今年は例を見ないほどの暑さに悩まされますわな。

と言うか…"雨かも"と事前に予報が出ても結果的にはジメっとした晴れ間とか…………大阪は常にそんな感じですかね。

水不足になって地も至るところも干からびないかと思わず案じてしまいがちだけど、最も重要視しときたいんは心に注がれる滴かしら。

ほ~んとに昨今は想像するのも嫌になるぐらい殺伐しすぎた状況を目の当たりにすることあるの…これも心にあるべき滴が干上がって乾いてしまった結果なんかも。

普段お世話になる滴と同じくらい大切な心に注がれる滴は、祈りや御言葉でチャージすること可能よ。

この心に注がれる滴とはただ乾ききった心を潤すだけでなく手の施しようがないぐらいの乾きっぷりにも対応できちゃうと言うからチャージせずにはいられないわ。

Aoilogic
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ヨハネによる福音書 7:37‭-‬39 
祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。
John 7:37‭-‬39 
It was the last and most important day of the Feast. Jesus stood up and spoke in a loud voice. He said, "Let anyone who is thirsty come to me and drink. Does anyone believe in me? Then, just as Scripture says, streams of living water will flow from inside him."  When he said this, he meant the Holy Spirit. Those who believed in Jesus would receive the Spirit later. Up to that time, the Spirit had not been given. This was because Jesus had not yet received glory.
約翰福音 7:37‭-‬39 
節期最後一天,也是整個節期的高潮,耶穌站起來高聲說:「人若渴了,可以到我這裡來喝。 正如聖經所言,信我的人,『從他裡面要流出活水的江河來』。」 耶穌這話是指信祂的人要得到聖靈,但當時聖靈還沒有降臨,因為耶穌還沒有得到榮耀。