今日って、実は八十八夜なのよね…。

美味しいお茶を飲んで美味しいご飯を食べれてる幸せに感謝の日でもあるわね。

信仰の中にあると有り難いことに健常者さんと障害者の分け隔てが露呈しないけど、普段の生活においては真逆。

障害者であることを隠すなんて茶飯事だけど、近年…役に立ってるかは別として…ヘルプマークってのが出てきて障害者であることを隠さなくて良い世相に変わりつつあるの。

セクシュアリティでも然り…現在は表示こそ消えちゃったけど、最近まで大阪市内の駅や官公庁では多目的トイレにレインボーマークが付いてたのよ。

いずれの場面でも賛否両論はある(あった)けど、ありのままの等身大をイエスさまに見せるなら同じことが何で出来ない?と疑問に感じていたアタシには朗報ね。

そんな感じでアタシたちにも"見るに劣る"と感じる部分があるとしても、神様には何の変哲もない一個人としてご覧になられてるってこと。

むしろアタシたちChristianは感謝を捧げるお手本でいなくちゃよね…昨今の感謝を忘れた日常のためにも。

Aoilogic
http://ameblo.jp/aoilogic4
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コリント人への第一の手紙 12:21‭-‬24 
目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。 そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、 からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、 麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。
1 Corinthians 12:21‭-‬24 
The eye can't say to the hand, "I don't need you!" The head can't say to the feet, "I don't need you!" In fact, it is just the opposite. The parts of the body that seem to be weaker are the ones we can't do without. The parts that we think are less important we treat with special honor. The private parts aren't shown. But they are treated with special care. The parts that can be shown don't need special care. But God has joined together all the parts of the body. And he has given more honor to the parts that didn't have any.
哥林多前書 12:21‭-‬24 
眼睛不能對手說:「我不需要你。」頭也不能對腳說:「我不需要你。」  相反,看起來不太重要的肢體事實上是不可或缺的。 我們認為身體上不體面的肢體,越要加以美化;不雅觀的肢體,越要精心呵護。 我們身上體面的肢體用不著美化。上帝把身體的各肢體安排在一起,使那些不體面的肢體更體面,