昨日何の気なしにFBを開けたら、昔お世話になったカトリック教会のI神父様が訃報を投稿していた


I神父様と同時期に同じ教会に主任司祭をされていたB神父様が天に召されたと

今年に入って何故かとても"お逢いして御礼を言いたい"という思いが強くなった

ところがI神父様に聞くとご高齢もあり、病後の療養中で遠方の修道院にいらっしゃると...

お手紙を書きたいと言うと
病気になられた際にいらした教会へ問い合わせれば住所を教えてくれるとのこと

レターセットも出しておいたのに...
今思えばお別れの前ぶれだったのかな
せめてもと久しぶりにお祈りをして
当時のお姿や思い出が蘇って涙が止まらなくなった

きっかけは20代半ばのクリスマスイブ
何処へ行きたい?と当時の彼に聞かれ、突然"教会のミサに行ってみたいな"と言った
クリスマスはそもそもイエス様が生まれたとされる日だからと、何とはなしにY教会を選んだ⛪️

本当は教会の聖堂の御ミサが良かったけれど、イブは多くの人が集まるので近くのミッション系の学校の講堂へ
(そんな横浜で1番有名な教会だと知らなかったのです)

そこで数名の神父様がいらしたのだけれど、私は1人のアメリカ人の神父様に目を奪われた
穏やかで長身で美しい銀髪が混じるお姿は神々しいまでに眩しかった
そしてみんなで歌う賛美歌の心地良さ
それからカトリック教会への興味が湧き御ミサと聖書の勉強会に通うまでになった

それがB神父様だった
大天使の"ミカエル"という霊名がふさわしく、その背に天使の羽があるかのように私には見えた

そしてもう1人の素晴らしい日本人のI神父様とも出逢えた
(この神父様も霊性に満ち溢れた眩しい神父様)

B神父様もI神父様も御ミサで拝見すると眩しい空気をまとっているけれど、実際接すると型苦しくないとても明るく気さくな方々

家が遠いのもあり毎回毎回は勉強会に通えない母と私にも大変親切にして下さった
(私がきっかけで母も感化された)

そして勉強会を終え、私はまだ若いので洗練は後々と決心
病の多い母はB神父様の広い御心で洗礼を授けて頂いた
母が入院中にも、電車に乗って病室へお祈りにいらして下さった

カトリックという堅い世界で、偉ぶらず信仰深いのにご自分の信念は通される...
お話する時はその人の目線に合わせ体を屈めて耳を傾けて下さる
そんな人間味のある素晴らしい神父様

もうお逢いすることは叶わないけれど、お姿と思い出は胸に焼き付いている
病後は楽ではなかったはず
何故かご自分が召される年齢を予期されていたという
沢山の信者さんを癒し救って下さったから、これからは天国で神様のもと安らかに私達を見守っていて下さるだろう

お祈りしている途中、ふと私が癒されているような不思議な感覚を覚えた
手紙じゃなくてもお祈りすればB神父様に届くのだと、そんな風に思った
大好きなB神父様ありがとうございました✨

知人が送ってくれた昨日の美しい空と
(まるでB神父様を思わせる空)
母が2003年洗礼を授けて頂いた時の思い出のお写真を載せます

お通夜と告別式の御ミサ行けたらいいな







↑これはお誕生日会 私若い 笑