明日は、1月17日。
阪神大震災。
26年だそう。






日本は、地震国で
当時は、関東方面に大きな地震がくる
と 良く耳にしていた。
決して、だから 油断していた訳でもなく、





震災の日の早朝は、忘れる事は、ない。






他の自然災害の被災経験のある方々も
その日の記憶は、忘れる事は、ないだろう。
ある意味、その日に人生が変わってしまうのだから。
憤りの悲しみも行く場もなく、
時間だけが過ぎて、
とにかく、「生きる、生きている」それに
ひたすらしがみつく。




私の場合は、電気、水、ガスが止まったが
数日で回復。
まだまだ楽な方だった。
そして、何よりも誰も怪我をする事もなかった。
その夜に限り、母は、祖母がなんだか心配で
祖母の横で寝た。
朝になり母が寝ていた場所は、大きな箪笥が倒れて
いました。
昔なので、箪笥も大きく重かっただろうと
思う。きっと、祖母の横で寝ていなかったら
母は、箪笥の下敷きになっていたでしょう。


当時は、箪笥の下敷きで亡くなった人が多かったと
聞きました。



TVをつけると、高速道路が落ちている。
三宮の街は、変わり果て、
次々に死者の数が増え、
安否を探す家族や友人が 行方不明として
TVのニュースで問いかけている。
火災が起き、日々に被害の強さが
明らかになる。



兄貴夫婦は、新幹線が動きだすと
食料などを持参してやってきた。
当時、そんな人が多くいて、
新大阪からは、歩いて神戸まで行った人たちも
いました。



下敷きになっている家族を目の前で
助けられなかった人、そんな人も多かった。


私は、被災者までには、当たらない、
何かを話す時や自分の話しをする時、
聞かれる時、
「震災の時は〜」と言う事がある。

それだけ、節目というか、人々に人生に影響を
与えたのだ。


私は、我が家の中で
一番、地震には、敏感だ。
少しの揺れがあるとすぐにわかる。


子供が学校で阪神大震災の事を学んできた。
知ってる?
と 聞かれた。


伝えたのだが
伝えきれないような気持ち。



被災者で家を失った人は、寂しい寒い冬を
過ごしたんだ。