高嶋弘之さん
 


 

 

 

 

 NHKラジオに朝4時からの「明日へのことば」という番組があります。

それを若い人の目に留まるかと思い書き起こしされている『明日へのことば』 

そのブログをもとに編集しました。

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2019年11月9日土曜日

高嶋弘之(元レコードディレクター)

    ・音楽ビジネスを愛して60年(2)

 

 

 1964年ザ・ビートルズの日本での最初のシングル「抱きしめたい」が発売されます。
そしてその売り出し作戦はどうなったんでしょうか。
 

紹介のあと、お話が続きます。
 

 ザ・ビートルズも売れてきたが、オールディーズの方が売れていた。(ロックンロールミュージック ミスタームーンライト、プリーズミスターポストマン、ツイストアンドシャウト、ロング・トール・サリー)全部ビートルズ以外の曲が売れました。オールディーズの方が売れるのが判ったので、2年間で26,7枚出しました。それで活気づいたと思います。タイトルなども私が全部手がけました。
 

 最大誤訳といわれているのが「ノルウエーの森」ですね。原題の"Norwegian Wood"が何を意味するか歌詞中に明確に描かれていないため、邦訳には、「ノルウェーの森」や「ノルウェー製の家具」などがある。ノルウェー産の木材、安物の松材。彼女の部屋に入ってみると、ノルウェー産の木材で内装された「ウッド調の部屋だった」ということをあらわしており、woodは木材を指している。元々のスラングを置き替えた言葉で"Norwegian Wood"自体あまり意味がなかったといわれる。

 1966年6月29日未明に、羽田に降り立った。ヒルトンホテルのビートルズに、上司と加山雄三さんと私と3人で会いに行きました。部屋に入ると3人が並んで待っていて、ジョン・レノンが我々の後ろにいて、後ろから加山さんを羽交い絞めにして振り回したんです。加山さんがびっくりしましたら、ポール・マッカートニーがワーッと笑い出しました。彼らはいたずら好きなんです。
 

 マネージャーが私と上司を別室に呼ぶので、どんな話かと思ったら、ビートルズの話は一切なくて、お礼の言葉もなかった。後で腹が立ってきて、これだけやってきて何で平伏するのと、俺はこれから日本人を売るぞと思いまして、黛ジュン、フォーククルセダーズ(「帰ってきた酔っぱらい」)、由紀さおりなど、その後日本のニューミュージックと言われるものを立ち上げました。当時の洋楽の売り上げが85%でした。今は逆転して日本のものが85%ぐらいです。僕の思いが到達したのかと思いました。

 サンプル盤をつくってOKが出ると、いっぱいプレスして、売り物になるレーベルが張り付けられて売り物になってゆくが、ビートルズの本国から駄目という事になり、2枚だけが手元に残っています。理由は何もわからなかった。出すと言ったら、出すとビートルズとの契約が無くなると言われたんです。そういう事件がありました。EMIのオリジナルをそんなに触るなという事ですよね。
アルバムのコンセプトが変わってきた時代でした。

 1967年黛ジュンの売り出しにかかわることになる。我々も洋楽のセンスを身に付けていて、日本のユーザーも洋楽のセンスを身に付け始めていたんだろうと思います。ブルーコメツにしても洋楽担当者でした。色々いきさつがあり、顔も見てない、声も聞いていないのに担当したのが黛ジュンでした。歌声だけ聞いて、顔を見ないで決めたのが由紀さおりでした。
 

 レコード会社のなかで原盤をつくるのが普通だったが、黛ジュンの場合は、外部のスタジオで、外部のスタッフが吹き込むという作業をするようになりました。勝手にやってしまって、どうなるかと思ったが、編成会議のあるところで、常務が後ろから肩に手をかけて「いいなあ」と言ってくれて涙が出そうになりました。どんな曲にも当たらないかもしれないという事はありますから。
 

、黛ジュンのデビュー曲は48万枚売れ、1968年「天使の誘惑」でレコード大賞を取りました。作品もよかったが、黛ジュンのボーカリストの魅力は十分あったと思います。1967年12月10日 フォーククルセダーズの「帰ってきた酔っぱらい」。最初聞いた時には何を歌っているのかわからなかったが、「帰ってきた酔っぱらい」のよさが判ってきて、「常務に聞く前にOKと言ってください、今だったら権利を取って抑えてうちの原板になります。」といったら「日本放送の高崎さんを通しなさい。」といわれました。
 

 フォーククルセダーズに会いに関西に飛びました。学生たちが勝手に作った曲がミリオンセラーになったことに驚きました。僕は聞くフォークから自ら歌うフォークに来たなと察知しました。そして戸倉俊一、谷村新司などを見出しました。シンガソングライターのさきがけとなりました。ヤマハと組んで、中島みゆきをはじめとしてキャニオンで売って行って、1970年代以降のニューミュージックの流れにつながってゆくわけです。

 今は、クラシックのアーティストの育成や聞かせ方の企画をやっています。これまでには大きな変遷がありました。原版がレコード会社からプロダクションや事務所の方に移る。レンタルレコードが1980年代隆盛を極め、並行輸入の輸入盤も入ってくるようになった。

 

 最近は、インターネットでダウンロードしてイヤホーンで聞くような時代になりました。スピーカーで聞く楽しさを若い人にも知ってもらいたいと、泣き言的に言いたいです。LPをスピーカで聞くと入っている素晴らしい情報が入ってきます。
 

 いろいろ形は変わるけれども、いい音楽を作り出す努力は音楽業界の人はやらなければいけないと思います。