私の祖父は被爆醤油で料理をしていた!! | 青色ミカンのブログ

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こんばんは


最近、福島で被ばくによる将来的な体調不良などが懸念されています。

小さいお子さんを持つご両親は、不安な毎日を過ごされていることと存じます。


被爆をして、将来的にどのような症状が現れるのか…予想されているうちの一つに甲状腺の障碍について上げられていました。


これをきっかけに、自分が被爆2世なんだということが気になり始めました。

私自身、甲状腺ホルモンの数値が良くなくて、薬を飲んでいます。


このことを入市被爆した母に相談すると、「じーちゃん(父方の祖父)なんか、被爆地から焼け残った醤油を持ち帰って料理に使っていたよ~」とこともなげに言われました。

私の母も、「50年は草木も生えない」と言われていた被爆地の近くに住んでいました。被爆者です。


もちろん、祖父母もそうでしたが、二人とも90歳以上の長生きで、特に祖母は亡くなる当日まで意識がはっきりしていて、孫である私はもちろん、私の夫、息子にいたるまで、ちゃんと分かっていて、全員に挨拶をして天国へ旅立ちました。


原爆による被爆と原発による被爆では種類が違うのかもしれませんが、被爆地広島としての役割としては、過去の被爆により多くの命が奪われた事実のみならず、一方では被爆地の焼け野原ですぐに街が再建されていった事実も、伝えてほしいと思います。


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