実は来年、なごり雪50周年になる。
大分の方から伺った。地元では、津久見市政もメモリアルな年になるとのことで市庁舎もリニューアルされるそうで、津久見はまたとてもよい盛り上がりの中にある。。
昨年、11月29日の佐伯Liveの前日、翌日含めて大分と津久見のみなさんとのコミュニケーションは、昨年から引き続きさらに深く厚くなったような気がする。それはとても私にとっては特別なことで、やっとこんな風に文章がある程度書けるようになってきたけど、本当にこころが上ずってしまってる感じで、一気に深く親しくなってしまった地元のみなさまとの繋がりに、驚くとともに気恥ずかし気持ちもあったりなんかして、なんだかおかしな感覚がずっと続いてた。
そんなわけで、本気で移住を考えたり、土地をくださるファン友さんまで現れたりして、なんだか大分にまだ、心がずっとある。
そんな大分は、東京から1500キロ。茨城からはさらにプラス100キロ。
この距離感がわかると、名曲『なごり雪』への想いはより具体的になる。なごり雪は、今や心の名曲でどんな場所にいても、どんな生活をしていたとしても、人間の琴線に触れてくる曲と詞は、否定しようもないことなので遠い距離を今論じたとしても、この名曲の前にどんな言葉もそんなの超えていくのだけれど、、でも、、でもね、、
絶対に理解出来るかどうかって、距離と心と人間と、、物理的に離れて暮らすというか、あ~、今この時代に語ってもわからないかかな。わたしはね、、島根県出身の両親に、名古屋で育てられたから、名古屋から島根までの500キロが当時は大変遠くて、、島根に帰ってから名古屋に戻る時の、おばあちゃんたちと両親の別れ際だったり、両親が島根を思う距離感を感じて生きてきた感覚があって、、今、わたしも、育った町名古屋まで500キロのところに住んでいて、物凄く帰りたくて、帰りたくているから、、距離への想いって、これはやっぱりあると思っていてね。。
今から50年前の日本で、電車移動だった頃、東京駅と津久見駅をつなぐ線路の切なさというか、このとてつもない距離、すぐに行けない距離って、、すごくすご~く堪らないくらい切なくて。思えば思うほど、凄い曲だな~と感じるわけです。
今、茨城県に住んでいて、この土地に住む人はこの土地がとても肥沃で、古事記には常世の国とあるように、アルカディア理想郷と謡われた場所だから、日本海側が大雪だとめちゃ大晴天の冬だし、お水も豊富、晴天続き、暑さも湿気があまりないので、結構軽く受けている感覚のところだから、誰も他に転居を考えないし、地元で生まれた人はなおさら外に出ないから、、そんな切ない感覚なんて、、全く、誰も感じていないように思う。それは、地元の人には幸せな事なのだろうけれど、、遠くに故郷を持つ身には、理解者がいなくて、、どうしようもないほど、そういう意味で切ない。。
ノー天気で、切なさとは無縁な地域に来た事を、一つ一つ考え込む性格だった自分にはよかったと感じていたのに、今、とてもそれが寂しくてたまらないです。正やんが茨城でLiveをされた時、遠慮なく演奏中に立ち歩き移動する人たちが沢山いて、ファン友のみなさんから、どういうことなの?と聞かれた。文化的感覚、切なさとは無縁な地域、遠くから来た人への想いも西の人たちとは、全然違う。わたしはそんな風にならないと思って、やっぱり35年過ぎても気持ちは変わらなかった。
少しあと少しの人生を西日本で暮らしたい。名古屋にまず、戻りたい。島根にも大分にも、住みたい。なんて、、わがままなのだろうか。この距離に対する切なさがわかる人たちに囲まれて、生活をしてみたいと思うこの頃だ。
freeの仕事が一つ決まった。場所を選ばない。もう一つの仕事も場所を選ばない。軌道に乗せて、少し、名古屋や島根や大分で仕事してみたい。もう、両親もいないし、友人も地元には少なくなってるけれど、、でも、味覚と人恋しさを共有出来る、おせっかいな人たちに囲まれて、叱られたり、干渉してもらえる、人との繋がりの濃い場所で、思い切り人間の中で、関わりを持って後半の人生を生きたく思う。。
なごり雪50周年を前に。。
