避けて貸別荘に住んでる家に花の種くれても、播けないって。」彼は白いモザイクみたいな前歯を並べて光らせ、笑いながら言った。「貸別荘の庭に播いてお水やって育てたらイイじゃん。」「ダメだよ。借りてる別荘なんだから。」「平気、平気。どうせ花が咲いてタネが採れるまでにゃ、コロナなんか終わるわけ絶対無いんだからサ。」

 

アオケン少年の声部はボーイ・アルト。しかも家族はブラジルポルトガル語話者ということは指導陣にも知られていた。バックアップメンバーの扱いで、形だけのオーディションに呼ばれている。練習スタジオのヤマハC5Xの麓に腰かけたクライアントの膝頭を見ながら学年・パートと氏名を申告。ブレスを落として通団服の前身頃を両の掌できつく引き下げ、スタンバイの視線を指導者に送った。少年は半分に端折った前奏を聞き、声質からやや重い鳴りの訓練したボーイソプラノで、「一応、補欠の子の歌も聞いておこう」と油断しきった依頼主に向け、最初のフレーズを歌い出した。

 

♪ムーン るるィベール ノー テォルビーだレー

 ヨー ノーメ デハレー ジェばール

 

クライアントはわずか楽譜冒頭8小節を聞いただけで矢も盾もたまらず、続きを弾こうとする指導者に

「この子の方が、俄然いい。発音がめちゃくちゃキレイだ。この子の方にしたい。続きを聞かせてください。」

と押し込んだ。

「じゃ、アオケンくん、18のRíoから。」

「はい。」

オーディションには慣れているのだろう。男の子は平然と低い声で返事し、ピアノの弾き始めを冷静に瞥見して歌い継いだ、

 

♪るるィーォイ ルナー、ディーめドンデェシュたーん

 ミーディオーシュェル ビエニェル マール デーthぃー

 

クライアントはまさに舌を巻いた。語頭のさりげない巻き舌。字母Sを消えいるようなシと読ませる牧羊民的な長閑さ(少年はadiosという最後の歌詞を”アディオシ”と歌って収めるだろう)。Cをきちんと歯間子音θに聞かせる折り目の正しさ。そして先のLLの字母を正確に「ジェ」と歌って済ませたのも依頼主の心を魅了した。少年は「パエリア」を「パエージャ」、「トルティーヤ」を「トルティージャ」、「カステラ」を「カスティーじゃ」と呼んで頬張るのだろうか?

「僕は日系ブラジル人と日本人のハーフだから。」

「発音はバリバリのスペイン人だったじゃないの。」

「ブラジル語しかわかんないんで、お父さんに一生懸命教えてもらって覚えたんです。」

「ビックリしたよ。まったく。…映画のワンシーン見てるみたいだった。」

このLGBTの映画で、「ムーン・リバー」スペイン語版は、主人公の少年がこれを歌いながらメリダ近くの神学校の神父に性的虐待を受けるシーンで流される。少年の演技はそこそこだが、流れてくるボーイソプラノは清涼で拙さも隠し味となり実にすがすがしい。次にレズビアンの映画に主演するオードリー・ヘップバーンの、性業にくたびれて窓枠にもたれ座して歌うオリジナルとは全く別物の輝き、おもむきだ。当初オファーに応じたソプラノ4年のKはアルゼンチン移民の凱旋組の息子で、あやつるスペイン語は確かに流暢だったが、完全にアメリカナイズされたこなれた軽い西語を聞かせた。少年が歌い出しをあろうことか「♪ムーン・リヴァー」とヴァヴィヴヴェヴォのV破擦音をかまして唸ったのを聞いて、クライアントはちょっと気落ちし後悔していたところなのだった。

 

🌛   🌛   🌛

 

Moon river... no te olvidaré,

yo no me dejaré llevar

por el agua, agua turbia

del río de la luna

que suena al pasar.

 

ムーンリバー…きみを忘れない

流れに竿差し

水、濁流、月の川、

流れの音。

 

インスタコードは、両親の言うところの「コロナ疎開」へ持ち込んだ僕の荷物の中で、一番大きな嵩張る品物の筆頭だった。

車のトランクの一番左隅、母のキャリーバッグとストレージ・スペースの隙間に、楽器とは思えないような杜撰な扱いで押し込まれて来たそれは、つる首にもやい結びで結びつけられたUSBコードを「別荘」のコンセントに繋いで充電すると、日本製らしく何の遜色もなくデフォルトの鮮やかな128音色を内臓スピーカーから吐き出した。菜の花ロードの終点の旧漁港へ流れ出ると聞く、せせらぎの河原の槙と椿の差し掛かった木陰で、25番ナイロン弦ギターに設定したストロークを爪引きながら映画『バッドエデュケーション』のMoon River(カスティージャ語だから「ムーン・ルルぃベル」)を僕が歌っていると、小さな3年生ぐらいの男の子がひとり、川のわずかな深みにお尻からドッポンとみっともない音をたてて飛び込んで、かすかな、さりげない飛沫をほんの一瞬だけあたりにまき散らした。

もともと川の生き物や森の住人達に分けてやろうかと多めに作ったサンドウィッチ。包んだアルミホイルを開け、重なった自分のぶんを取り出して川石に左脚をかけ、川べりでいい匂いが伝わろうかと少しだけそれを振った。

「サンドイッチ、食べない?おいしいよ。」

おやつ代わりに、出がけほんの4-5分で僕が作った自家製サンドだ。

男の子はのたくった髪を乗せた頭を重そうに川面から離して回頭し、わずかな弾みをつけてザッと川から海底原人ラゴンのように立ち上がった。そして、後輩にスタメンをとられた少年サッカーのサイドバックのようなものすごい形相で、僕を睨んだかと思うと、いつの間に握りしめていたのか、掌をはみ出すほどの大きさの川石を何だかわからない叫び声とともにいきなりこちらへ投げつけてきた!

「フッ!」

反射的に腕で頭を守り、うずくまったぼくの右肩の脇を、かまいたちのような急峻な風の動きと、生臭さのある埃っぽい匂いがびゅうと音もなく撫でた。薄目を開けながら頭を上げた僕の遥か頭上をその子は指差し、貧祖な叫び声で「ガー!」とか「二度と来んなー!」「ばかー!」と叫んでいた。

「ここら辺のトンビがさらうのは、油揚げだけじゃないんだ。なヵ、あいつもサンドイッチが大好物だったみたいだね。」

その子は今度は僕の目をしっかりと見つめ、真心のこもった愛らしい静かな声調で言った。

結灯くんだった。円満な性格で頭のたいそう切れそうな賢い男の子であることはすぐにわかった。鼻の左横に小さなほくろがある。幼稚園児が履いていそうなデザインの水着はどこか垢ぬけず、かわいくもカッコ良くも無いのに、いかにも「トロピカルでリゾート気分にピッタシのキッズウエア」じみたストライプが安っぽかった。

慌てて持っていたアルミホイルの包みをあらためると、僕の指の形のついたパンとホイルはきちんと両手それぞれに握られていた。

「ここにはいつもトンビがくるの?」

「うーん。僕の小さいときは、港の近くで死んだ魚をあさったりしてたみたいなんだけど、空を飛んでくりゃ、なヵ、あいつらにとっちゃ、ここはすぐ近くの場所だから。観光客のバーベキューの残りとか、来る途中のサービスエリアや道の駅で買ったおしゃれな食べ物をスマホで撮ってる最中とか、ヒトの近くに急降下すりゃ食べ物を簡単に奪いやすいって覚えちゃったみたい。最近はコロナで、観光客なヵ全然来ないから、たまに人がいるとお兄ちゃんみたく餌食にされやすいんだよ。あいつら、ホントにまったく羽の音を立てないで背中から襲いかかるから、すごーく気を付けてね。観光で来たの?」

男の子はここまで一気呵成にしゃべって下唇を舐めながら僕に問うと、中目黒あたりに事務所がありそうな子役の男の子という風情で、スッキリと微笑み、前髪のカールから水滴をしゅっとしぼった。

「観光じゃないよ。あっちの方から来たの。大きなバルコニーがあってサザエさんの終わりに出てくるみたいな三角屋根にハーフチンバーの木造2階だての貸別荘。広いバルコニーのコシイタがバツの形になってるの。ねえ、キミ、僕の作ったサンドイッチ食べる?」

 

避難先での家族の役割分担はいくつかあった。食事・おやつは、食べたい者が食べたい時に3人分の食材の用意(電話でオーダーして届けてもらう)から調理・テーブルセッティングまでをする。掃除は父が外回りと1階の半分、母が1階の残りの半分と2階、僕が2階の、父と僕の寝室(もとは布団置き場だったところ)を分担して毎日やる。風呂も、入りたい人が沸かして、好きな時に入って、誰かが掃除をする。トイレ掃除も同じようなものだ。ユニットバスだからだ。洗濯も同じ。両親は「大人二人と子供一人が合宿場で生活しているようなもの」と言っていた。それ以外は全員ノートかタブレットかスマホでリモートの仕事と、僕は学校のリモートや少年合唱団の非対面練習がある。

「お姉ちゃんが一番”ラク”をしてるよね。」

と僕が言うと、父も母も、「それは違う」とかすかに気色ばんだ。姉は僕らの家の留守番をしながらタブレットで授業を受けている。ネット・スーパーで食べ物や生活用品を届けてもらうらしい。母は一応信頼しているが、姉が完全防備でコンビニに行って食料調達したりしないよう、毎日コンタクトをとっていた。こちらのゴミ出しは、父がマスクやゴム手袋着用で車に乗って済ますが、姉は生ゴミを密閉して一般ゴミに紛れさせ、なるべく回数を減らして対応しているのだと聞いた。

「ゴミ出しから帰って来たら、必ずお風呂に入るんだよ。」

と、自分でもそう励行している父は繰り返し画面に話しかけDMを通じ説いていた。避難して来た僕たちが姉に送るものは何もなかったが、姉からは、母が自宅に置いて来た色んなアクセサリーや父の仕事で急に必要になった紙の資料や、僕が川で泳ぐ時や外で遊ぶとき履きっぱなしにする学校の水着やひもふんどしをLINEでリクエストし、宅配便で送ってもらっていた。

「それで、こんな学校の制服みたいなシャツをいっつも着てるわけ?」

結灯くんが尋ねた。

「多分、もう学校へ登校したり、ワイシャツ着て合唱団で歌ったりすることなんて無いだろうから。お父さんもお母さんも、『勿体ないから、サイズが合わなくなるかクタクタになって破れるかするまで毎日ひっかけて着つぶしちゃいなさい。』って。」

中国人の作った火星基地みたいな外見の、立方体の巨大な水道タンクの根元で、リベット穴にリードを結びつけられたミックスのエスが押し殺したように喉を鳴らし、僕たちへ何かを知らせようとしている。

「何だろう?」

仰ぎ見た空に猛禽類やカラスの飛影は認められなかった。結灯くんは目をこらし、しばらく背後の上方を睨んでいたが、振り向いて

「いや、エスは僕たちを必ず守ろうとする。だから、蛇とかアシナガバチとか、タヌキやキョンかもしれないし…。」

不審かどうかに関わらず、それが人影であることはまずなかった。町々は既にロックダウンされ、締切前ギリギリに貸別荘のようなところへ車で移動して住み着いた我が家のような家族を除いては、旅行者に関わらずあらゆるニンゲンの類が山の中へ入ってくるということは無いのだった。父が平置きにしたスマホをハンズフリー・モードにして業者の人と話していた。どんなに頑張っても新しい貸し手なんか来てくれるはずはない。コロナが終わるまで、ずっとそこを借りていてくださると、こちらも助かりますので。特別ディスカウント料金でお貸ししますよ。

結灯くんと会うまで、僕は貸別荘で「ソロ活男子」まっしぐらの小学6年生だった。「ソロ活女子」の江口のりこの方はアンパンマンの生みの親の義理の親で娘とあんぱんを焼いている。出会いの場面で3年生に見えた結灯くんは1月生まれの小ぶりな賢い4年生だった。「ソロ活男子」は「ペア活男子」になって、僕の家のポーチで一緒に宿題をやったり、川で水遊びしたり、エスと遊んだり、村の水道タンクの上で僕の作ったおやつを食べたりして過ごした。

エスが何故に唸ったのか、結局よくわからなかった。

 

外をネ 歩けば ほッら! みんなが 振り向くの

子供ぢゃないのよー!

 

「送ってもらったソロの中で、加賀くんの『子供ぢゃないの』を流しました。みんな、どうだった?先生はネ、加賀くんの元気で伸びのある声がたっぷり楽しめて、声を前に出す練習にもなってて良かったんじゃ無いかな?と思います。先生、この曲、最初、全然知らなかったんだけど、加賀くんは、どこから探して来たの?」

「・・・・・・・」

「加賀くん、音が出てないね。クリックして。」

「すいません。youtubeです。コータ・さんし子っていう人の…」

「加賀くん、それ、弘田三枝子さんだね。ヒロタ・ミエコって読むらしいよ。先生、調べたら1961年の弘田三枝子さんのデビュー曲だそうです。『オバケなんてないさ』とか『ちびっこカウボーイ』を『みんなのうた』で日本で最初に歌った人なんだよ。すごいね。」

少年合唱団は通常レッスン日の水曜と土曜の定時に、リモートで本科生の練習があった。

「アオケンくんはレコーディング予定だった『ムーンリバー』をギター?シンセサイザー?の伴奏で送ってくれて、」

「インスタコードで弾き語りです。」

「…ボーイソプラノの繊細さや清らかさがよく出ていてすごく良かったんだけど、今度は加賀くんのみたいな、大昔のポップスで、声がやっぱりタップリ弾けるようなアルト向けの曲にチャレンジしてもおもしろいかもしれないネ。何かないかな?…うーん、『すてきな16才』とか、アオケンくんの声にピッタリで…何?品川(弟)くん、なんでしょう?品川(弟)くん?」

「・・・・・」

「チームス、声、あいてないよ。」

「ゴメンさい、あの、それ…どんな曲なんスか?」

 

シャララララ・ラ・ララ ハピバースデー スウィート スィックステーン

シャララララ・ラ・ララ ハピバースデー スウィート スィックステーン

 今はもう きのうの ワタシと違う レディーよー

 口紅つけて きどってみたの

 ハーピバースデー スウィート スィックステーン

 

「それ、まるっきしオンナの歌なんじゃん(笑)」

「でも、英語のモトウタ歌ってたのはニール・セダカって男の人なんだよ。」

「どんくらい高い人なの?」

「あんたがた、多様性の時代を生きる小学生でしょ?あんなこと言うべきなのかな?加賀くんの『子供ぢゃないの』だってカンペキに女の子の曲なんだからサ…それに、よその女子メジャーの児童合唱団や女声合唱団でも少年合唱団向けの『ドラゴンソング』とか堂々と歌ってるんだから、あなた方も必要ならば女の人の曲も普通に歌えるようにしといてくれなきゃ」

「いや、オレらは、アンパンマン少年合唱団員みたくはルックス良くはないんで…」

生まれて初めて口紅を塗ったのは、ジュゼッペ・ヴェルディの歌劇『マクベス』で精霊の役を歌った時だ。今はもう、合唱団で予定されていたオペラや映画の出演は全部キャンセルになっていて、僕が口紅を塗ってお化粧する出演機会はもう二度と訪れることは無いだろう。

ところで…リモートになってから、合唱団の練習は、先生の歌としゃべりが圧倒的多めになっているような気がする。

合唱団にも通学にも履いていく黒いタッセルローファーの革靴は、きつくなって去年の秋の終わりに買い替えたばかりだったのに、向こうの家の玄関の靴箱最下段に入れっぱなしだ。毎晩帰宅するとあんなに丁寧に磨いて、両方の靴甲に半ズボンの裾から中の下着が映るくらいピカピカにシューシャインしてたのに、今ごろはきっとカビが生え、ソールのゴムが粉吹いてボロボロになっていることだろう。

 

電車が出ていってしまうタイミングに僕たちは駅へやってきた。

誰も降りないし、多分誰も乗っていかなかった。電車が鉄路に軋る軌道音だけが聞こえた。発車ベルもホームのアナウンスも鳴らない。目の前を滑るうるみ色の車窓のガラスに映った乗り物の内部に、人影は一つも動かず認められず、ビーズや色板を入れ忘れた黒硝子の万華鏡を白昼無言で覗いたような射影だった。

観光バスが2台横列駐車したらもういっぱいいっぱいになってしまうくらいの広さの、アスファルトの割れ目と、水たまりの痕ばかり残るこぢんまりとした陽に焼けた駅前広場。単線片側ホームへのスロープが静かにのびていた。改札も料金タッチパネルもない、荒野の真昼のガソリンスタンドみたいながらんとした無人駅だった。

「コロナになって、少年合唱団は放送局の合唱団みたくネット動画で歌を続けようとするタイプの団と、アンパンマン少年合唱団みたく、それまで通りネットとかになるべく露出しないようにして練習しながら力を温存?するところの2種類があるんだ。」

どのくらい先になるか、2タイプの合唱団の行末は、コロナが終わりに近くなったらはっきりしていることだろう。

「アオケンくんたちの合唱団は、ネットに出ない方のタイプだね。」

結灯くんの黄色い肩(彼はいつも黄色い服ばかり着ていた)の向こうには、待合ベンチのジョイント木材の線が鍵のかかった駅事務室の腰板の方まで伸びていた。

「コロナじゃなかったら、合唱団で一緒に歌いたかったなぁ?」

「…だれと?」

彼の肩を見た。

「僕と?僕じゃないよね?」

「結灯くんとだよ。」

「うふふ、それはムリ!僕って歌、壊滅的に上手くないもん。代わりに、聞きに行ってはアゲルよ。」

ジョイント木材の座面はニスのつるつるした感触で、ところどころ潮風のせいなのかベタついていた。結くんがコンサートに来てくれるような安寧な日々はきっと僕にやってはこないことだろう。

雲一つ無いブルーグラデーションの空。荒いアスファルトのホーム。誰も手入れしないのか黄色いドットばかり目立つ点字タイルの延伸…。高学年リレーのバトンゾーンぐらいの長さと奥行きの駅舎の屋根が影をつくり、僕たちを海辺の日差しから守っていた。電車のたてる何かの回転するノイズかと思っていた音は、虫たちの鳴き声。僕らはしばらく無言でベンチに座り、背板に寄りかかって虫の声と、視線横切る浜の防風林の向こうから押し寄せる潮騒を聞きながら、放心のまま前を眺めやった。

「今の下りが行けば、このぐらいの時間は、もう電車は来ないよ。」

「何分ぐらい?」

「2時間ぐらい。ねぇ、ここで寝ちゃおうか?」

彼はそう言いながらもう、あのキッチュ柄の変なトロピカルデザイン水着のお尻を90度捻って靴を履いたままベンチの座面に貧弱な両脚を乗せ、左の足首へもう片足首を乗せた。

「結灯くん、ちょっと重い。」

4年生は僕の上腕へ頭をもたれかけて深呼吸をした。

耳介の作用なのだろうか、こうしていると波の音の方が虫の声より少しだけ勝って聞こえてくる。防風林の木立の空隙から、ベタ凪の空と全く同じ色の海面の太平洋が、裸の大将 山下清の貼り絵の紺色横長の切り紙のように散りばめられていた。

「歌、♪聴ーきたぃ。」

天井は黒い板じゃなかった。ウォールナット色の丸太が並んでいる。4つしか無い、消えっぱなしの蛍光灯を挟んで。

「歌、聴きたいの。…ぼく、それ聞きながら眠りたーい。」

首を大きく逸らしてベンチの背板の上方見ると、「新型コロナウィルス 感染症対策について」という比較的新しい張り紙が見えた。

「インスタコード、持って来てないもん。ダメでやす。」

「インスタコードが聴きたいわけじゃないよ。お兄ちゃんが歌ってくれるのを聴きたいの。」

まさかと思ったけれど、結灯くんが腕を逆に捻って僕の手を弄って握ったので、断ることができなかった。

 

Moon river... no te olvidaré,

yo no me dejaré llevar

 

歌う姿勢になるとホームの端から線路が見下ろせた。

車輪が削ったレールの鉄の粉なのだろう…バラストとコンクリート枕木が視界に入る限り赤茶色に染まって続いていた。枕木には白いペンキでC=とかV=に続いて2ケタの数字が入っている。グレーの細い柵は保線する人を落下から守っているに違いない。

 

por el agua, agua turbia

del río de la luna

que suena al pasar.

(水、濁流、月の川、

 流れの音。)

 

Río y luna, dime dónde están,

mi dios, el bien y el mal,

decid.

(川よ月よ戒めよ、そは何処

 我が神よ、善悪を諌めよ)

 

歌っていると、まさかと思ったが、本当にスッと結灯の手から力が抜けた。

 

Yo quiero saber

qué se esconde en la oscuridad

y tú lo encontrarás,

Moon river... adiós.

(闇に潜むものの得体

 我が知るや君は知る

 ムーンリバー… さらば)

 

僕はその寝息を確かめながら、2番の歌詞を端折り、小声で歌って終わりにした。

4年生の口元が貧祖に突き出ているのを見て、僕はどうしようかと一瞬迷った。

その唇は、薄荷のようにしっとりと冷たかった。

 

 

父が買いだめた強力粉で焼く食パンは僕たちの日常の糧には無くてはならない。

朝食はもちろん、ちょっとデラックスな洋食の夜ご飯の食卓にも赤ワインといっしょに温かいパンが供される。

僕が頼み込むと、チョコレート2枚砕いて箱金型に突っ込み、真っ黒いチョコ・デニッシュを焼いてくれることがあった。

別に泡立て器で生クリームを作り、姉から自宅の調味料棚に突っ込まれてあったスペアミントのエッセンスと、緑と青の食紅(赤じゃないのに「紅」というのはおかしいが、パッケージには「食用色素製剤」と印刷されていて、ちょっと引いた。)を送ってもらって、ミントクリームを作った。切ったチョコ・デニッシュの間にミント色のクリームをたっぷり挟んでラップし、冷蔵庫で寝かせて三角に切ると、丸々太ったフルーツサンドの親戚みたいなミントクリームサンドができた。リモートの練習が終わったら、結灯くんとここで食べよう。

「アオケンくんだけイイねエ。先生も別荘借りて近くの河原でリモートしようかなぁ。」

「先生ぃ、練習の途中で泳いだり松坂牛特上ロースとか焼いてバーベキューしたりしたらオレら訴えますからね!」

「相模くん、そのアイディア、イイねえ!」

練習の最後にそう言って盛り上がっている皆に、ちょっと気まずいものを感じた。リモート授業アルアルである。…実は半袖ワイシャツの下は、生地が毛羽立って薄くなりかけた学校の水着を履いている。

「ねぇ、アオケンくん、そこに誰か居る?アオケンくんのチャネルって最近時々他の子の声がいっしょに聞こえるような気がするんだけど…」

「先生ぃ、アオケンくんが練習に替え玉使ってるワケ無いじゃん!オレらの声をいちいち聞き分けて音程のミスをねちねちウルサく指導してお給料もらってるんだから、しっかりしてくだせぇよ。」

「そうねぇ。やっぱ、タブレットとかのちっちゃなマイクだと雑音拾いがちなのかもしれないわね。」

「そうですよー。外で歌ってりゃ、イロんな雑音も完全にミュートしきれないってもんですヤスよ。」

先生の耳はさすがプロフェッショナルで正確だ。最近、定時練習の僕の斜め後ろにはいつも結灯くんがいて、ニコニコでこっそり一緒に歌っている。僕も心から楽しい。別荘テラスの作り付けベンチでリモート練習している二人を見て、母は「一緒に歌ってくれる友達ができて良かったね」ぐらいにしか思っていないような笑顔でドア窓から眺めていた。

 

「…液体ムヒ、って感じの匂いがするね。」

「嫌だった?結灯くん、ごめんね。」

喋っている息にチョコとミントと乳脂肪のカタマリの匂いが混ざっていたが、彼の目と頬は楽しそうに緩んでいた。

「これ、好きかも。もしクリームじゃなくってチョコミント・アイスかなんかサンドにしたら、ここへ来るまでに完全にとけちゃうもんね。これでイイよ。」

「よかったー。」

彼の愛犬エスは強い匂いが気になるのか、興味を示さない。ただ、僕たちの会食に空から邪魔が入ったりしないよう、目を光らせてくれている。僕たちが初めて会った河原。今日のリモート練習が終わったご褒美にミント・サンドへぱくつくのは、ハイパー銭湯の後のフルーツ牛乳みたいで格別だ。

「僕、これ好きなの。今度は結灯くんの好きなパンを作ってくるよ。何パンが好き?」

彼はとっても綺麗な表情を作って言った。

「メロンパンナと犬のおまわりさん!それにバイキンマンもおまけにつけて!」

僕の通っていたのはアンパンマン少年合唱団じゃない。そもそも日本人だから犬のおまわりさんは食べられないし…。

「なーんて、ウソ!大好きなのはフランスパンをカリカリに焼いたヤツにイチゴとアンズのジャムを別々に塗ったのだよ。」

父のパン焼きのレパートリーには残念ながら「フランスパン」は入っていない。そんな大きな窯も技術も父には無いと思う。フランスパン職人になれるとは思えない。いつまでもこんな不幸な世の中だったら、僕はずっとここにいることができる。

「どうせフランスパンを食べるなら、パリで食べよう!」

僕は結灯くんのキラキラする甘栗色の前髪を見て、液体ムヒって感じの匂いがするクリームを飲み込んだ。

 

結灯くんは「サンドイッチのお礼だヨ!」と言って、僕にさまざまな植物の種をくれた。家で育てている草花が去年開花してつけた種だという。

「コロナ避けて貸別荘に住んでる家に花の種くれても、播けないって。」

彼は白いモザイクみたいな前歯を並べて光らせ、笑いながら言った。

「貸別荘の庭に播いてお水やって育てたらイイじゃん。」

「ダメだよ。借りてる別荘なんだから。」

「平気、平気。どうせ花が咲いてタネが採れるまでにゃ、コロナなんか終わるわけ絶対無いんだからサ。」

 

Mi luna, ven y alúmbrame,

no sé ni dónde estoy, por qué.

Oigo el rumor de aguas turbias

que me llevan lejos, muy lejos de mí.

 

我が月よ、いざ来て我を照らせ

在処、よすが、我は知らず

我をさらう濁りし河音

こぞより遠く我が身を押し去る

 

Moon river... dime dónde están

mi dios, el bien y el mal,

decid.

 

ムーンリバー…戒めよ、そは何処

我が神よ、善悪を諌めよ

 

Yo quiero saber

qué se esconde en la oscuridad

y tú lo encontrarás,

Moon river... adiós

 

暗闇に潜むものの得体、

我が知るや君は知る

ムーンリバー… さらば

 

 

おじさん「少年合唱団のみんなのにぎやかなキューバン・ルンバの歌と踊りで、『南京豆売り』でした。合唱団のみんなは南京豆は好きかな?」

団員たち(口々に)「はーい! 僕はピーナツ・チョコ! ピーナッツ・フロランタン! 柿ピーがいいなぁ! やっぱりピーナツバター・サンドだよ! くゎっちぃさびらジーマミー豆腐! チーバタソ(*´Д`)ハァハァピーナッツ・サブレ! 甘ーい味噌ピーにあったかーいご飯♡! スヌーピーとチャーリーブラウン! キャラメルコーンのピーナッツだけのやつ!

 

家の最寄り駅からは、羽田行きの直行高速バスが出ている。母が駅まで車で送ってくれ、バスに乗り、羽田第2ターミナル出発ラウンジで降り、まっすぐ歩いて手荷物保安検査を抜け(僕は替えの下着1日分とスマホとお土産とスポンジボブの財布とタオルと歯ブラシの入った通団バッグに、お母さんから渡された贈り物の豪華ディナーの重箱しか持っていない)、あとは北ピアの先っぽの搭乗ゲートまで「動く歩道」で空港の様子を眺めながら移動して、午前9時ごろ出発のナローボディーのエアバスで30分くらい飛んで、着いたところでベルトのラッチを外してボーディングブリッジを抜け、到着口からロビーに出たら、もう僕と同じ黒い折り襟の学童服を着ている(それをお互いの目印にしたら?と提案したのは僕だ)日本一の小学6年生が立って待っていた。僕はきっとここまで家から何百歩も歩いていないだろう。離陸して東京名所遊覧飛行ばりに東京タワーもスカイツリーも国会議事堂やTOKYOドームも見たし、半分より上だけだけど本物の富士山も見た。飛行機が知らないうちに北へ回って高度を落としたらしく、外を見たらなだらかな山の頂上が飛行機のお腹にぶつかるように見えて怖いと思った。アナウンスがあって飛行機は突如1本しかない滑走路の端へすとんと下りてブレーキをかけた。滑走路はこの地方にありがちな赤茶けたコンクリートに汚れたオレンジ色で線や文字の書かれたもの。間違いなく日本を跨ぐ大旅行だったはずなのに、あっという間に憧れの日本一作文が上手な小学6年生の子の前に立っていた。演奏旅行や小学校招聘のコンサートで日本中のたくさんの小学生に会う。その子に対する第一印象はたぶん的中しているだろう。一目だけでも会いたくて会いたくて恋焦がれていた子の第一印象は僕を安心させたしカッコいいとも思った。口数の少ない、必要なことしか言わない、スポーツ刈の似合うコクのある声質の6年生。その子の家のある町へゆく、1日たった1便の空港バスの車窓から見えるのは、最後までKOBELCOやKOMATSUというローマ字の書かれたショベルカーと傾いた電柱ばかりだった。彼の家は3つあり、港の近くの2つの家はひしゃげて、ガラスサッシの中に見える引き倒れ朽ちていく家具は一目見るだけでも十分不愉快だった。彼はそれから「学校へ行こう」と共通語で言ったので、二人は歩いて山側の小高い丘のようなところにあるちょっとスタイリッシュなプレーリーハウスのような学校への坂道を登って行った。正門には入ったが昇降口のようなところにも正面玄関にも向かわず、僕は通団バッグを肩へ担ぎ、そろそろ重く感じ始めた超豪華ディナーのお重箱を右手にブル下げたり両手で抱えたりしながら男の子の後をくっついていった。小学校というところへ行ったことのある日本人なら誰でも感覚的にわかる通り、校庭のあるべき場所は明白だった。それなのに、そこへ林立していたのは、なるべくナチュラルな質感が出るように腐心してデザインされた2階建ての住宅の群れだった。彼はその中の、いったいどうやって場所を見わけたのかわからないほど入り組んだ一棟の1階真ん中ぐらいにある玄関フラッシュドアをコツコツと叩いてからノブを引いて

「じいちゃん、ただいま。」と中に向かって静かに声をかけた。部屋の端に座っていた彼のおじいちゃんの顔の造作はその男の子にそっくりだった。…ということは、作文の上手なおじいさんなのかもしれない。

母の作ってくれた豪華お重のお土産をおじいちゃんの前のプリント白木の座卓へ置いて注意して滑らせた。

「これ、母からです。とってもおいしいんで、皆さんでお召し上がりください。」

印象の通りおじいちゃんは、怖い人でも気難しい人でもなかった。

工場の片づけをしているシュウト君のご両親の帰りはまだ明るい早い時刻で、いろいろな変わった匂いのする作業着を引っ張るようにして脱いだおじさんが、「ゆっくりしていきなさい。」と僕に声をかけ、お風呂に入っていった。おばさんはとりあえず台所で手を洗ってタオルで拭きながら、まず、お重を開けて「重かったでしょう?すごい!すごい!綺麗ね!アオケン君のお母さんもシュウト君のファンなの?みんなでいただきましょう!」と言いながら、僕と息子くんの丸刈り頭をぽんぽんと撫でた。

おじさんが風呂から上がると、今度はおばさんが「こんな被災者みたいな恰好じゃイヤだろうから、お風呂に入って来ますからね。」と言った。「いや、だから、正真正銘の被災者なんだよ。」と息子は笑う。おばさんは、「てへ!」と照れた真似をして脱衣場の木のドアを閉めた。

 

その子の寝る布団はまるで子供用のサイズしか無かった。ここには来客が一人で寝れるような部屋もスペースもなく、寒くなりはじめた夜目の臥所へ、招き寄せられるまま、脱皮し損ねた葡萄海老のように僕は身を折り曲げてその子の温かい寝息の始まりを吸った。彼が本当に入眠し意識を失う前にと僕は落とした枯れかけた声のまま大切な懇願をした。

 

The love you take is equal to the love you make.

A dream you dream alone is only a dream. A dream you dream together is reality.

あなたが受ける愛はあなたが与える愛と等量だ

一人で見る夢はただの夢でしかないけれど、誰かと見る夢は現実になる

 

                John Ono Lennon MBE  ジョン・レノン

 

僕たちと一緒に、少しの間だけ素晴らしい夢を見てくれないかい?

仮設住宅であることの底冷えはいかんともしがたく、僕はシュウト君の6年生の胸板に下から腕を回し、しがみ付くようにして寝た。

 

 

「じゃ、いくね?」

「なぞなぞ、超むずかしいの出してね。」

「よしきた!お兄ちゃんたちを馬鹿にしちゃダホメー共和国!」

「ブルキナファソもよろしく!」

「じゃ、カンタンなのから。第1問!」「チャラーん!」

にくっつけてかきました!さて、何をかいたでしょう?」

「えーとねぇ。」

「おい!古川ことら、ふざけんなよ!こんなの3-4年生でもわかんねえダロ!」

「おめぇ、相手は年中さんなんダゾ!」

「僕はわかったよ!」

「おめぇは6年生で漢検4級だろ?」

「こたえ、アイウエオー?」

「ほらきた。コーガっちのトラウマになるぞ。古川コトラのせいだからな。」

「じゃ、ドッキン、ドッキン?」

「違います。正解は『をかいた』でした。」

「えー?なにそれ?」

を当ててみな。」

「こんなイタイケな4歳児に、なんてなぞなぞを!幼児虐待!」

中田コーガは自分が”年中さんイジリ”の対象になっているコトに気がついていない。

「じゃ、第2問ね。ちゃらん!…名前の中に『しか』の入ってる県は?」

「お兄ちゃん、『しか』って、動物サンのシカさんのコト?」

「そう。ディズニーの白雪姫やバンビに、食用じゃないのが出てくるだろ?」

ブエナビスタ映画とジビエや紅葉鍋がそもそも容易に結びつく発想が怖い。

「ことら君。それ、5年生にもむずぅい。」

「オラ‼オラ!イイ加減にしろヨ!都道府県名なんて3年生でもわかんねえダロ!まったく」

「鹿児島県じゃねぇの?だせぇ!」

「相模くん、ハズレ!漢字じゃありません。」

シカという音が問題らしい。音響に敏感(らしい…?)少年合唱団である。

「こんなの、こたえなくっていいんだよ。ユーガくん。」

「ちがうよ。ボクのお名前はコーガ。ボクだって本科生なんだから、ちゃんとお名前覚えてよ。」

「ほら、ほら、カンタンだろ?今度は正解しなよ。年中児の本科生団員クン!」

「何だろう?…お兄ちゃん、それ、『いシカわ県』?」

「……」

少年合唱団員たちは一斉に沈黙した。

「なんだよ。なんでこんなの分かったんだよ?」

「違ってるの?ホントのセイカイは何?」

「いや…石川県だけどさ。何でわかったんだろう?北陸でちょいマイナーかなって勝手な思い込みでせめたのに…」

「カンタンだよ。学研のニュー・日本れっとうパズルでいっつもヤッてんもん。イシカワ県って、こーんなカタチ。」

中田コーガは、その小さなカブトムシの1齢幼虫みたいな白い左手のヒトサシ指を不器用に鉤型に曲げてスリのハンドサインのような形にしてこちらに見せた。

「はい。はい。団員諸君、遅くなってごめん。新しい団員の工面がようやく決まりはじめてな。」

合唱団指揮者は生成り表紙の新譜レパートリーを左掌にパタパタ打ち付けながらレッスンスタジオに現れた。

「おー!さっそくお兄ちゃんたちに遊んでもらってるな。面白い優しいお兄ちゃんたちだろう?ヨーダくん。」

「ちがうよ。ボクのお名前はコーガ!本科生なんだから、ちゃんとお名前覚えてよ。」

「ヨーダって、先生、それ、スターウォーズです。」

「出たな!ダースベイダー!フォースもフォークもソースも食らぇ!父親ぶりやがって!」

「いや、ホントのパパなんだよ。」

「ってか、ヨーダ君に遊ばれてんの圧倒的に6年生のお兄ちゃんたちの方ですケド。」

「だから、ヨーダじゃないよぉー!」

「下級生は今のうちからせいぜい可愛がっといてやんないとナ。キミらはホント急に縦横デカくなってあっという間に声変わりしくさる!じゃ、変声しないうちに、とっとと声出しからはじめよう。シスの暗黒卿の諸君。」

「…オレら結局、極悪人の方かよ。」

 

 

♪まわれ ぐるぐるまわれ

 まわれ たのしく

 まわれ ぐるぐるまわれ

 歌のメリーゴーラーンド

 出てくる 出てくる 大すきな歌

 でてくるでてくる すてきな歌

 でてくるでてくる ゆかいな歌

 まわれ 歌のメリーゴーラーンド

 

(後奏のタイミング・オーバーラップで)

タイトル・テロップ

『歌のメリーゴーランド』 第194回

 

(曲1)卵の殻をつけたひなどりのバレエ(ムソルグスキ/ラヴェル『展覧会の絵』)

 

♪ピョピョピョ ピョピョ

 ピョピョピョ ピョピョ

 ココココココ ココココ コココ

 

 ピョ ピョ コッコ  ピョ ピョ コッコ ピョー コ

 

(ホリゾン・プロジェクターは中間部 トライアングル担当少年合唱団員の手元アップを抜く)

 

 ピョ ピョ コッコ  ピョ ピョ コッコ ピョー コ

                       ピョー コ

                         ぴょ!

 

(pf伴奏のみ:続けて第1プロムナード前半(『キーフの大門』)

 

おじさん みなさん、こんにちは。 今日の『歌のメリーゴーランド』は、「食べ物の歌」です。

     もう1曲出てきましたね。最初はタマゴと雌鶏でした。

深谷寒太郎 おじさん。鳴いていたのはタマゴじゃなくて、ヒヨコですよ。

少年たち そうだよー もう手遅れだよー(口々に)

おじさん 手遅れだったかもしれませんね。最後にピアノで流れていたメロディーは、同じ組曲の中で何回も演奏される『キーウの大門』というウクライナにあった大きな門の絵の音楽です。

少年たち 本当だぁ。手遅れだぁ。

 

 

♪(ソロの掛け合いで) ピーナーッツ! ピーナーッツ!

 みんな 聴いてごらん! 愛らしいあの歌!

 (合唱)あなたも私も かわいい歌声を

 (少年たち、マンボのリズムで元気よく踊りだす)

 南の国 キューバの少年 可愛いあの子 歌いまくる

 キューバの少年の すてきな歌を聴こうよ 

 (ソロの掛け合いで) ピーナーッツ! ピーナーッツ!

            ピーナーッツ! ピーナーッツ!

 (all 繰り返し)

    ソロ: 青畑(兄)(メゾソプラノ)

        古川湖虎(アルト)

 

おじさん 少年合唱団のみんなのにぎやかなキューバン・ルンバの歌と踊りで、『南京豆売り』でした。合唱団のみんなは南京豆は好きかな?

団員たち(口々に) はーい! 僕はピーナツ・チョコ! ピーナッツ・フロランタン! 柿ピーがいいなぁ! やっぱりピーナツバター・サンドだよ! くゎっちぃさびらジーマミー豆腐! チーバ タソ(*´Д`)ハァハァピーナッツ・サブレ! 甘ーい味噌ピーにあったかーいご飯♡! スヌーピーとチャーリーブラウン! キャラメルコーンのピーナッツだけのやつ!

 

 

 僕たちの見るゆめが、僕たちの歌を聞く人たちのゆめになって、勇気や元気やファイトのみなもとになる。そんな立派な歌声を作れるような心の力と体の力をかくとくしてゆきたい。紛争や災害とは関係が無い。僕が学校の合唱団で一生懸命なかまと声をそろえて歌うのは、そのパワーを全身にたくわえたいからなのだ。

 

こう書き結んでいる合唱の作文を応募した男の子は、日本小学生作文コンクール小学校高学年の部で、今年文科大臣賞という日本一の大賞を受賞した被災地の公立小に通う優秀な小学6年生だ。

学校の図書センターにたまたま置いてあった最新の『優秀作文集』でこの作文を見かけて、何回も何回も読み直したアオケン少年は、日数も経たぬうちに関係する大人たちや合唱団主幹の高学年団員らに次々と声をかけてまわり説き伏せていった。文部科学省の通達している「被災地域の児童生徒等の就学機会の確保等について(通知)」の中の「被災地の学校に籍を置いたまま事実上避難先の学校へ就学する」弾力的で柔軟な就学制度を彼が知っていたのは、そういう子が自分の学校の2学年へすでに通学していたからである。被災児童が住民票や転出入学手続きを行わず、容易に受け入れ先の学校の授業に参加できることを経験を通じ彼はよく心得ていた。もともと考えていたホームステイの受け入れ先は学校とともにあっけなく決まった。あとは、当の本人への説得と、説得のためのスポンサーへの声掛けだけが課題として残った。

 

「ねぇ、お母さん。僕が、『被災地の子が可哀そうだから、助けてやるんだ』みたいなコトで、その子に来てもらいたいなんて考えてると思う?『哀れな子だから、呼ぶんだ」なんて、タカビシャな息子だと思っている?ところで…ねぇお母さん?お母さんはなんで僕のことをこんなに大切にしてくれるの?」

母はマントルピースの上の青御影の置き時計の長針を見つめながら表情を曇らせて言った。

「あなたは、お父さんとお母さんが神様からお預かりしている子なの。お父さんとお母さんが挫けてしまわないように、あなたは神様のところから来てくれたんだよ。」

「じゃあ、お母さんには自分の夢は無いの?」

「あなたが大きくなって神様の代わりにたくさんの人を幸せにするのがお母さんの夢だよ。」

「おかあさん、僕はあの日本一の合唱の作文を書いた子と毎日一緒に歌って、たくさんの人たちと幸せな1日を過ごすのが今の夢なの。ねぇ、今回だけは僕たちに味方して。助けて欲しいんだ。そして、僕はこの子と一緒に勇気や元気やファイトをもらって、たくさんの人たちと一緒に、たったその日1日だけでもいいから素晴らしい夢を見たいんだ。」

母は目を伏せて3秒間だけ考えた。

「一番大切なところから言うね。その子にもご家族がいて、考えてもごらんなさい、そんな立派な作文を書ける優秀な息子なんだから、絶対にご家族の心の支えになっているはずだよ。その子もあなたと同じでご家族が挫けてしまわないようにしてくれているの…それをこちらの都合でお借りして、こっちのみんなと楽しく歌いましょう!なんて、ちょっとムシがよすぎるんじゃない?お母さんが、どこかの人から『アオケンくんをたったの数ヶ月の間だけでイイですから貸してください』って頼まれたら、1秒も考えずにお断りするけどな。」

今度はレザーソファの足元に広がるモヘアの絨毯に足指の付け根をキュッと押し当てながら母は言った。

「ね、お母さん。もしも僕が、同じように、被災地の小学校の合唱団から『アオケンくんをたったの数ヶ月間でイイですから貸してください』って頼まれたら、僕自身はどうすると思う?」

母の諦念のため息が聞こえた。

「あなたは1秒も考えずに『僕、すぐに行くよ!行って歌の勉強をしたい!』って言うわ。」

息子は心底幸せそうに母親を微笑みかえして言った。

「お母さん、ごめんね。そうなりゃ、僕は少しの間だけお父さんお母さんの心の支えができなくなるんだケドね。」

 

 

(Key→E   前奏:E  G  E  G)

♪いつかどこかで会った そんな気がする

 燃える瞳をした あのかわいい子

 

 ゆうべパーティーで ラストを踊った

 もし も一度 どこかで会えば僕は二度ともう 離さない

 

 燃える瞳をした あの子のことが

 忘れられないんだ 教えておくれ

 

 どこに住んでいる なんて名前か

 もし も一度 あの子とはなしが出来るならばもう 離さない

 

(Key→ Db(+1)

 

 なにか夢みたいな あの夜のことが

 燃える瞳をした あのすてきな子

 

 何も言わないで だまっていたっけ

 だけど大きな 瞳がなにか僕に言いたそに 見つめてた

 

 燃える瞳がなにか言いたそに 見つめてた

 

JASRAC 0N0-1020-9  ISWC  T-070.271.797-2

NIGHT HAS A THOUSAND EYES, THE , 1962.

WEISMAN BEN / WAYNE DOROTHY / GARRETT MARILYNN / 詞:みナみカズみ 1980.

Bobby Vee

 

 

おじさん 聞いていただきましたのは、今月の歌。少年合唱団のみなさんで、比較的最近のアメリカのポップス『燃ゆる瞳』でした。 かわいい小さな団員くんが出てきて歌っていましたね。今、どこにいるのかな? あ、いました、いました。小さ過ぎてわからないや。

 

年中児そのもののこじんまりした幼児体型の男の子…というよりは半ズボン履いてちょっとよそ行きなイメージに化けた「園児」の風貌である。声も変わり始めてそろそろアルト送りか歌い易いソプラノのカミ手最上段送りになろうかという5-6年生のお兄さんたちが普通に歌っている少年合唱団の中で、その男の子はおそろしく矮小に見えた。

 

おじさん きみ、きみ、ちょっとこちらに出てきなさい。きみだけがやたら小さいのは、いったいどういうわけなんだい?

 

4歳児はともかくぴょこぴょこと、ステージを横切って司会者のかざすハンドマイクの前へ走って行った。走ってはいったが、ストライドがミニマム過ぎて、なかなかステージエプロンまで辿り着けない。「おじさん」役のMCは、マを持たせようと「選手は只今、山越えの長い区間を力走しております」と駅伝実況の真似事をして、客席の笑いをとろうとしていた。

 

おじさん やあ、きみ、こんにちわ!『燃ゆる瞳』のお歌の独唱は大変にお上手でしたが、他のお兄さまがたに比べて、あなただけがとてもお小さくて、かわいらしくていらっしゃるのはなぜでしょう?

 

中田コーガ んー、ぼく、違うとこのガッショーダンから追い出されてきたんだけど、『モユルヒトミ』の「♪ゆうべーパーティーでぇー ラストをー踊ったぁー」っていう一人で歌うとこなら、同じような高さの音ばっかりで間違ってもあんまり目立たないし簡単だろうからってお兄ちゃんたちに言われて歌ったの。

 

客席は大爆笑である。特に「違うとこのガッショーダンから追い出されてきた」の一言に大ウケである。

 

おじさん なんだか、よその合唱団の団員が一人、間違えて来て歌ってしまったようですが、いったいどうしたわけなのでしょう?責任者のお兄さまがた、どなたか出てきてご説明をお願いいたします。

 

加賀協太朗 はい。ソプラノの加賀協太朗です。そしてこの子は僕たち合唱団の皆のかわいい弟…ソプラノの中田コーガくんです。

 

(客席、拍手)

 

加賀協太朗  僕たち少年合唱団では、合唱の勉強のために、オリオン少年合唱団というところと3ヶ月間、団員1名の交換をやっています。今回は、このコーガくんが来てくれて、僕たち、お客様に心から楽しんでいただこうと思って、比較的メロディーの動きが激しくなく、歌いやすいこの曲のクライマックスの前半に、ソロとして参加してもらいました。みなさん、いかがでしたか?

 

(客席、拍手)

 

加賀協太朗  コーガくん、お客様は大変喜んでくださいましたよ。よかったね。

おじさん ところでお兄さん…

加賀協太朗 加賀です。(客席、笑)

おじさん 今月の歌の『燃ゆる瞳』なんですが、今日の『歌のメリーゴーランド』は「食べ物の歌」の特集なんですよ。全然関係がございませんが…。それにつきましては、いったい、どういうことになっておりますのでしょうか?(客席、笑)

加賀協太朗  はい。この曲はアメリカの新しいポップスで、歌詞はもともと英語なんですが、ジューシィ・フルーツという本邦のニューウェーブのバンドが歌うときに日本語の歌詞を使ったのが最近一番新しいものだったので。

おじさん フルーツだから、食べ物ですか?

加賀協太朗  はい

 

加賀協太朗は中田コーガの左手をとって、ゆっくりマイペースでソプラノの隊列へと戻って行った。2人が客席に背を向けて兄弟のようにあまりにものんびり哀愁のある鄙びた後ろ姿で戻ってゆく姿を見て、客席はクスりとしたりしてそこそこに沸いている。

 

 

「少年合唱団の作文が日本一上手で頑張り屋の男の子が来るっていうから、どんな白面の文学少年がご登場になられるかと思えば、なんか黒松の木の幹みたいに日焼けした、やけに健康そうなスポーツマン成分100%の男の子が来ちゃったわね。」

「歌う時以外は外でずっと走ったりしてるんだって。好きなんだよね?陸上?」

「うん。」

「シュウト君の得意な陸上の種目、何?」

「800メートルとジャベリック・ボール投げ。」

「ヒエー。僕は1km近くも全速力で走るなんてデキナイよー。無理ィ!」

「アオケン君も、マラソンとか好きだもんね。陸上やってると、歌のブレスも鍛えられるのかな?」

「関係無いよ。陸上で一番大切なのは柔軟性なんだってさ。カラダの柔らかさ!」

「なヵ、体の柔らかさとブレスって、関係アリそうじゃん。」

カタカタ、カタカタ、懸垂のロープ駆動式短距離少量輸送軌道システム。白く細い橋桁を60本弱、緘黙に紡いでいく。住宅街のあの空のレールが、その子たちを安静に、涼やかに運んでいた。

引率をしている「子供食堂」の店主とアオケン少年。ソプラノ・パートリーダーの深谷寒太郎。荷物持ち部隊だ。その荷役を相模リヒトが手伝い、パート2メゾの中梅煋次朗がニヤニヤして通団半ズボンのお尻をフリフリ両の膝をカクカクさせながら、やってきた子のコウベを眺めている。眼下には白いダイスをばら撒いたような斜面の住宅群。それらが一定速で麓の方へと流れては消えていく。平均時速おおよそ15km/h。所要時間300秒間。

アオケン少年は「美味しいよ。」と宣し、中梅は「楽しいぜぃ!」とゴンドラの空間へドライに反響する声を出した。

アオケン少年の背中へしがみついて一部始終を見ていた伊藤泰遙が4年生ソプラノらしい面立ちでこちらへ斜めに上半身をのぞかせて、練乳色の頬にメタルフレームと凹レンズの影を落とし、穏やかに微笑んだ。

「ユーリ君のおばちゃん、今日のシュウトくん歓迎ディナーの豪華メニューは何ですか?」

4年メゾが4年メゾらしい天衣無縫のまま尋ねた。

「何だと思う?チューくん、当ててごらん。」

「シュウト君、何だと思う?」

「ばーか!この子に分かるわけないだろ?初めて来たんだからサ。」

「2メゾの天才ソプラノ、名探偵次男のワシがこれより名推理を開始する!」

中梅少年の地声には妙味があって、ステージでは「カジュアル・ボーイズライク」なナレーションと人気のMCだ。

「何が名推理だよ。この寸詰まりの出来損ない名探偵コナンめ。ブッてんじゃねぇ!」

「名探偵次男のワシの鋭いスイリによると、そのメニューはユーリ氏の大好物だと思われます。」

ともかく少年たちの日常会話は天使の歌声からは程遠く、声もテンションも体温も高めで…ウルサい。

「中梅君♡スゴイ!さすが我らが少年合唱団のランウェイ子役っ!おばさんのハートのナカミも全てお見通しなのネ!大当たりだよ!大正解。」

「いや、中梅煋次朗、何を着せてステージを歩かしても似合ってるって、ワタクシ、大人の皆様方によく言われてんでさぁ。」

「何がランウエイ子役だよ。単なるランナウエー野郎じゃん。ま、キッズモデルになって、その喧しい声を出さないでいてくれるのはアリガタいがな。」

新しい合唱団員の仲間を除いて、少年たちは防滴ゴンドラの作るトランスルーセント・ブルーの小房の中を響かせるようにしてしゃべっている。

「ンてコトは、そりゃ、まさしく、あの永遠の美メニュー…『のり弁セット』?!」

「当たり!すごいね、相模っち!」

「うわぁ!食ってよし、懐かしのポリ茶瓶のお茶付いてて飲んでよし、おまけにデザートの冷凍ミカンがまた昭和時代の国鉄ノスタルジー出してて超イカスぅ!」

「♪ちゃん、ちゃらんら、ちゃん、ちゃらんら、ちゃん、ちゃらんららん~ちろり~ん!え、次はァー越後湯沢、越後湯沢でございますぅ。え、北越線虫川大杉方面お乗り換えですー。オジサーん、お弁当くださーい!」

ボーイソプラノの鉄道唱歌アナログ車内チャイム(オルゴール)と下手くそな列車アナウンスのマネごとの声が鳴り響き、新交通システムのゴンドラ内には一瞬にして胡散臭い子鉄空間が醸成された。

「いや、お茶とデザートのミカンのチョイスは、あなた方JNR食い鉄の趣味に合わせただけなんだけど。」

「でも、おばちゃん、あいつ、マジでのり弁大好きだったもんなぁ。」

伊藤泰遙は籠内の全員を見渡しながら、やっぱりニコニコと幸せそうに微笑んでいる。

「あー、知ってる!三多摩の方でやったコンサート、楽屋スタートのとき大転倒して、針で縫うほど腕や脚から血がドバーって出て、ステージの上が血まみれになったコトあったよね。」

「あー、あった、あった!『血塗られた白いハイソックス・コンサート事件』!お客さん、マジでビビりまくるのなんのって…!」

「ユーリ君、もうあの頃、ちょっと身体おかしくなりはじめてたんだわ。」

「シュウト君、知ってる?転んで血まみれになって大騒ぎだったあの日、ユーリ君はたくさんの人に助けてもらったり、お客さんやホールの人たちから『頑張り屋で勇気のある子だね』って褒められたり、お医者さんや薬屋さんに『怪我をしたのに明るくて心の元気な少年だね』って優しくしてもらったりして…」

天空の乗り物はそろそろ終点へのアプローチに入りはじめている。

「…最後にユーリ君のおばさんから、『何でも食べたいものを買ってあげるから言ってごらん』って言われて…」

「たまたま通りかかったお弁当屋さんに飾られてたのり弁を見て、『ぼく、のり弁が食べたい。』って言ったんだよね。それ以来、のり弁にド填まり!」

「だから、ココの子供食堂で何かあるときは、いつものり弁セットなの。」

乗り物は索道の傾斜が消えて停車場へ進入すると、界磁に吸い寄せられるような感覚があってソフトで自然な制動を受ける。

「深谷君、今日は貸切じゃなくて、近所の子供達も普通に来るから、こういメニューのが簡単でイイんだよ。」

「近所の子供達って、シュウト君が『被災児童就学機会確保』の受け入れで通う学校の子たち?」

スカイゴンドラは殆どノイズのようなものを客室へたてずに止まった。深谷寒太郎は、初めての子が転んだりしないよう、やってきた子の右手をそっと引いて車外へ誘導した。

「何よりも、シュウト君が来てくれた事って、ユーリ君からのプレゼントなんだと俺は思う。俺たちみんなそう思ってる。」

「悪いわね、食事は朝昼晩毎日子供食堂で、夜は死んじゃった子の部屋でホームステイさせて、」

「ユーリのユーレー出てきたら、こないだの『しらんぷり』のレコーディングで釜やん以外の俺らのこと、地震から助けてくれたお礼をくれぐれもしっかり言っといてくれよナ。」「必ずだよ!」「ホント、俺らマジで大ケガで負傷するとこ、助けてくれたんだから!」「感謝してるんだよなぁー!」

エンタランスへのアプローチは半野外なので、階段は滑り止めタイルの付いたコンクリート階梯になっている。中梅煋次朗は4年生らしいガニ股で短い半ズボンの股を引き切って、先頭をガシガシとタカアシガニにように降りていく。

「そういや、あれ、あの後どうなったの?」

「録音し直しましたよー!ケーブルテレビでやってる地方の放送局制作のミニ番組みたいので、BGMみたく流れてたって。」

「リンゴだから、いわてめんこいテレビとかで?」

「知らないです。」

 

 

(曲)ドロップスの歌:少年合唱団

 

(曲)パンのマーチ:会場全員

 

おじさん みなさん、『パンのマーチ』が大変お上手でしたね。『ドロップスの歌』も神様方には大変申し訳ございませんが、ポロンポロンと大変楽しゅうございました。さて、次の「食べ物の歌」ですが…

藤井椎太 (隊列から進み出てきて突然おじさんに手話で話しかける)

おじさん (藤井椎太の手話を読みながら)『パンの歌』は、ことばの不自由な人も、一緒に楽しめる方法がある?…これまた、何でしょう?歌わないでも楽しめるのでしょうか?(おじさん、客席の方に半分体を傾けて、藤井に手話を繰り出して、声に出しても尋ねる)…それは、どう、楽しむ、できますか?

藤井椎太 (手話を客席の方に見せながら、ニコニコする)

おじさん (藤井少年の手話を声に出して訳す)合唱団が歌う、歌詞の中のパン、そこで手を叩く…なるほど、歌を聞きながら、「パン」のところで手をパン!と打てばよいわけですね?

藤井椎太 (”楽しい!”の手話を繰り出しながら、頷き、愉快そうに笑う)

おじさん では、少年合唱団のみなさん、最初の出だしのところを歌ってみてください!会場の皆様も、お手を拝借。一緒に「パン」の歌詞に合わせて手を叩いて練習してみましょう!

 

(藤井椎太、”楽しい”の手話をやりながら隊列にもどっていく)

(伴奏、前奏の最後の2小節からややゆっくり目に)

(合唱団、歌いながら歌詞「パン」のところで大袈裟にパン!と手を叩く)

 

おじさん 大変お上手です!それでは、1番だけ、合唱団のお友達と一緒に会場の皆様も手を叩いて楽しみましょう!

 

(曲)パンのマーチ:会場全員 (伴奏、ややゆっくり目に)

 

♪ パン パン パン パン

  パン パン パン パン パカ パン パン パン パン パン 

  パン パン パン パン

  パン パン パン パカ パン パン パン パン パン

  アンパン ジャムパン クリームパン チョコレートパン 

  日本中の子供が すてきなパン 

  パン パカ パン パン パン

 

おじさん いや、愉快!愉快!会場のお客様がたも、パンの手拍子が大変お上手でした。パンという言葉が歌詞の中に本当にたくさんあったのがよく分かりましたね。

 

 

少年合唱団のステージメンバーへの再配置にあたって、『被災児童就学機会確保』の久里乃シュウトにはカラダで覚えるべきクワイアーの慣習が山ほどあった。

「左右は気にしなくてもいいけど、入退場の歩幅とタイミングはなるたけ合わせていこう。そうすれば、お客様は僕たちが”統率の取れたきっちりと集団行動をこなす合唱団だ、見ていて気持ちいい”と思ってくれる。僕たちがいつもの通り歩くから、一緒に練習して感覚を掴んで!」

アオケン少年たちはパートのいかんにかかわらず、熱心に移籍団員に付き添って一から様々を判示し、手解きし、一緒にやってみせ、完了すればお世辞でなく褒めてともに喜んだ。臨時団員は、自分の右で歩く伊藤泰遙といった背丈がやや低くストライドの小さな団員が、6年生団員に合わせ両脚を精一杯開いて、それでも無理しているようにだけは見せずに行進している不退転をすぐに見抜いて、

「背の低い子も6年生みたく堂々として見える。カッコいいね。」

と標準語で言った。

「昭和時代、少年合唱団のステージのパートの最初と最後には、毎回必ず幕が下りてたんだって。だから、昔のお客さんたちは、僕たちがステージの上で歩くのをソロの出入り以外は見たことがなかったらしい。うらやましいケドね。でも、21世紀になってから、合唱のステージには幕が下りなくなったから、僕たち令和の少年合唱団は出ハケの様子をお客様に見せて楽しんでいただく。ただ、少年合唱団は革靴を履いているから、足音をなるべくたてないように気をつけようね。」

「歩幅の感覚はだいたい覚えた。腕の振り方を次に教えて?」

佐久平レキが彼らしい音吐でぽつりと口を挟んだ。

「腕は、歩幅や蹴り出しのタイミングで誰でも自然に決まるから、気にしなくていいよ。それより、目線を言ってあげた方がいいんじゃないかな?」

佐久平は高学年になってから、本当にステージの様々を冷静に判断できる少年に成長している。指導団員たちは自分らの失念に気がついて言い添えた。

「目線はあまり神経質にならなくていいと思うよ。キミも経験あるはずだけど、合唱の入場では立ち位置の判断が必要だから、目線はそのために注意深くなっている。だから、変にキョロキョロしたりしなければ大丈夫。それから、足音を立てない必要があるわけなんだけど、立ち位置の判断は、耳も大切なアンテナなんだよ。そのことは、聾唖の椎太くんから学んだ。あんなに注意深い子なのに、入場のときだけは前を歩いている子と急にぶつかったりするんだ。声も出ないし聞こえもしない団員から、僕たちが教わったことはすっごく多いよ。」

少年たちはトイレ休憩のタイミングを惜しんで交代してでもステージの様々を話してためしに演じもして彼に恥をかかせまいとした。最後の最後に皆はソリストの出ハケの処理を練習してやった。

「ドライリハの時点でもう分かってると思うけど、ソロの子は高学年が多いから、必ず列の後ろから最短のルートを通ってステージ前方に走り出てくる。それをしっかり覚えていないと、前の列の子が進路妨害をしてみっともない。誰がどの時点で出てくるかを覚えて、足音が聞こえたらルート上の前列にいる子は身体をソリストの進路の方に右左向け右して向き合うようにしてソロを通すの。」

「独唱の子は必ずその子たちが向き合っている間のスペースを通って出入りしてね。」

「団員間隔を開けて歌うアンパンマン少年合唱団じゃ、前の子を突き飛ばしてソロやMCが出てくるっていうのは有名だけど、きっとありゃ100パーセント演出だな。あれだけルックスが良い子ばっかりだと、お客さんも団員が何かやらかすのを楽しみに待ってるわけだから。」

「ま、俺らの合唱団とは、ガイケンが数レベル上で違うわな…」

「前に立ってる子たちが忘れてたり、うっかりしていたりしたら?」

「それは時々あるよ。そしたら、ちょっとうつむき加減で『通して』ってその子たちのところで声をかけて。それでも分かってもらえなくて前の子達の肩をポンポンって叩いた先輩も前にいたけど、そんなことは滅多に無いな。」

 

 

♪アップ アップ アップリケ

 かわいい仔犬のアップリケ

 みどりの フェルト地に

 まっ赤っかな アップリケ!

 

 ゆらゆらゆらゆらゆれてる スカートと

 いっしょに いっしょに いっしょに 

 ゆれてる かわいい仔犬のアップリケ

 

 アップ アップ アップリケ

 かわいい仔犬のアップリケ

 

男の子は1番を終えた2小節の間奏の間に、ソプラノ声部隊列2段目から、いささか周章狼狽気味にステージエプロンセンターに立つマイクスタンドの独唱者スタンバイ位置へ進み出ようとしているところだった。黒いローファーに、こういうノスタルジー牽引企画へよくあてがわれるダブル履きの白ハイソックスのつま先を雛壇の縁にかけ、ストンと下段へ踏み出そうとするも、前列の3年生団員らはしっかり隊列をキープして、その進路を無頓着にブロックしている。彼らは臨時配属の団員がソロに確定したことをすっかり忘れてしまっていたし、そもそも自分の後ろからこのタイミングで独唱の登板があるという経験を持っていなかった。中原収一の挿画が描くようなモダンなラグタイムの間奏のテンポは速く、久里乃シュウトは身につけたクリーニングしたてのジャケットの腕から突き出たワイシャツのカフスが、上着の袖に引っかかって丸見えになるのもかまわず、両の手で目前の下級生の2つの肩をポンポンと軽く叩いた。2番の伴奏はあと1秒も経たずに始まる。

 

♪アップ アップ アップリケ

 ガラスの われめの アップリケ

 

最前列の3年団員がようやく気づいて向かい合い始めた僅かな間隙を身を斜めに無理やり通り抜け、少年はちょっと見1960年代後半の松濤や九品仏や御殿山あたりの良いお家の上品な小学6年生といった風情で、あろうことか歩きながら2番冒頭を歌い、スタンドマイクの前へ進み出て行った。

 

♪四角い ますの目に

 水玉模様のアップリケ!

 

後方で、瀬戸際の状況を平然と乗りきった移籍ソリストの行動に胸を撫で下ろしている団員たちの、音にならないような安堵のため息が気配として感じられる。久里乃シュウトのボーイソプラノは、明らかに男の子の硬い胸板が鳴らす少年だけが提供可能の高貴なものだったが、男の子の口腔で共鳴した音は彼なりの峻烈さを湛えていて見事だった。特に喚声域の処理の仕方が手慣れて出色で、子供や男の子じみた拙い欠缺を全く感じさせなかった。歌い慣れ、注意力に裏打ちされ鞏固。それをこんな昭和じみた子供の歌の2番のソロだけでタップリと鮮麗に聞かせている。

 

♪ふわふわふわふわふわ ういてるシャボン玉

 きえずに きえずに きえずに 

 ういてる 水玉もようの アップリケ!

 

 アップ アップ アップリケ

 水玉もようの アップリケ!

 

彼の来歴を知る者たちは誰しもが決して口に出して言わなかったが…陸上競技も大好きでビスケット色に顔や四肢の日焼けした彼が、被災地の公立小学校の、歌とチームプレーに熱心な合唱クラブの所属児童の一人のまま終わっていたとしたら、私たちは決してこのような、美しさの高揚を心に浸透させる、人肌の温もりを持つボーイソプラノを聴くことも公的な記録に残すことも能わなかったであろう。

 

♪アップ アップ アップリケ

 パパのお顔にも アップリケ

 おでこや ほっぺたに

 バンソウコウの アップリケ

 

歌唱は合唱団のコーラスへ戻ったが、この合唱団の慣習に従わず、シュウト少年は構成台本の的確な指定通りソロの位置で歌い続け、歌い終わってから隊列へ復帰した。

 

♪ペタペタペタペタ ついてる赤十字

 鼻にも 鼻にも 鼻にもついてる

 バンソウコウの アップリケ!

 

 アップ アップ アップリケ

 バンソウコウの アップリケ!

 

 アップ アップ アップリケ

 バンソウコウの アップリケ!!

 

 

(中梅煋次朗、『パンのマーチ』の客席指導の最中に目立たぬようホリゾン側から退場→名探偵次男のコスチュームにチェンジ。シモ手袖にて待機)

(カットインでBGM『歴史探偵』のテーマ曲。 ステージ照明地あかり6割。 中梅、シモ手より注意深そうに登場し、スポットライトで抜く。客席に向い)

中梅 ところで客席の皆さん、あいつは先ほど、皆さんに何か気になるヒントを言っていませんでしたか?

(中梅、客席を見回して一癖ある意味ありげな笑い。BGM音量落とし気味に 客から疑問の声があがったようなそぶりで)

中梅 あいつ?…って、そりゃ、怪盗キッドに決まってるじゃないデスカ!カ・イ・ト・ウ・キッ・ド!

(中梅、腕組みをしてセンターで仁王立ち。少年探偵団ふうに合唱団のキャスト、出てきて中梅の横へ並び立ち、

青畑(兄) …怪盗キッドを知らないって?お客さんたちゃ、モグリの善良な市民ですね。普段はマジックが得意なお調子者の男子小学生として生活しているが、裏では日夜警察を翻弄する神出鬼没の大泥棒…またの名を赤羽快斗!

釜谷流星 え?ここに出てきたこの少年は誰かって? 知らざぁ言って聞かせやしょう!

瓶田聖斗 …見かけはいたいけで純真な小学4年生。見た目はコドモ、中身は幼児!雪のような肌に真っ赤なタラコくちびる、美少年要素100パーセントの少年探偵、またの名をドブ川ジナンこと、その名は迷探偵次男!

丘村虎夢 ボクたちカッコかわいい少年合唱団の皆とガッチリ協力し合い様々な難事件(?)を次々と解決に導く毎日です!こ以後お見知り置きを!

中梅 …ここ、なんとか拍手お願いします・・・。(頭を下げる 各席、反応)

中山アンビ ねえ、そういや、今、独唱で前に出て歌っていた子、あんまり見覚えの無い団員じゃなかったかい?

ピックアップ団員たち (口々に)そういや、知らない子だった 知らない子だった 誰だったのかな(など)

 

(BGM、スニークでFO)

 

子供の顔を見るだけで、その子の夢や「志」と言ったものを占うことは可能なのだろうか?仮にそれが感情を表に出しやすいような男の子であっても、察知や弁別は困難であろう。舞台シモ手で相変わらず腕組みをしたまま肩を左右に揺らしていた中梅は、コスチュームの利き手を彼の利き手でない方の下から回して真っ赤なマットの蝶ネクタイの剣先をスッと撫でるとマリンブルーのブレザーのラペルに沿わせ、得意げに言い放った。

中梅 ヤツの今回の窃盗の標的はキミたち少年合唱団員の夢だ!

古川ことら 夢だって?

瓶田聖人 夢?

釜屋流星 夢?

青畑(兄)そんなバカな! でも、どうやって?

丘村虎夢 誰の見る夢も実際の色や形も無ければ、夢はそもそも僕たちのレム睡眠中の急速眼球運動をともなう神経活動に過ぎない!

中山アンビ それをどうやって盗むっていうんだ?

古川 夢みたいな話だ!まったく

瓶田 夢見るように眠りたい!

釜屋 『真夏の夜の夢』王子様の役で僕もバレエ出ました!

青畑(兄) ほぼ、寝てるだけの役だったけどな。

中梅 例えば!男の子の見る夢ってのは、たいていその子の外見で他人にもわかるってものさ!

瓶田 ジャ、サ、試しにこの子の夢、当ててみて?(瓶田、隊列の中から五十嵐を引っ張ってきてステージかぶりつきに立たせる)

ホントに分かるのかい?

(SEほんのサワリだけ『歴史探偵』のテーマ曲を煽る 中梅、もっときつく腕組みして唸り声のようなものを上げて考える)

中梅 わかった!真実は1つ! キミの見る夢は…(セリフ、溜める)…コレだっ!

ピックアップ少年たち それは?!

中梅 国産和牛とモッツアレラのパイ包み焼きエストラゴン・フレーバーのクリームソースがけ!と、そして…

少年たち そして?!

中梅 八宝菜とアワビ、上海蟹のスペシャルオイスターソース煮と香ばしい五目おこげ、さいころチャーシューきっしりのモッチモチ中華ちまき、ツバメの巣のスープを添えて!

少年たち おぉー!

中梅 デザートにはシャインマスカットと佐賀県産”雪ウサギイチゴ”ぎっしりの山盛りフルーツパフェにマンゴーと最高級チョコ満載のデザートタルト・タワーに甘ぁーい金箔キラキラのゴディバ・チョコドリンク7色のチョコスプレーがけ? …このセリフ、長すぎて覚えるの大変だったんですヨ

少年たち うぐっ!…だんだんキモチ悪くなってきた…

中梅 どうだ?その通りだろう?

五十嵐 (うるうるしながら)スゴイ!僕の夢、そのまんまだ!うれしいよう!

アオケン君 ねえ、ねえ、どぶ川ジナンこと迷探偵次男くん、これってこの子の外見のみで判断してない?

五十嵐 ガ、ガイケン?!合唱団一ふくよかで真っ赤なほっぺの美少年ナンバーワンのボクの外見のコト?

少年たち 確かに…

(五十嵐 ステージかぶりつきから隊列へ復帰)

アオケン君 それなら、さっきアップリケのソロを歌ってくれたこの子の夢をキミは当てられるのかい?

中梅 どの子?(隊列を傍観)

アオケン君 この子! (隊列から久慈乃シュウトの腕を掴んで連れてくる)

中梅 迷探偵のワシはこのような団員は知らん!初めて見た。

アオケン君 はい‼まず一つ正解!この子は、今日、僕たちと初めて一緒に歌った6年生なんです!(客席に向かい)でも、皆さまでしたら、この子をご存じかもしれませんよね?

中梅 いやいや、お客様方、ご存知ないでしょ。どうでしょう、これからワタクシ迷探偵と一緒に、この子が誰で、どんな夢を持ってるか、当ててみましょう。

古川 まず、男子だな。(客席が笑う間をとる)

丘村 小学6年生!

中梅 それ、さっきアオケン君が言ってたよ。

釜谷 アップリケのソロがすっごーく上手で良い声だった!

瓶田 わかった!日本一のボーイソプラノ??

アオケン君 また一つ当たりです!

(久慈乃、頭を掻くなど照れるジェスチャー)

中山 あとは、僕も転校生だからわかるけど、東京の子じゃないよね。方言みたいなイントネーションがある!

アオケン君 うーん!近い!惜しいです。場所はどこ?

中山 場所???

アオケン君 …自衛隊のお風呂に入れてもらったこともあるんだよね?こないだまで、仮設住宅に住んでいて、こっちに来てから団員のお友達の家に寄宿しています。

中梅 え?まさかの被災地?被災地から来てくれたの?

アオケン君 またしても正解!!さすが迷探偵次男!大当たりです。でも、この子が何で日本一のボーイソプラノなのかの謎解きはできていないよね。

丘村 そりゃ、被災地の学校とか地域の合唱団に入っていたからだよね?

アオケン君 (久慈乃に尋ねる)それ、合ってる?(久慈乃の応答を聞いて)その通りだそうです。でも、みなさん、この子の一番肝心なことがまだ、わかっていませんヨ。何でしょう?

中梅 ねえ、難しすぎるよ。実は大食いで、「金箔バリバリのゴディバのチョコレート食べる」のが夢ってなワケないし…。客席の皆さんだってわかんないよ!ヒント!ヒントください。

アオケン君 日本で一番なのは歌だけじゃないんです。シュウトくん、何で日本一になったのか、ジェスチャーで教えて?

(久慈乃 何かを書くジェスチャーをする)

(子供たち口々に お習字? スケッチ? お手紙? 俳句? など)

アオケン君 これだけじゃないんだよね。続きは?

(久慈乃 書いたものを持ち上げて読み上げるポーズ)

中梅 わかった!音読?…違う? じゃ、作文?

アオケン君 そうなんです!何の作文?

中梅 決まってるじゃん! 合唱の作文でしょ? 日本一の合唱の作文を書いた6年男子?!

アオケン君 そう!大正解!ここにいるこの子は「僕たちの見るゆめが、僕たちの歌を聞く人たちのゆめになって、勇気や元気やファイトのみなもとになる。そんな立派な歌声を作れるような心の力と体の力をかくとくしてゆきたい。」という作文を書いて、今年日本小学生作文コンクール小学校高学年の部で、文科大臣賞という日本一の大賞を受賞したスゴイ子なんです!じゃ、自己紹介をどうぞ!

久慈乃シュウト 皆さん初めまして。僕は久慈乃シュウトと言います。この合唱団の守間ユーリ君のステキな家に居候していて、今日、この合唱団でデビューしました。よろしくお願いします。そして、僕の夢は、さっきアオケン君が僕の紹介で言ってくれました。この合唱団のみんなやお客様と一緒に歌って、聞いている皆さんや合唱団のみんなと幸せな気持ちになることです。合唱団のお友達、僕を呼んでくれてありがとうございます。僕はもちろんとってもしあわせだけど、被災地にいて頑張っている合唱団のみんなや僕の家族が一番喜んでくれています!

 

中梅 客席の皆様も、大切な素敵な夢をお持ちだと思います。ここにいる久慈乃くんのように、夢泥棒、怪盗キッドへ自分の夢を分けてあげられるほどたくさんの、抱えきれない、大きな夢をお持ちください!たとえば、合唱団の芳林坊テル君のように…

 

芳林坊テル (将軍様の物腰で、刀剣を構えるジャスチャー)悪徳代官中梅煋次朗!余の顔を見忘れたか?「余だとぉ?このようなところに上様が居られるはずは無い!こヤツを切れっ!切れーっ!」シャキン!シャキン!(チャンバラの真似事)「成敗ッ」バシュっ!…子供殺陣を習っている僕の夢は大岡忠相になることです!

中梅 暴れん坊将軍=徳川吉宗になることじゃなくって、大岡タダスケ? 上様じゃなくて何で江戸南町奉行ごときに?

芳林坊 大岡タダスケなら、『暴れん坊将軍』でも『大岡越前』でもチャンバラができるからです!

    ♪ルールー ルルルルルルル ルールルー(暗転まで『大岡越前』のスキャットを歌いながらオンステージ)

 

 

「国産和牛とモッツアレラのパイ包み焼きエストラゴン・フレーバーのクリームソースなんちゃら…みたいのじゃなくて、ごめんなさい。」

「ユーリ・ママ、ありゃ予科上がりの大塚K太くんのパパたちが作った今日のコンサートの台本に書いてあるタダのセリフですよ。」

「あのドラマはフィクションです。実在の食品やメニューなどとは関係ありません。」

「それよか、中田コーガが無事ホンバンに耐えて笑いもとってたのが良かった!ホッとして食欲でたよ。」

「年中さんなんか、ソワレのステージの上で歌いながら寝ちゃうんだと思ってた。」

子供食堂の中は小学生の男の子の匂いでいっぱいだ。彼らはステージがはねて着替えた汗だくの通団服のまま、食堂店主に連れられてここに帰着した。久慈乃シュウトは既に、当家の子供になったようにくつろいでカウンターで箸を運んでいる。

「でも、冷たいお弁当で嫌な子はレンチンもしてあげるから言ってネ。」

「おばさん、今日はあくまでもシュウトくんの保護者なんですから、そんな無礼を言うヤカラは大岡タダスケ気取りの芳林坊テル坊に手打ちにしてもらいやすぜ!」

クリアのFIX連続高窓からは、古びた国際宇宙ステーションの観察ウインドウから眺めたような星々がちらちらと見えている。唯一ISSから見る光景と違っているのは、そこに巨大な地球の姿や眼下のオーロラが視認できないことぐらいだ。

お正月のお重箱を模して、真四角の折り詰めに昆布巻きや栗きんとん、紅白かまぼこ、レンコン、卵焼き、小さなローストビーフやハムが楽しげに収まっている。みな、冷たいものだったけれど、彼らは東京の雑煮ふうのチキンもも肉とミツバと焼き餅の入ったおすましを啜りながら、歌いきった今日1日の勤めをしめやかに癒した。

「本当は、歌って夢を見に来たわけでも夢を見せに来たわけでもないんや。」

口数の少ないスポーツ刈りの黒いその子が突然口を開いたので、少年たちは箸をとめ、かりそめの保護者とともにその言葉へ耳をそばだてた。

「アオケン君が来て、家のみんなとアオケン君のお母さんが作ってくれたお重を食べて寝た日の夜、夢を見た。…天国にいるはずの誰かが、『よろしく頼む』と繰り返し僕に頭を下げるし…相手は誰だかよく覚えてない。あそこにいると、大人の人たちは解体のおじさんたちに『よろしくお願いします』とよく頭を下げていたから、夢にも出て来たのかもしれない。とにかく『よろしく頼む』と頼まれた。」

「それ、ユーリ君じゃね?キミは、オレらの臨時合唱団員になって歌うことを託されたんだね。」

「ユーリ君、そっちへ行って夢枕に立ったのかもしれない。」

「わからん。…そういう夢だった。だから、夢を見に来たわけでも夢を見せに来たわけでもないんや。」

「よく来てくれたね。ありがとう。」 合唱団ソプラノリーダーの深谷寒太郎が謝するよう静かに言い置いた。

「身体はコドモ、中身は幼児…迷探偵次男、そういうワケだから、怪盗キッドには夢はかなっちゃってもう無いといっておいてくれ。」

子供化探偵を演じた4年メゾ中梅煋次朗がかまぼこを指づかみで咥えながら、

「そうなのかな?」

真っ赤なタラコくちびるで疑いの声を発した。

「『100万回生きた猫』が100万1回目に死んだのは、猫がようやく心から白い猫と家族を愛しきって泣くことが出来たからだよ。僕はまだ僕らの夢を見終わりにしたくない。みんなで歌える最後の最後の日まで、シュウトくんとみんなできっちり思いっきり泣いたり笑ったり歌ったり演じたりして夢から覚めてみたい!」

カウンターのこちら側には、男の子らの膚のたてる匂いや人いきれと、冷たい食べ物たちや江戸雑煮の匂いが入れ替わりはじめた。だれもが4年生の音吐を聞いて信念に充ち満ちた思いを凝らし、一言も口をきかなかった。

ただ、アオケン少年だけが心から憧れるこの日本一のボーイソプラノの作文を書いた黒い男の子の胸にしがみ付いて、「僕たちと肩を並べて少しの間だけ一緒に歌ってくれないか」と小さな子供用夜具の中で懇願したあの一夜の、やわらかで穏やかな四肢の匂いを折詰の彼方へ思い描いていた。