清水一道さん

スケルトンの用具
 

 

  NHKラジオに朝4時からの「明日へのことば」という番組があります。 

 それを若い人の目に留まるかと思い、書き起こしされているブログ

『明日へのことば』、そのブログをもとに編集しました。

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2020年7月28日火曜日

清水一道(室蘭工業大学教授) 

      ・鉄の街で人づくり


 大分県出身59歳。生まれ年に、地元で建設が始まった製鉄所の高炉を見上げながら育ちました。北海道大学を卒業後、製鉄会社に入社しますが、わずか2年で教育の道に進みます。2004年から教壇に立つ室蘭工業大学では、ものつくり基盤センター長として、ジンギスカン鍋の商品化や廃船を解体し再利用するシップリサイクル、スケルトン用国産そりの開発など、産学連携の様々なプロジェクトを学生とともに進めています。鉄の町で目指しているとはどんなことなのでしょうか。

 

 

紹介のあと、お話がはじまります。



 技術系の大学なので、社会に出る前に、鉄の加工、溶接などを体験したりできるような実技を伴ったものを勉強して、工学系の会社に入るというようにということで、ものつくりのセンターとしてのものつくり基盤センターがあります。鋳造、鍛造、溶接、切削が全部できる装置がいろいろあります。
 

 室蘭は鉄の町で、1900年頃に福田諭吉先生の弟子の井上角五郎さんが、日本製鋼所を立ち上げました。私は鋳造をやっているので、鉄の商品と言ったら北海道といえば鉄ならばジンギスカン鍋だろうということで、お土産に試しに作り好評でした。(北海道の形をしている)飾ってほしいと思いました。鉄は1350度になると溶けるので、いろんな形に変えることができます。
溶けた鉄はあまり見ることがないので。学生の皆さん感動します。

 小さいころから、ぜんまいを使った動く車とかを作るのが好きでした。大分は、小さいころ大分製鉄所ができるときだったので、大きな会社で鉄を作りたいという夢が小さいころからありました。大学で研究室を選ぶときには、設計に行けずに、じゃんけんで負けて鉄の加工のところに行って、会社も 日本製鉄に入って高炉の設計を2年間過ごして、教育の道に進みました。
高校は大分工業高校専門学校に進、み5年過ごしました。その後、北海道大学に編入しました。教育の道に進みたいと思ったが、教えるということはできないと思って就職は民間を選びました。その後、地元母校から要請がありました。
 

 博士号を持っていなかったので、研究をして博士号を取ろうと思いました。実験しながら論文を書いて、家庭のことがあるとほとんど時間が取れないし、野球部の顧問をしたりしていたので、全然勉強する時間がなかったです。博士号を取得するまでに12年半かかりました。大分の学校で仕事をしながら、北海道大学の大学院で学位を取ったのが40歳過ぎてからです。

 博士号の審査の時には、長女が小学校1年生で、下の娘が生まれたばっかりでいろんな経験をしました。あの頃は大変でしたが、今はいい思い出です。妻とは大学時代からの知り合いで、うまくいかないときには支えてくれました。博士号を取得してその後室蘭大学に勤務することになりました。あきらめた瞬間が終わりで、あきらめずにやっていればもしかしたらチャンスが来るから、チャンスを逃さないようにいつも準備をすることが大事なことだと思います。
 

 いつもうまくいくとは限らない。その時になぜうまくいかなかったのかということを楽しんでもらいたい。論文がうまく書けないとか、実験がうまくいかないとか、いろいろ苦労がありました。最初会社に入ったころは、何でもできると思って天狗になっていました。自信をもって出した書類も駄目だと言われてしまいました。高炉などの鉄の設計の仕事をしていましたが、どこが悪いのかわかりませんでした。いい風が吹くときと悪い風が吹くときがあるので、落ち込まないであきらめないで次の風を待つということが大事だと思います。

 シップリサイクル。いま日本は世界の3割ぐらい作っていますが、船は30年ぐらい持つが、その後解体して元の鉄にリサイクルしてゆくということがありますが、日本では、バングラデシュとかインドとかでの解体が粗悪な環境でやっています。室蘭でリサイクルできればいいということで、プロジェクトをやりました。

 

 冬のオリンピックのそり競技の中の、スケルトンの日本製のそりの開発を今やっています。日本人の体に合わせて早く滑れるように手製のものができればいいということで北海道のボブスレー連盟から依頼があり、作ってみたら、いきなりある選手がジュニア選手権で5位になったことかあり、今続けてやっています。始めて2年になります。遠征でカナダに行ってデータを取ったりしました。そりを滑るのにどうしたらスピードが上がるのか、圧力をかけると水になって滑るが、水をうまく吐き出さないとスピードは上がらない。いろいろ工夫をしないといいそりにはならない。

 一番問題なのは氷の温度なんです。ワックスの選定が難しい。開催地が強いというのはそういうメリットがあります。日本が技術立国だといわれると嬉しいですよね。ものつくり教室を、いろんなところに出かけています。理工系に進む学生が大分減ってきていて、小中学生のうちに体験することが大事で、わかりやすく皆さんにお伝えして、達成感を味わって貰いたいということで1500~1700人ぐらい出前授業をしています。
 

 6,7年前,札幌の高校に出前授業に行っていろんなことをやりましたが、その子が今うちの研究室に来てくれて、やっていてよかったなあと思います。教育は10年、20年たたないと結果がわからないですね。鉄のように強くしなやかな人作りをしたいと思います。
 

 命という字は,人に一度は叩かれると書きます。.叩かれたときに生きている実感と、これでもっと頑張ってやっていきたいという風になって、初めて生きているという実感があると思うので、全部うまくいく訳ではないので一つ一つ積み重ねて大きな仕事をやってゆくという喜びを皆さんに知っていただけると嬉しいと思います。
 

 日本鋳造学会の会長になりましたが、新しい風を吹かせたい、技術立国を取り戻したいというのが私の今の気持ちです。