ミラノに来るのはウン10年ぶり。その頃は、まだデジタルカメラなど存在しない時代だったから再訪でき記録できるのは格段の進化。ミラノのシンボルは、ドウォモ。小娘時代のnyasperは聖堂内部に入らずカフェでエスプレッソ飲みなからドウォモを見てミラノに来たとカッコ付けていただけだった。年齢を重ね大年増になれば見るべきものが分かる。思えば遠くに来たもんだ!今回はちゃんと内部の見学。素晴らしい135本の尖塔を持つゴシック建築や天井高くまで届くステンドグラスを堪能。14世紀後半に着工し、ナポレオンによって19世紀初めに完成。







1877年に完成したヴィットリオ・エマニュエル2世のガレリアは見事な天井の絵画と舗道のモザイクが美しい。アーケードと言えば赤羽1番街というnyasper には、ちと敷居の高いヨーロッパを代表するブランドショップが軒を連ねている。パリのパサージュと比べれば、こちらの方が豪華絢爛。





そしてガレリアはレオナルド・ダ・ヴィンチの像が正面にあるオペラの殿堂スカラ座まで通じている。




路面電車も旧式車両や最新式のラッピング車両もある。



13世紀末ビスコンティ家が治める様になってミラノ公国が成立。ビスコンティ?と聞いてちょっと引っ掛かってググってみれば、nyasper が大好きだったルキノ・ビスコンティは、そのビスコンティ家の末裔であることを知った。「ベニスに死す」「山猫」「異邦人」、そうか!あの映画は、そういう貴族的背景が有ってあの耽美的な映画が出来上がったのかと、今日やっと、nyasper は繋がったのであった。まあ、モノを知らない若者からやっと脱皮できた。

その後、14世紀末になるとスフォルツァ家が領主になり、その保護のもとルネサンスの繁栄がもたらされた。

○スフォルツァ城


ミラノで忘れてはならないのは、サンタ・マリア・デル・グラッエ教会にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」。nyasper が昔来た時は、かなり傷みが激しく暗い表面だったけど、修復されより鮮明になったと言うことで、是非とも見たかったけれど予約制になり、時間がなく再訪は叶わなかったのが残念。

そしてお約束の「ミラノ風カツレツ」。断然、「とんかつ」の勝ちだなラブラブラブラブラブラブ