時として、旅をしたくなる
理由なんて単純で
「あ~、この人に会ってみたいな」って事だけで充分だ
2012年、今年は自分でも将来振り返る年になると思います
私は良く笑う
昔から人を良く笑わす
いつもその裏側にある不安みたいなモノから自分を遠のかせる
でも、そんなのは後から考えた理由みたいなモノで
本来、人の笑顔みたいな輪の中にいるのが凄く落ち着く
夜行バスが中々とれなくて
出発の5日前位にギリギリとれた
しかし、相変わらず暑かったな・・・
女性専用フロアーにしたのに何故か隣が硬直しまくってる男性
な・・・ぜ・・・??ww
私よりも彼の方が気の毒だったな
全然眠れてなかったみたいで途中で私の肩に
ドカッ
い、痛い
肩にもたれかかった彼。
でも夜行バスはいつも眠れないから前日一睡もしなかったおかげで
ぐっすりでした。
目的地に着いて朝、ゆ~っくりコーヒー飲みながら
周りの人の「朝」ってやつを観察して
いざ、会いたい人に会いに行った
調べたい事を調べていたら彼女のブログに辿り着いて
気づいたら1時間近く見てしまった
ゲストハウスのオーナーゆうさん
着いたら、香港の方々と韓国の方々が居間にいた
もちろんゆうさんがお出迎え
私の中ではかなり有名人いなっているので
私のお部屋(ベット)は2段ベットの下段
着いてそうそう香港から来た「Becky」が話しかけてくれた
出かけるみたいだったから持ってたキットカットの箱をあげたら
「お~かえりにプレゼント買ってきます」って言ってくれて
撮ってきた写真をくれた
Beckyは、香港のTV局で働いている
将来は香港で映画監督になるのが夢なんだって
22歳、私と一回りも違う
けど、帰りに私の帰る道で待っていてくれて
「ともだち、なってくれませんか?」って言ってくれた
凄まじく感激だった
不思議だね、出会いって
もうしばらく、大人数で化粧も全部とって
皆で居間でお風呂上り朝方までお互いの事話すなんて
機会なかったから、すごくすご~く素直になれました
ま、あの~1名若干年齢上げてましたけど
でももちろん日本人もいて、私の1つ上の人も
良く、CDを出して事務所に入っていた頃聞かれた質問がある
「何がしたい?」
いつも、いつも正しい答え方を探してた
自分の答えたい「答え」よりも
何か分からない強迫観念みたいなモノにビビって
「正しい、要求されてる答えは何だろう」って
フリーになってからもどこかその癖が抜けなかった
それがつまらなくなってた、自分自身がつまらなかったんだろうな
やっぱり、ゆうさんのブログ通りだった
ゆうさんともお話出来て、この人がなんでこんなに人に
愛されているのか少しだけ感じる事が出来た
1つ1つ気遣いのある部屋に、入居者への声がけも
全部押しつけがましくない彼女の気持ちが入っている
朝、皆同じ朝食が出る
自分で、行ってみたいな
会ってみたいなって思って
その通りにしてみたら、香港と韓国に友達が出来た
日本語が上手で
写真の左にいるヨンアとは、来年韓国で会う約束をした
「さつきしゃん、ハングルべんきょーして」って
よし、やるか。。。
今回「あ~、私ってホントに変わらず私なんだな」って感じました
若い頃から、気になったら行かないと気がすまないし
興味を持った人がいたら「気になったので会いに来ました」って会いに行く
良いとか、悪いとか
積極的とか、消極的とか
日本だとか、韓国だとか
何かラインを作る事って、本当に世界を自分を狭めるなって思うんです
意味なんて、なくていいーって思った
「何がしたいの?」って今でも聞いて下さる方いるけど
「したい事をしています」って、今は答えてる
何か「カタチ」になっているモノは安心するけど
それは、私ではないんだと思えたんです
それは、誰よりも父のおかげかもしれない
そう、家族のおかげです
「お前は底辺になろうとしない。下を見てあそこが底辺かって
確認しながら落ちようとしない。もっと、アウトローでいろ。人生はドラマチックに生きろ。」
こんな言葉より普通の父親なら
「お前もそろそろ落ち着いて、いい人見つけて孫を見せろ」って言うはずで
もしかしたら、父は本来そう思っているのかもしれない
私が言わせてるのかもしれないけど
母の事があって、そこから抜け出したかったんです
命が終わる瞬間を見て
急に自分の人生の秒針の音が強く聞こえるようになった
残りの人生の過ごし方を
幸せを少しでも多く感じられる自分を目指したくなった
でも、これからも会いたい人がいたら会いに行きたい
好きなものを好きって言える自分て、いいなって
ゆうさん、ありがとうございました。
お会い出来て、ちゃんと出会いに出来た。
またの、再会を。。