我らの、
主イエス・キリストは、
どんな人⁉
あくまでも、私の主観です!
貧しく不幸せな人達に、貧乏人に優しく、障害者に心を痛め、お年寄りをいたわり、娼婦のお嬢に心を配り、麻薬中毒患者と共に生き、アルコール中毒患者に寄り添い、博徒をいさめ、金貸しをさとし、受刑者の牢獄を訪れ、病人を見舞い、哀れな不幸せな子供を世話し、諍いをしている人々の仲介者となり、額に汗して働き、よく祈り、父母を敬い、落ち着いた生活をし、哀れで不幸せな人々に、食べ物と、お金を捧げ、孤独で孤立した、人々の善き友となり、無私の心でボランティア活動をし、災害時には駆け付ける!
そんな人が、
私の『主イエス・キリスト』だ!
私も私達も…
主イエス・キリストに倣って、その小道を、歩んで行く!
そんな私へと、聖性の道へと、私を導いて下さい!
私が、
死の床で…
何の憂いも無く、静かに穏やかに安らかに…
死を迎える事が出来ますように!
主よ…
御国に、
おいでになる時に、
主よ…
私を思い出してください…
主よ…
御国に、
おいでになる時に、
主よ…
私を思い出してください…
お前たちは、わたしが、 飢えていた時に食べさせ、 喉が渇いていた時に飲ませ、 旅をしていた時に宿を貸し、 裸の時に着せ、 病気の時に見舞い、 牢にいた時に訪ねてくれたからだ。
『マタイ25章35節~36節』