終わります!!! | 死と再生のアンビバレント

死と再生のアンビバレント

死と再生の白い兎と赤い兎

私たちは、
次回のシノドス会議に向けて一部の人たちが、
すでに準備している操作やプロジェクトに、
ついて警戒する必要があります。
使徒の後継者は皆、
イエスの次の言葉をあえて、
真剣に受け止めなければなりません。
それ以外のものはすべて悪しき者から来るのです」(マタイ 5.37)。
カトリック教会のカテキズムは、
そのような明確で鋭く、
勇気ある言葉の例を示しています。
それ以外のパスは必然的に切り捨てられ、
曖昧で誤解を招くものになります。
現時点で私たちは、
イエスが宣言した「それ以上のものは邪悪な者から来る」
という呪いに陥ってしまうほど、
微妙でねじれた多くのスピーチを聞いています。
言葉の新しい意味が発明され、
聖書は忠実であると主張しながら矛盾し、改ざんされます。
私たちは結局、真実に仕えなくなります。

また、祝福という言葉の意味について、
つまらない屁理屈に陥らないようにしてください。
私たちが罪人のために祈ることができることは明らかであり、
私たちが神に回心を求めることができることは明らかです。
少しずつ神に立ち返り、
人生の真の根本的な変化の恵みを、
謙虚に求める人を祝福できることは明らかです。
教会の祈りは誰にも否定されません。
しかし、それを罪の正当化、罪の構造、
さらには罪の直近の出来事の、
正当化に転用することは決してできません。
悔い改めて悔い改めた心は、
たとえそれがまだ聖さからはほど遠いとしても、
祝福されるに違いありません。
しかし、回心の拒否と頑固さに直面したとき、
聖パウロの口からは祝福の言葉はなく、
むしろ次の警告が発せられることを思い出しましょう。
それは神の怒りと、その行いに応じて、
各人に報いられる神の正しい裁きの啓示である』(ローマ2:5-6)。
私たちに次のように言われた方に忠実であるかどうかは、
私たち次第です。真実の人はだれでも、
わたしの声に耳を傾けます」(ヨハネ18:37)。
今度は司教として、司祭として、洗礼を受けた者として、
真理を証しするのは私たちにかかっています。
私たちが神の言葉に忠実になろうとしないなら、
私たちは神を裏切るだけでなく、
私たちが頼る人々をも裏切ることになります。
同性愛の結合の中に生きる人々に、
私たちが提供しなければならない自由は、
神の言葉の真理の中にあります。
彼らが罪の牢獄に留まることが良いことであり、
神が望んでおられることであると、
どうして私たちはあえて、
彼らに信じさせることができるでしょうか。 
「もしあなたが私の言葉に留まるなら、
あなたは真の私の弟子です。
あなたは真理を知り、
真理はあなたを自由にするでしょう」(ヨハネ 8,31-32)。

ですから、たとえ私たちが世界に理解されず、
承認されなかったとしても、恐れることはありません。
イエスは私たちにこう言われました。
「世はわたしを憎んでいます。
わたしが世の行いが悪であると証言するからです」(ヨハネ 7:7)。
真実に属する者だけが彼の声を聞くことができます。
全会一致で承認されるかどうかは私たち次第ではありません。
私たちは、
教皇就任当初の教皇フランシスコの、
次のような重大な警告を覚えています。
「私たちは好きなだけ歩くことができ、
多くのものを建てることができますが、
もしイエス・キリストを告白しなければ、
物事は正しくありません。」
私たちは福祉NGOにはなりますが、
教会ではありません、
主の花嫁…石の上に建てないとどうなりますか?
砂浜で子供たちに起こることは、
砂の宮殿を作るときに起こり、
すべてが崩れ落ち、
一貫性がありません。
イエス・キリストを告白しないとき、
「主に祈らない者は悪魔に祈るのである」
というレオン・ブロイの言葉が頭に浮かびます。
イエス・キリストを告白しないとき、
あなたは悪魔の世俗性、
悪魔の世俗性を告白することになります」(2013年3月14日)。
キリストの言葉が私たちを裁くでしょう。
「神から出た者は神の言葉に耳を傾けます。
だからあなたがたが聞かないのは、
あなたが神から出た者ではないからです。」(ヨハネ8:47)。
[1] ヨハネ・パウロ二世、国際平和デーに寄せたメッセージ、1980年1月1日。
[2] 教皇フランシスコ、2023年2月26日のアンジェラス。
[3] 2023年2月26日のアンジェラス。
[4] ヨハネ・パウロ二世、使徒憲法「フィデイ・デポジトゥム」。
[5] ベネディクト十六世、2009 年 10 月 4 日、
司教会議第 2 回アフリカ特別集会の開会説教。
彼は「アフリカ、人類の霊的肺」と同じ表現を
「Africae munus」、n. で使用する予定である。 13.
[6] ヨハネ・パウロ二世、「アフリカのエクレシア」、n. 143.