懐かしのアルバムから(3) *岩手釣行 | 気ままにアウトドア

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今回は渓魚を求めて東北岩手へ遠征した時のお話し

(1991年5月)

 

会社の同僚で釣り仲間のSさんとT君とで

岩手遠征の計画を立てた

人の多いGWを避けて静かな渓を楽しもうと

土日を挟み二日の休暇を取ったのでした

 

木曜日の夜、Sさんのワンボックスカーで一路岩手へ

三人で運転を交代しながら夜の高速道路をひた走り

明け方には岩手入りしたのでした

 

当時、SNSも無くネットも然程普及していない時代

地方の釣り場情報は皆無に等しく

地図を広げて眺めまわし経験と勘をフル動員

目ぼしい沢を探し出します

先ず上流部に温泉がある川はかなりの確率で魚は生息せず

また温泉が無くても川の名前に”湯”とか”赤”とか”濁”が付く川は

多くの場合、温泉成分が含まれていると考える

 

では、なぜ温泉成分がいけないのか?

実際、岩魚や山女魚にはある程度の耐性が備わっていて

そんな水質でも生息は可能なのですが

肝心の餌となる水生昆虫が生息出来ない

それは、水生昆虫の餌となる藻類が発生しないからで

強い酸やアルカリは植物にとって大敵

食物連鎖の底辺が築かれなければ

上位の魚も住めない訳だ

一見、青々として底石まで見透かせる川に

魚が棲まないのはこんな場合が多い

”水清ければ魚棲まず”の言葉も

そんな様子から生まれたのかも知れません

 

ちょっと話が脱線してしまいましたね

それ以外にも水線の始まる高さや

沢の流程の長さとか標高差だとか

地図から得られる情報を読み取って

怪しい(目ぼしい)沢へと直行する

 

と、ここまでさも難しそうな事を書いてしまいましたが

長閑な北上山地に分け入る沢の多くには

渓魚たちが生息していて

闇雲に沢へと入ってもちゃんと魚が釣れました

 

さて、釣りの方は

三人で両岸に別れ下流から

順番にポイントを探っていくやり方

竿を出して先ず驚いたのが

魚が全く擦れてない事

一度鉤掛かりに失敗しても

何度でも餌に飛びついてくる

釣鉤の怖さを知らないのか警戒心もない

なので、魚が釣れる釣れる

関東周辺の擦れっ辛しの魚からは

想像できないほど初な魚でした

 

然程の距離を釣り上がらないうちに魚籠が重たくなって

その日は早々に釣りを切り上げました

 

三人で爆釣した釣果はこちら

釣果を前にT君と

 

 

夜は河原でキャンプ

持参した食糧は白米と乾麵(うどん、ラーメン等)と調味料

後は全て現地調達で賄いました

 

岩魚や山女魚の塩焼きやムニエル

タラの芽やコゴミ、ウドの天ぷら、お浸し

小まめなSさんが食事担当で

テキパキと腕を振るいます

自分は流木を集め焚き火担当

T君はテント設営係

皆其々に作業を分担して

楽しい夕餉になだれ込みます

ただ一つ残念な事が二人共お酒を飲めない事

自分一人で飲んでもつまらないので

この遠征中はアルコールは無し

でも、結局のところ同じ趣味人同士ですから

楽しさにお酒の有無は関係ありませんでした

 

5月と言えども北上の夜は冷え込みます

安物の寝袋に包まって三人でくっ付きながら

野郎同士でキモイって言われそうですが

それが一番暖かでした

 

***

 

そんな釣り三昧生活の三日間

護岸等、人の手の入らぬ川中で

気の置けない釣り仲間と

日がな一日

初な魚と戯れて

採れたての山の幸を喰らう

チロチロと燃える焚火を囲み

ぼそぼそと語り合う男たち

BGMは傍らを流れる水音と

物悲しいトラツグミの声

街明かりの無い北上の夜空を眺めれば

芽吹き出したダケカンバの梢に

北極星が煌めいて

ふと、宮沢賢治も

こんな夜空を見ていたのだろうかと頭を過ぎる

 

それから数年後

再び北上の渓を訪れてみた

相変わらず渓は長閑に流れ

イーハトーブの森は健在だった

ただ一つ変わっていたのは

あれ程初な渓魚たちが警戒心で武装していた事

あの爆釣の噂は釣り仲間の間で口伝てに広まって

多くの釣り人を引き寄せてしまったらしい

 

区界峠付近から望む早池峰山(1993年5月29日)

 

 

あれからもう30年近く経って

T君の消息は不明

Sさんとは時々連絡を取り合ってる

もう体力的に考えて渓流釣りは卒業と言うSさん

あの享楽の時の再現は

叶わぬ夢に

 

今でも古いアルバムを開くと

あの享楽の日々の記憶が蘇ります