今の世の中ってさ"孤食"とか"オヒトリサマ"ってワードが普通になってるけど、恐らく聖書の時代では考えられなかった出来事が当たり前になってるのも悲しい話よね。

アタシ個人として孤食は、ほぼ当たり前な方かな…あまり気にしたことないけど。

しかし誰かと支え合って食事を共にすることなれば、万が一食糧が底ついた時にギブアンドテイクが出来て孤食しとるより充実した時間を持てると思うの。

それが叶わなくてもイエスさまとの食卓にいることをイメージしてたら好き嫌いが減ったりして…それはないかな(爆)

ただ生かされてることの感謝と食糧を与えられてる感謝は…孤食でもそぉでなくても…もれなくついてくるかもね。

食事の様式は好みによって異なるのと同じようにアタシたちは人様の信仰styleを受け入れる必要は間違いなくあるかもね。

Aoilogic
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使徒行伝 2:46‭-‬47 
そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、 神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。
Acts 2:46‭-‬47 
Every day they met together in the temple courtyard. In their homes they broke bread and ate together. Their hearts were glad and honest and true. They praised God. They were respected by all the people. Every day the Lord added to their group those who were being saved.
使徒行傳 2:46‭-‬47 
他們天天同心合意地聚集在聖殿裡敬拜上帝,又在各人家中擘餅聚會,以歡喜、慷慨的心分享食物, 讚美上帝,受到眾人的喜愛。主使得救的人數與日俱增。