四国地方の方々へ
お見舞い申し上げます。











約一週間ほど更新が空きました。




猫ビルで
SokuAtsu👣での施術中に入った訃報





私がいまここに在るのは
このご夫婦のおかげです。





初めての就職先の社長夫婦




沼津から出た事がない
田舎者な私は
正にミカン箱📦ひとつで
神奈川に引っ越しました。




色々な勤務形態がある中
1番最初の社員で入り
無我夢中で働く毎日




江の島や鎌倉に
自転車で行ける距離でも
一度も行かなかったなー





世の中の事が何ひとつわからない私に
生活態度から仕事のノウハウ
ありとあらゆる事を教えていただき
ひとつの例ですが
500人キャパのイベントを
運営出来る所までになりました。





鞄持ちや運転もしながら
全国をまわる事もありましたねー






社員もどんどん増えていき
自社ビルまで建つまでに。





私の人生は
どうやら何もない所から
立ち上げるという役割りがあるようで
今までに3回そういう経験を
させていただきました。





同じタイミングで結婚したので
その自社ビルで働く事は出来なかったのが
悔いが残りましたね。






全て3年〜5年で去る事になるのも同じ。
人生って面白い!





私のアイデンティティ形成に
大きく影響したのが
この社長夫婦





何年もの間、連休になれば
自宅に沢山の友達が集まり
BBQや釣りなどを楽しみ
私達親子も
夫婦の交友関係は殆ど把握していました。





お2人のご両親の葬儀にも
参列していて
ここまで来ると
ちょっと特殊な繋がりですね。






お2人には子供がいなかったので
私の息子を大変可愛がっていただき
育ての親のような存在です。



私が結婚してからは自営だった事もあり

遊びに連れて行けない私たちに代わり

色んな所に遊びに連れて行ってくれました。





後々わかるのですが

息子は

自分は本当は社長達の子供ではないかと

悩んだ事もあったそうです。





月日が流れ

沢山の出来事がありましたが

今年に入り

病気を患っている事を知り

慌てて会いに行きました。






「マスク外して顔見せて」





その瞬間、泣き崩れました。




何でもないひと言でしたが
私にはとても深い愛を感じました。






この時、私の中で
このご夫婦の存在がどれだけ大きいのか
初めて実感しました。





この世に存在してくれているだけで
心の支えだったんだ…





その後、自宅での緩和ケアの末
旅立ちの時が来ました。
64歳でした。






お別れの式を全て終わらせ
いま記事を書いています。





2人は50歳で引退したので
残りの時間は
ハワイに数ヶ月住んだり
国内旅行も沢山でき
楽しかったと話していました。





治療中でしたが
結婚35周年の去年
ハワイの友人が集まり
動画を撮影してくれたそうです。

皆さんプロの方達です。




これが最後のハワイになっちゃったね…





お別れの式は
コロナの影響もあっと思いますが
ここ数年で一番の人数だと
斎場の担当者が言っていました。




参列者を見ていればわかります。
数ではありませんが
2人が与え続けた愛の証でした。




この2日間は
なにか映画一本観せられた気分になったな…






彼女は余命宣告をされてから
友達を呼び
家の中の片付けや
自分が去った後の事まで
お願いしていたそうです。





残された社長が困らない様に
ノートにビッチリ書かれたメモ…




葬儀屋に見積もりまで取り
参列してくれた方々へのお礼の手紙まで。





生き方も去り方もアッパレでした。





足元にも及びませんが
近くでそれをみせて貰えた分
少しでも近づけるよう
これからも精一杯生きていきます。





泣いたり笑ったり
35年間の愛を
ありがとうございました。




この曲涙腺破壊上矢印





苦しみも辛いことも
楽しさも嬉しいことも
生きてればこそです!




元社員皆んなで作りました。

皆んなとの作業は昔にタイムスリップして
とても嬉しかったです。





あーあ
もう叱ってもらえないのか…








be the light

Everything's gonna be alright ◡̈



Dream as if you will live forever
永遠に生きるつもりで 夢を抱いて
And live as if you'll die today
今日死ぬつもりで 精一杯生きよう