ホイカンアオイ(宝飯寒葵)
"宝飯寒葵"その名前の由来は、自生地・愛知県三河地方の一部地域、宝飯郡(ほいぐん)に因むもので、秋に咲くヒメカンアオイ( 三遠葵 Asarum takaoi var. sanenense(仮称)の変種である。
学名 : Asarum takaoi var. hoiense K.Maeda nom.nud.
開花期 : 10月半ば〜11月
自生地 : 愛知県の極一部地域
ちなみに今回ご紹介するカンアオイは、以前にも紹介をさせていただきましたが、極一部地域に自生してる、とても不思議な特徴を持つカンアオイで 、なんと言っても特筆べき特徴は、花の萼筒内部の構造の違いです!!
それは、驚くことに普通は有るはずの縦横の隆起線が欠落しており、更にその上、柱頭が花柱の頂点に付いている個体も見つかっています。
先日、自生地にて再度確認するために、カンアオイの花をひとつひとつ覗き込みながら確認すると、萼筒内部の隆起線が欠落している個体が数多く見つかり、同じような構造を持つ集団が存在する事が分かりました。
花は、ヒメカンアオイとしては、やや大きく、萼筒は浅く末広状に広がる個体が多く、三重県鈴鹿地方原産のスエヒロカンアオイ(10〜11月開花)とよく似た特徴も併せ持つカンアオイである。
このような構造を持つカンアオイは、他には見たことも聞いたことも無く、どのような進化の過程を経てきたものか非常に興味深いものです
発見から数年が経過していますが、この特徴は継続をしており、完全に固定しているものと思われます。この様な事から、秋に咲くヒメカンアオイ( 三遠葵 Asarum takaoi var. sanenense(仮))とは、別の集団であると考えられることから仮名を付けました。
※ 宝飯郡(ほいぐん)は、愛知県(三河国)にあった郡。
7世紀後半に、三川国穂評(ほのこほり)、8世紀の律令制以降は、寶飫(ほお)郡である。さらに、寶飯(ほい)郡と誤記され、現在の宝飯郡に至る。10世紀までは、設楽郡域も宝飯郡であった。
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
豊橋市の一部(豊川より北西)
豊川市の大部分(豊津町・橋尾町・三上町・院之子町を除く)
蒲郡市の全域
明治、大正時代と、豊川西岸(現豊川市江島町のみ東岸)に郡域が広がっていた。郡役所は当初御油町に置かれ、のち郡のほぼ中央の国府町に移転し、1926年の郡制廃止を迎えた。なお、国府町には、1942年(昭和17年)7月から1955年(昭和30年)11月まで、宝飯地方事務所が置かれていた。
※宝飯郡について詳しくは、wikipediaより引用しました。