坂 茂さん

 

 NHKラジオに朝4時からの「明日へのことば」という番組があります。 

 それを若い人の目に留まるかと思い、書き起こしされているブログ

『明日へのことば』、そのブログをもとに編集しました。

2020年11月20日金曜日

 

坂 茂(建築家)    

    ・"紙と布"で防ぐ避難所の プライバシーとコロナ感染 

 

 1957年東京生まれ、63歳。紙管(紙製の筒)を使った独自の紙の建築で知られ、地震や豪雨などの被災者の居住空間や、プライバシーを確保したり難民に仮設住宅などを提供したりする活動を続けています。2014年に、建築界のノーベル賞といわれるプリッカー賞、2017年にマザー・テレサ社会正義賞を受賞しています。現在のコロナ禍において建築家が果たせる役割とは何か伺いました。

 

紹介の後、お話が続きます。

 

 コロナ禍で災害支援活動がより厳しいというか、より重要な局面になったと思います。避難所で、クラスター感染をどういうふうに抑制してゆくのか真剣に考えています。プライバシーを守るために作ってきた間仕切りが、飛沫感染にも有効ではないかと考えて、国立国際医療研究センターの満屋裕明先生に見ていただき、有効だとお墨付きをいただきました。神奈川県と防災協定をして、間仕切りを備蓄をしてほしいという事で、避難所に移る前に準備ができる体制ができるように、神奈川県から始まりました。

 

 紙管といって再生紙で出来た筒2種類があり,柱に直径10cm,梁に7cmを使い、門型の四角いフレームを2m角で作って、そこに布を安全ピンでとめてカーテンにする、という事で開けたり閉めたりできるし、家族の大きさによってプライベートな空間を自由にできるようになっています。熊本を中心とした豪雨で避難所ができました。国が第二次補正予算を作って避難所の整備が入って、我々の間仕切りが標準として採用され間仕切りを提供してきました。各県、市などが備蓄を始めました。

 

 10年ぐらい経って、我々建築家は社会の役に立っていないなあと気が付き、悩んで、災害で家を失った方々の住環境を考えるのが建築の仕事ではないかと考えました。地震によって街が崩壊して、街が復興するときに新しい建築の注文が来るので、建築家は地震があると仕事が増えるわけですが、仮設住宅などに何年も住まざるを得ず、劣悪な環境に住まざるを得ない。   

 

 阪神大震災の時から見てきて、2004年の中越地震の時から間仕切り作りを始めました。避難所のプライバシーは、人権上最低限必要なことで特に女性には厳しい。地道にやってきて少しずつ定着してきました。阪神大震災の時は、段ボールを並べて自分のスペースを確保していて、立っていると隣が覗けている状況でした。ただ間仕切りを提供するだけではなくて、配置計画も指導しています。空調、看護室、トイレなどとの関係を考慮します。

 

 役所は前例主義で、東北の地震の時に間仕切りを持っていっても、前例がないという事で普及することはなかったです。30の避難所で断られて、大槌高校の体育館に行ったら、町長、役所の方が亡くなられていて、そこでは高校の物理の先生が指揮をとっていて、

「これはいいですね。すぐやりましょう。」

という事で500世帯を1週間で作って、マスコミでも紹介され、最終的に3か月間で80の避難所を回って、50ぐらいのところで2000ユニットを作って回りました。それがきっかけで、防災協定をうちのNPO法人ボランタリー・アーキテクツ・ネットワークと市や県が結んでくれるようになりました。47の市や県と結んでいます。2016年の熊本地震の時に、大分県とは防災協定を結んであったので、大分の方と熊本の避難所に行きました。

 

 イタリアの地震でも避難所を管理する人に見せましたが、要らないと言われ、NHKのローマ支局の人が同行していて、その方が仲介するような形になり、市長も呼んでもらって復旧することができました。役人の反応は世界共通だと思います。イタリアでは衛生を管理した方が派遣されて、温かい食べ物を支給するシステムができています。熊本では冷たいものしかなくて、建物は壊れたが生きている厨房の道具を使って、材料、お金を寄付して、知り合いの料理研究家の土井善晴さんが温かいお汁のメニューを作ってくれて、それを普及させようとしたら、保健所から許可取れずにできませんでした。

 

 イタリアではボランティアの人を定期的に教育していて、災害があったときには有給で避難所に行って活動してもらうという、教育システムまできちんとできていて、日本にも必要だという事で内閣府にお願いしていますが、まだまだ日本はそういうことが整っていないです。日本は、保健所の問題というのではなく、システム化していないという事に問題があると思います。普段は仕事をしながら民間の消防団がありましたが、そういったふうなものが日本ではまだ組織的には育っていない状況だと思います。

 

 2014年に、建築界のノーベル賞といわれるプリッカー賞をいただきましたが、建築家としての社会貢献が認められていただきましたが、これを続けていけというふうに受け止めています。プレハブ住宅は住み心地がよくないので、もっと住み心地のいいものを提供しないとだめだと思います。木造の仮設住宅の開発もしています。一番の目標は仮設住宅をなくすことで、一軒だいたい500~700万円かかり、4、5年使って、また壊すわけで、壊すにも費用が掛かり、ある意味無駄なことをやっている。日本も、仮設という無駄な過程をなくすことが必要だと思っていて、木造をやりたいというのはパーマネントなものに使えるものを仮設レベルの値段や、スピードで作れるものにしたいと思っているわけです。コンクリートで作っても設計次第では地震でも崩れるわけです。神戸の教会だけでなく、ニュージーランドの2011年の地震で被害を受けた、クライストチャーチ大聖堂の仮設教会を紙で作りましたが、観光の名所になっていて、あれも残ると思います。

 

 グローバル化してくると、日本だけが幸せになるという事はあり得ないわけで、世界中が幸せにならなかったら日本の将来なんてないわけです。災害支援だけでなくて、すべての領域で海外も日本もないと思います。災害支援は無償でやっているので、設計料はもらえないという違いはありますが、自分にとっての熱意、満足度、やりがいは、設計料貰ってやっている仕事も災害支援も全く区別がないということに気が付いたので、違いはないです。

 

 東京の一極集中問題もあり、地方をいかに振興してゆくかという事と同時に、仮設の国会議事堂を日本の地方都市に回していったらどうか、という構想をしています。もう少し国のシステムを何とか変えられないかと考えています。

 

 自分が住んでいるところの耐震性を確認して手を打つことは、個々の方が絶対やらなければいけないことだと思います。行政の補助も大事だと思います。

 

 TV局とかが寄付を集めて赤十字に寄付しますという事がありますが、各NGOでやっている活動が違うので、直接活動に賛同してそこに寄付したほうが、何に使われるかわからない赤十字に寄付するよりいいと思います。

 

 人と会ってコミュニケーションをとるという事はどんな時代にも絶対必要だと思いますので、コロナが収束したら、また世界を回りたいと思います。