私は過去に
仲良しの友達と
メール
で
かなり痛い思いをした事がある。
メールが来て
頭を
ものすごーーーく大きな
鈍器でなぐられたような衝撃があって
息も出来なくなるような・・・
そんなメール。
メールはとっても便利だけど
言葉の伝え方のツールとしては
結構難易度が高いと思う。
その過去の2回の失敗は
今の私のメールというか、文章の伝え方に
充分影響をもたらしたとおもう。
ある意味
その経験があったからこそ
気をつけることが出来るようになったかもしれない。
ほんのちょっとしたメールでも
長いメールでも
ちょっとした知り合いでも
とても仲良しのお友達でも
絶対に手を抜いたメールを
私はできなくなった
気がする。
いや
多分そう。
文末に結ぶ文字1つで
ニュアンスは随分とかわる。
その一文字までも
考えるときがあるし
送ったあとのメールを
何度も読み返すこともある。
送っちゃったあとなのに(笑)
本当は顔を見て
言葉の強弱で
顔の表情で
伝えたい事がある
でも
それができない状況だから
電話やメール、手紙などが
便利だと思うわけで。
携帯という便利なツールは
とっても便利だけど
礼儀?!見たいな物は
薄れてきているように思う。
友人のおうちに電話するとなったら
鳴らす時間帯を気にしたし
友人以外の家族が出られたときの
ふさわしい話し言葉を考えたり・・・
共有の電話だから
長電話も許されないときもあった
今は
個人の電話を鳴らせば
本人がでるから
挨拶もそこそこ
内容もだらだら?!(笑)
ルールみたいなのも
なんだか・・・
どこかへ忘れてきちゃってるような気がする。
本当は会って
表情や
声のトーンで
相手とコミュニケーションをとりたい
それに
かわるんだから
こそ
私は
電話・・・
よりも
とくに
メールには
気を使う
忙しくても
絶対にそこは手を抜かないというか
怖くて手を抜けない
○○やった?
と
○○やったのかな?
と
○○やってくれた?
この3つの文章を比べても
全部意味あいというか
相手が受け取る印象が変わってくるとおもうんだよね。
たった1~2文字ないだけで
たった1~2文字かわるだけで
相手に与える
印象が
断然かわるから
私は
そこを考えながら
メールを打つようにしてます
っていう話
っていう話です
ほら♪
話のあとに
です
つけるか付けないかで
かわるでしょ?(笑)