最近は、本についての本、ばかり読んでいる気がします。
今読んでいるのは内田洋子さんの、「モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語」。なぜ手に取ったかというと、ある本のおかげで「本」への愛というか、好きだという気持ちが前よりもさらに高まってしまったからです。
今日はその、ある本の紹介をします。
「わたしの名前は『本』」
(ジョン・アガード作、ニール・パッカー画、金原瑞人訳、フィルムアート社、2017年)
現代にはたくさん存在する、「本」というもの。
でもわたしたちは、本が本の姿をしている状態しか、知りません。
もちろん、昔は巻物だっただとか、製本前はバラバラの紙だとか、知識としては今の本になる前のことを少し知っています。でも、ある物語として考えたとき、はたして本というものを語れるでしょうか?
そもそも文字が生まれる前、文字が生まれた時、粘土板が使われた時、紙の先祖パピルスが生まれた時、巻物になった時。それから先も、姿を変え感触を変えながら生き抜いて来た、本。
本書では、本が「わたし」として一人称で物語ります。まるで聡明な長老のような、それでいて親しみやすい友達のような、読み心地のよい語り口。長い長い物語を、熱いお茶を飲みながら語るように伝えてくれるのです。
しかも最後は、すこし泣かせてくる。
いや泣かない人もいるでしょうが、私は目頭が熱くなっちゃって、電車ですこしうつむきました。
すこし脱線しますが、私は金原瑞人さんの訳がとても好きです。「青空のむこうに」など好きな訳本がいくつもあります。だから本書も読んでいて、わくわくしたのかもしれません。金原さんにしかできない翻訳だっただろうと思います。
手に取ると非常に軽くて、中身のおもしろさもあってすぐに読み終わってしまう本ですが、一生心に残る本になりました。もちろん本棚にも!
この本を読んだ誰かと、熱いお茶を飲みながら、本についての長い長いおしゃべりをしたい。
そんな気持ちになる、宝物のような一冊です。