末澤輝之
末澤輝之さん

 NHKラジオの「明日へのことば」の番組を、若い人の目に留まるかと思われ投稿を続けていられる方のブログを元に編集しています


2017年12月23日土曜日

末澤輝之(製塩会社代表取締役)

 ・美味しい塩は淡路の自然と向き合う心から

 淡路市の西側洲本市の海岸で、瀬戸内海の海水を使って鉄の釜と薪で煮詰めると言う手間暇のかかる製法で塩を作っていると言う製塩業の代表取締役末澤さんに伺いました。塩作りを目指すようになった経緯を聞いてゆきますと、仕事を通して何を求めているかが判ります。

聞き手の紹介のあと、お話が続きます。
 
 ざらめ系のしっとりした感じ、塩辛い中にもちょっとしたホロにがみとゆっくりと塩辛い味が立ちあがって来て余韻がながいような感じ。海そのままを塩に閉じ込めているので、複雑な味がします。素材を活かすような事を作りをしたいと思ってやって来ました。

 自然食に興味がある方、食用される方、海の成分を含んだ塩をとりたい方、淡路市内のお土産や、レストランなどにも愛用されています。月平均500~600kg生産しています。(天候に左右される。)経営的には最初物凄く大変でしたが、やっと生きていけるぐらいにはなりました。

 1980年神戸市生まれ、両親ともに公務員です。母は食べることが好きで、自分で料理を作るのが好きです。地元の大学で経営学を学ぶ。大学時代に飲食業のアルバイトをして、料理を作って人に出して、感謝してくれてお金を払ってくれるという、何て凄い仕事だと感激しました。

 就職氷河期でしたが、営業の仕事に就きましたが、飲食業とは毛色が違っていて自分には合わなくて辞めてしまいました。半年後アルバイトをしていた外食産業に入りました。人を喜ばして仕事をしたいというところを目指したいと思いがありました。

 7,8年前にお店をやろうとお金を溜めて辞めようと思った時に、仕入れ食材にフォーカスして、調べて行くと遺伝子組み換え、農薬の問題などがあり、塩は1997年からは専売制が廃止されたが、関西では自然塩が少ないという状況でした。そこで塩を作りたいとの思いに到りました。

 人間、水がないと死ぬということがあり、後は塩ですね。おろそかに出来ないと思いました。(30歳の頃)実際に作っているところに電話をかけて見に行ったりしましたが、多くは大分の方で教えて頂いたことがベースになっています。自分でも勉強しました。自分で書いて、まとめて本にして、両親にプレゼンテーションしました。

 2012年頃に淡路島に移って始めました。自分が納得いく物を作って喜んでもらいたいということが第一でした。自信はありませんでしたが、欲しいと思ってくれた方が何人かいたことが大きかったと思います。工場と言うよりは漁師の番屋の様な雰囲気のところ。

 1.5m四方の黒い鉄の釜が3つ並んでいて海水を煮詰めている。塩は引き算のようなもので、どういった成分を海水の中から引き取るか、最初は沸騰釜、次が結晶釜に近い。海水には80種類ぐらいのミネラルが入っているが、硫酸カルシウムをしっかり除くことが大事です。それを取り除いて3つ目の釜に持ってゆきます。

 最後の釜まで行くのに、40時間かかります。(薪で焚くと言うところだけの時間)一日1~1,5トンの薪を使います。日中はほとんど薪切り作業になります。薪をくべるときに、木の材質、くべる場所を考えながらやらないといけない。薪を入れ過ぎると温度があがらない、入れた瞬間に温度下がる。

 ガスは青い火、薪はオレンジ色で温度が全然違う、ガスは1200℃以上になる、薪は700~1000℃位。温度が高いと、海の成分が壊れてしまうと言う思いがある。(海水が気持ちいい温度が必要)

 作り始めた最初ころの塩と今とでは、やはり違ってきている。3つ目の釜から杉の中に一日寝かせてあげて、冷やしてから脱水をしてあげるとニガリが抜けて、ふるいにかけてその後に目視でごみ取りをして、パッケージ詰めとなります。

 いい塩の定義としては、単純に煮詰めただけではぱさぱさになって苦い塩になってしまうが、ぱさぱさにしない、煮詰めすぎると苦くなりすぎてしまうので煮詰めすぎない。そういった理由で薪を選んでいます。

 雨の日は薪の作業が出来ないし、西風が凄い時には海水がとれない。多少幅があり、毎回同じものは出来ないです。ずーっとデータをとって、だんだん安定して出来るようになりました。

 冬の方が塩作りがやりやすい。(空気が乾燥している)僕は人に喜んで貰って生きていきたいと思っていて、提供した結果「有難う」と言ってもらえる仕事であるということが大前提だと思っている。

 高級車に乗りたいとか、毎日おいしいものをたくさん食べたいと言うようなことは思っていない。お金ではなく自分の中のやり甲斐、その仕事をした結果生きていけるかどうか、だと思っています。社会と関わるには、どうすれば一番いいのかと考えた結果なんです。ビジネスではなくて生業としてやっていきたい。

 ビジネスは数字を追い求めると言うようなところがあるが、自分のやっていることは非常に不効率で時代に逆行していて、感覚を非常に大事にしているということも一つかと思います。なるべく、顔の見える方と付き合ってゆくというのも生業のポイントかと思います。

 大きな組織の問題点、無理と矛盾、現場と経営の乖離が非常に出てくるのが今の結果だと思います。海は世界中に繋がっていて、何億トンといえない多く海水があるが、その中から4トンの海水を引いて40kgの塩になるが、凄い確率でここにいてくれると思う。

 作ったものが、その人の身体の中に入って良くなればいいなと思ったりしています。淡路島では自然と自分だけになるので、自分と向き合うことが増えたと思います。薪をくべながら荒れた海を見ていると自然にはかなわないなと思います。、

 他人の幸せと自分の幸せは違うので、自分と向き合わないと幸せにはならないと思います。
今は情報が多すぎるのではないのか。

 今は会う人会う人の話をしっかり聞くようになり、深い関係性になったと思います。

 この仕事を死ぬまで続けるのが一番の目標ですが、生業として人が喜んだ結果として僕という人間とうちの組織が生きていけるような環境を目指すのが第一です。


自然塩
自凝雫塩(おのころしずくしお)

淡路島塩作り
塩作りには、全部で3つの釜を使用。沸騰用、濃縮用、仕上げ用。