最高峰を北に向かって下る。
シャクナゲとコメツガの幼木の藪も直ぐに終わる。
コメツガ林の微かな踏み跡はもう完全に判らなくなってしまった。
尾根幅は100mはあろうかと思えるようなだだっ広いものとなり、もうどうにもならない。
到る所に大きな倒木があり、乗り越えたり潜ったり、あるいは大きく迂回する。
道形の無いササ原は、足を高く持ち上げ踏みしだいて行かなければ前に進む事が出来ない。
前方に「小法師尾根入口→」のプレートを見つける。
かつては小法師尾根からのルートもあったのだろう。
小法師尾根入口のプレート
そのプレートの周辺を見渡すが道形らしきものは見いだせない。
仕方なく北方に向けてササ原を踏みしだいて行く。
法師岳であろう峰から急斜面を下って行く。
朽ちかけたビニールテープが幹に巻きつけてある。
道形と言えばそう見えるがシカの足跡が道形を崩してしまっている。
ササと立木にすがりながら急斜面を下って行く。
前方のササの中に黒いものが動いているのを発見する。
距離にして20m程。
セミの声でクマ避けの鈴は用を為していない。
いつものように手をパンパンと叩いてみる。
黒いものの動きが止まった。
もう一度手を叩く。
反応は無くそのままだ。
1分程様子を見て、「オーイ」と大きな声で呼びかけて見る。
するとスッとクマが立ち上がった。
胸元の白いツキノワ模様がはっきり見て取れる。
立ち上がったままこちらをじっと見つめている。
セオリーでは目を逸らさずに後ずさりに距離を空ける訳だが、急斜面を下って来た所、後ずさりは不可能だ。
思い切ってもう一度「オーイ」と叫ぶと、クマはクルッと身をひるがえし西側の斜面の方に走り去った。
時間にすればそう長い時間では無い筈だろうが、とても長い時間に思えた。
今までに何度かクマは見ているが離れた樹上だったり対峙する尾根上だった。
こんな至近距離は初めての経験。
これが最初で最後にしたいものだ。
ササの背丈が低そうな西側斜面寄りを行こうと思っていたのだが、クマの走り去った方向なので仕方なく東側を進む。
ササは背丈程もありあのクマは2m位はあっただろうと想像できる。
背丈ほどのササ藪の登りにかかる。
両手でササをかき分け足で踏みしだいて行く。
労力ばかりかさみ一向に進まない。
風の通らないササ藪の中汗だくで奮闘する。
シャツから出ている両腕が、小さな引っかき傷だらけになり汗が沁みる。
時折、大きな声で「オーイ」と叫ぶ。
もうクマには遭遇したくは無いのだ。
1:58 男山に到着。
男山を下る。
相変わらず両手でササをかき分け足で踏みしだいて行く。
同じ動作を繰り返して行くうちに要領が掴めて来る。
まるで雪山のラッセルのような感じだ。
男山の次の小ピークを過ぎる。
ササ丈は腰程の高さになる。
前方のコメツガとダケカンバに見覚えのあるプレートが見えた。
六林班峠に到着したのだ。
時刻は 2:32 だった。
ここまでのササ藪との奮闘から解放された安堵感から体の力が抜けて行く。
今日はここにテントを張ろう。
まだ時間的に余裕はあるがかなり体力を消耗してしまった。
小高い場所にテント一張り分のザレ場を見つけテントを張る。
シカの生息密度はかなりのものらしく到る所に糞がころがり、設営中も幾匹かのシカが警戒の声をあげ通り過ぎて行った。
明日の予定を考えたが、ここから引き返そうと決める。
予定していた皇海山へは一度足跡を付けているからだ。
今回の縦走で袈裟丸山の3本の登山道と、皇海山までが足跡で繋がったわけだ。少しだけ優越感に浸れる事ができた。
疲れているとは言え寝るまでには時間があり過ぎる。
いつものように泡盛を飲みながら(星野道夫)を読む。
テントの外ではシカが足音を発て鼻息をならしながら通り過ぎて行く。
雄ジカの茶色い袋角がトナカイのようにも見えて来る。
まるでここはアラスカかと思えるようなシチュエーションだ。
夜中に小雨が落ちて来る。
相変わらずテントの周りではシカがたむろしている。
一晩中足音が止まなかったが明け方には静かになっていた。
( 続く )