平成最後のヴァレンタインの日に母が91で大往生しました。
大流行したインフルエンザと肺炎を併発し、
たった2~3日の間で急変してしいました。
あっと言う間の出来事です。
戦争を経験し、小学校の時空襲から退避したところ、母より後ろの子供たちが丸焼けになったと話していました。私が戦争のTVをつけると思い出すそうです。決まって戦争は嫌だといってました。
一度、心不全で意識がなくなる直前に病院でペ-スメ-カ-をつけ、かろうじて、生き延びました。
親不孝行のまま過ごしてきましたが、ボケの様子がまったくなく、足が不自由になった以外、このまま100才まで生きても、なんら不思議もなさそうでした。
昭和、平成を生き、もう少しで新元号を知ることになった筈なのに、残念です。
梅も咲いているか、いないかのこの日、見せることも出来ずにいて、
母を偲び詠みました。
梅を見ず
元号も知らぬ
野辺の雲
(梅も見ず、
元号も知らず
逝く母かな)