子供達が

それぞれの部屋で

深い眠りについた頃

ようやく夫の車が

家のガレージに入る音がした。

 

「おかえりなさい……。

ご飯食べるでしょ?」

 

「……」

 

私の問いに無言のまま

夫は風呂場に向かった。

 

入浴をすますと

夫はビールを片手にソファに座り

録画していた番組を見ようと

テレビをつけた。

 

半年前までは

この時間だけが

唯一わずかな

夫婦二人だけの時間。

 

ビールを飲む夫の隣に座り

2人でいろんな話をした。

 

設計事務所のこと

子供達のこと

芸能ネタやご近所さんの話。

 

事務所とは違い

この時間だけは

お酒も入り夫は饒舌になる。

 

友達のいない夫にとって

唯一の話し相手が私

なんだろうなといつも感じていた。

 

楽しい時間だった。

 

しかしそれは今となってはもう

遙か遠い昔のよう。

 

ビールを飲む夫が座るソファの横に立ち

私は口を開いた。


「今日ね

会社帰りに心療内科に行って来た」


「……」


もちろんこんな話は

一日の終わりに

聞きたい話でないことは

私だってわかっている。

 

でも。

 

でも

もうどうしても

話さずにはいられなかった。

 

どうした?

大丈夫か?

 

そんな言葉が返ってきたら

どんなにか良かっただろう。

 

しかし

夫の口からは

何一つ言葉は出てはこなかった。

 

「ねえ、聞いてる?

こんな話でごめんね。

でもちゃんと聞いてほしい……」

 

夫は私の言葉に

眉ひとつ動かさず

ただ一人テレビの画面を

見つめている。

 

「ねえ、健太郎さん……」

 

私の言葉が果たして

夫の耳に届いているのかどうかさえ

もう定かではない。

 

どうしていいのか

分からなくなった私は

思わず床に座り込み

泣いた。

 

いったい私のなにが悪いのか。

夫になにが起きたのか。

とにかく夫と話がしたい。

 

元通りの夫婦に戻るために。

子供達のしあわせを守るために。

 

私はとめどなく溢れる涙に

両の手で顔を覆った。

 

「ははははは」

 

その時

夫の笑い声がした。

 

驚いて顔を上げると

夫はテレビの中の

お笑い芸人の会話に

笑っていたのだ。

 

まるで目の前で泣く私など

そこには存在しないかのように。

 

もうダメだ。

 

このままでは私

ほんとにおかしくなってしまう。

 

真っ暗なキッチンに向かうと

私は初めてあの白い粒を

自らの口に入れうずくまる。

 

こんな姿を子供達に

見せるわけにはいかない。

 

助けてと

私は心の中で何度も呟いた。

 

キッチンカウンターの陰

薄暗がりの中

20分ほどすると

薬が効き始めたらしく

驚くほどに心の中から

不安という感情だけが

フェイドアウトしていった。

 

その代わり今度は

薬を使ったことへの罪悪感が

次第に私の胸を一杯にした。

 

涙が頬をつたい落ちる。

 

さっきまでソファで笑っていた

子供達の顔が浮かんでは消える。

 

ごめんなさい。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

 

こんなんでごめんなさい。

 

心の中で子供たちに詫びる。

 

相変わらず

煌々と明かりのついたリビングからは

夫の笑い声が響いている。

 

 

 

 


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