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銀華です。
今日のブログアップ時刻は
5:46:52秒
28年前の阪神淡路大震災の発生時刻です。
あの日、あまりにも大きな揺れ
最初ドカーン
2階の床の間がある部屋(8畳)で寝てましたが
その床の間が目の前まで迫って来ました。
すぐには理解出来ませんでした。
ベッドと床の間は離れてるのに、なんで?
まるで振り子のような凄い横揺れ
ただただ固まりました。
思わず息を止めて固唾を飲んでました。
逃げるなんてワードはありません。
ただひたすら耐えるのみ
もう一度大きな揺れが来て
今度は上下左右の激震
どのくらい続くんだろうとすごい恐怖😫
今まで経験したことがない大地震でした。
備えなど何もなく、頭を枕で庇うとか
全く気も回らず。。
タンスの上に置いてた物が。。何か忘れました
頭の上に落ちてきた(痛くない)
しばし次、また来るかと構えてましたが
何とか揺れは収まりました(余震は何度も)
幸い家も家族もご近所も被害がなく
その時刻、、
神戸の街はとんでもない状況に陥ってました。
そして友達や上司が住んでた西宮市も
随分多くの家屋が倒壊しました。
上司は書棚の下敷きになり腰を強打
友達は隣の家が倒れて来たそうですが無事
しばし停電してたので夜が明けるまで家族で
身を潜めていました。
TVが再開して阪神高速がぐにゃりと傾いた
悲惨な光景は生涯忘れることが出来ません。
私の住んでる兵庫県川西市も震度6ありました。
階下で寝てる両親の部屋への階段が
真っ暗でした。
「大丈夫かぁ~」「うん、大丈夫」
停電です。電気は比較的早く回復しましたが
ガスは2ヶ月止まりました。
ジムのお風呂をずっと使ってました。
当然、電車も動かず
あの頃は、まだまだ携帯が普及してなかったので
情報はTV、ラジオのみ
電話も通じなかった??
部門で連絡が取れないのは
私と上司(西宮在住)の2人だけだったとか
同僚がいつものランニングコースの池田市に
住んでましたが、地震の揺れもさほどなく
停電もなかったようです。
それで普通に会社へ向かって(車)
大地震発生と事の重大さを知ったそうです。
阪急電車も止まってました。
最初〇〇ちゃん(私)来てないけど
電車止まってるからかという程度だったようです。
神戸や阪神間の状況の酷さを知るにつれ
随分、心配してくれてました。
そして翌日、出社しました。
この地震は陸のプレート内で発生した
浅い地震で(直下型)六甲山地の活断層が
動くことによって起こった地震でした。
自宅は有馬ー高槻断層が通ってる地帯と
いうのも初めて知りました。
こうして見ると。。たぶん近畿圏だけじゃないと
思いますが、断層だらけですね。
ではでは
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