楠木新
楠木新さん

 NHKラジオの「明日へのことば」の番組を、若い人の目に留まるかと思われ投稿を続けていられる方のブログより


2017年11月4日土曜日

楠木新(人事・キャリアコンサルタント) 

 ・定年後をイキイキと

「定年後50歳からの生き方、終わり方」が22万部を超えるベストセラーとなっています。
楠さんは63歳、著書には大手生命保険会社を定年退職まで務めた楠木さん自身の体験と多くの当事者への取材による実例が盛り込まれています。最近、雑誌にも定年後をテーマに特集記事が掲載されるなど、定年後をどう生きるかに関心が集まっています。平均寿命が伸びて長くなった定年後をどう生きるか、そのためにどう備えるか、生き生きと生きるためのヒントは何か、楠木さんに伺いました。

聞き手の紹介のあと、お話が続きます。

 思っていた以上に定年後に関心があるのを実感しています。50~60歳ぐらいを対象にしているのですが、40歳代の人、女性も結構多いと数字で判ります。

 36年間勤めていました。主に営業関係、企画、人事関係の仕事をしていました。50歳から働く意味をテーマに執筆活動を始め、60歳で定年になるまで2足のわらじを履いていました。

 40歳で阪神淡路大地震があり、自宅で、遊びに来ていた娘の同級生が家につぶされて亡くなったり、実家もひどかったりして、そのまま会社の中で務めていいのかなあと揺れ始めた感じはしました。

 45歳の時に支社長をした後、関連会社に出向になりましたが、配下の職員の不祥事で転勤になり、忸怩たる思いがあり、たまたま異動の内示の日が父の亡くなった日が重なり、出向のことと重なり複雑な思いで過ごした事を覚えています。

 2年後に戻りましたが、脚光を浴びるようなポジションだったが、このまま続けて行っていいかどうか迷って、片や自分を止めるような部分もあり、アクセルとブレーキを同時に踏んでしまったような状態で、2カ月後に会社に出られないようになってしまった。

 休職して、一旦出て人事部長と言う役職で復帰したが、調子が悪くなり2回ほど出社したり休んだりして2年半過ごしました。鬱状態と言う診断だったが家でゴロゴロするのがきつかった。
会社中心だと大変なことになると気付きました。

 50歳を越えたあたりから体調が良くなったが、平社員で仕事もあまりなくてどうしたらいいのか判らない状態が続きました。定年退職した先輩に聞いてみたが、あまり元気な人は数多くいなかった。

 転身した人の情報が入ってきて、そういう人は何か自分の求めるものがあるなあと思いだして、そういった人達に話を聞き始めました。150人ぐらいの人から話を聞きました。
経済的な事、家族の事とか、駆られるように話を聞き始めました。

 65歳まで勤める余地があったが60歳で辞めました。一番初めは凄く開放感を感じました。

 一般的にハローワーク等に仕事を探しに行くが、60歳を越えて今までの延長縁で仕事をしようとするとなかなかそういう場がない。転身した人の話を聞いているという人がいると言うことで新聞にも載り、それが縁で新聞社のコラムにその人たちを紹介することになり、執筆活動が始まりました。

 人に聴きやすいようにするために、大学で社会人学生の募集があり入学して、キャリアの研究と言うことで、話を聞くようにしました。

 毎日が日曜日にはいい面と悪い面がある。私の場合は書くと言うことがあったので、メリハリがありました。今までいなかった人が24時間いると言うことになると、今までのペースがうまくいかなと言うことはよく聞き、家庭内でぶつかることが色々ある様です。

 家でも管理職のように細かいことをブツブツ言う人もいると言うような話も聞きます。日本の会社は居場所的、夜の一杯を含めて、一つの居場所になっている。次の居場所を見付けるのがなかなか難しい。

 ギャップをいきなり埋めることは難しい、そう考えると定年後については考えることは50歳ぐらいから始まっているのかなあと思います。そのぐらいから準備をして行けば、ギャップを自分のものにして行く、10年やれば大丈夫かなあと思います。

 それを育てながら定年を迎える、もうひとつの自分のある人は比較的スムースに移行していると思います。趣味、ボランティアなどいろんな事、そういったものを育てて行く。

 私自身は執筆以外に、「心の定年研究会」ということで会議室で2カ月に一度定年後について何人かで集まって話し研究する事を13年間やっています。去年まではマンションの理事長もやっていました。大学の聴講生として、人事の仕事の事を勉強に行っています。

 学ぶと言うことは重要なことだと思います。40年間働くと8万時間弱だが、60歳から退職して75歳まで1日11時間として、その後平均余命が85歳とすると、後の10年の自由時間が5,5時間とすると、自由時間を全部計算するとちょうど8万時間、定年後の自由時間が今まで働いてきた全ての時間よりも長い自由時間があると言うことです。

 自分に意味がある時間に使うか、使わないかの違いが、取材してみて本当に大きな違いがあると感じます。

 60歳から退職して75歳までは黄金の15年と言えるかもしれません。ここを輝かせるかどうかが人生の後半戦の最大のポイントかなあと思っています。

 最大のポイントは主体性、会社では主体性を薄くしながら、諦めながら働いている。定年後は主体性がポイントになる。

 ある取材した人、機械メーカーの45歳で支店長、リフレッシュ研修で3カ月外れるが、自分がいなくてもいい成績が出来ていることに気が付いて、このままでいいかと悩んで、50歳の時に見た新聞記事、施設に入っている方が頭を綺麗にして貰ったら施設の中を歩くようになったという事で、その人は美容師になろうと思い付いて、2回落ちたが3回目で58歳の時には美容師と介護ヘルパーの資格を持って、実務の修行をして、60歳の時には自分の美容室をもったと言う方がいました。

 その後も元気に75歳になってもやられていて、当時と変わらずやっていて感銘を受けました。
保険会社の先輩で、定年の少し前に大学教授に成られて、ソフトボールを学生とやっていて楽しいんだと言っていたことが印象に残っています。

 役職を取って上に上がっても、次のステップが見えない方もいる。週に3日とアルバイトをしながら博士論文を書いてる人がいまして、生き生きしている。50歳からその人も関心を持っていたと言っています。

 小さな会社にアルバイトに行って、小さな会社のいいところがいろいろ見えるので面白いと言うような感想の人もいます。

 事務職だった人がスーパーの搬入作業、最初は抵抗があったが、やってみると身体を使うことの爽快感があり、体重も減ってきて思ったよりも面白いと言うことでした。

 違うところが見える新鮮さ、楽しさもあると言うこともあると思います。50歳ぐらいから取り組み始めることが大事だと思いますが、遅すぎると言うことはないと思うので、いま取り組んでいることによろこび楽しさを見出している人がいる、それも大事だなあと思いました。

 長い間会社員でやってきた方は、完全な悠々自適は難しいかなあと思います。定年後も、色々小さくてもいいから役割、責任、義務みたいなものをある程度持ちながら、小さくてもいいからそういうものを自分の中に持っていることが重要ではないかと思います。

 小学校、中学校、高校など同窓会で、サラリーマン以外の人と会えると言う刺激もあるし、しがらみの無い時代に戻れるので、そこから新しい事をやり始める人もいます。人の繋がりという意味では同窓会は非常に大事だと思います。

 小さいころ好きだったこと、小さいころコンプレックスを感じたことを変えるとか、積み残していたことなどを取り入れることによって、次のステップを踏みやすいと思います。その方が素直な自分が出てくるので、見い出しやすい。

 顔つきのいい人に成りたいと思っています。(淀川長治さん、植木等さん、藤田まことさん、さかなくんなどのように)

 顔つきはごまかせない、要は良い顔になることをやればいいい、それを自分で見つけるしかないと思います。


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定年後50歳からの生き方、終わり方


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