正月気分はなくなっていたが

とりあえず甲府にいた

特に行きたい場所もなくて

次の日も

甲斐善光寺に詣でた

 

 

 

 

松ぼっくりが飾られていた

大きめだったが、

庭の古木の物だろうか

武田信玄氏が返したのかは知らないが

ご本尊は長野の善光寺に返されて

別のご本尊が祀られていた

戒壇巡りもあって

僕だけが巡ってきた

寺の人に訊かれて

ご迷惑をおかけしては、

と妻が答えていた

 

一年半以上もかかったが

妻の膝は、

かなり良くなっているのである

両親に運動させるために

妻もストレッチを

毎晩しているのである

筋肉量は減ってはいない。

 

 

 

街場の我が家のあたりでは

小鳥に食べられて

木の実は全く残ってはいないが

甲府では綺麗に残っている

 

 

 

 

寺の池を泳ぐ鯉

水の綺麗さに驚かされる

たくさんの鯉が泳いでいるが

僕は水を映していたのである

 

 

 

正月の陽に輝く甲府のエノコロ草

 

 

甲府のどこかで見た眼鏡橋

長崎の眼鏡橋を思い出して

懐かしかった

 

 

 

陽がくれようとしている

 

妻がハミングをしていた

遠き山に日は落ちて

星は空をちりばめぬ ♪

 

賛美歌のような調べである

妻は寝る時もドヴォルザークを

聞いている

「遠き山に日は落ちて」も

彼の「新世界より」の中からであるが

やはり賛美歌のようである

能登半島地震には

家にいた両親も

気持ちの持っていきようがなくて

母は、妻にしばらくしがみついていた

私たちも、いつかどこかで~

 

切ない覚悟である

能登の皆さんを泣かせてはならない

コンビニにも募金箱が置かれている

東北の折には早々と

募金箱が片づけられてしまっていたが

何年でも

募金を受け付けてほしい!

働ける場所が増えてほしい

人口が減らないでほしい

 

能登

不便な場所なのに

住み着いた人たちは

どこから来たのだろうか?

地震があって

初めて、そのことを考えた