no matter who I am, no matter who they are...

アタシが誰であろうと対峙する彼らが何者かであろうと、神様にとっては何ら変わらない一人一人なのよね。

何を話すべきかを考えるとき、助けにならんことを言うのを避けてるつもりでいても時としてヤッチマッター(汗)をしてしまうことあると思うのね。

特に神様のことになると、まるで上司にでも気を使うかのようにピリピリ…これって滑稽だと思わない?

"助っ人"とか"寄り頼める"とか色んな呼称をしててさピリピリはないと思うし、まぁ礼拝や集会の時とかは状況に合わせるって感じでいいかも。

まず何より大事なんはピリピリしながらの信仰を継続するぐらいなら、隣人愛を尊重した誰もがrelaxできる信仰をなさいなと言いたくなっちゃうわね。

そぉすることで対峙する相手に対して伝わるものも伝わるかもね。

聖書解釈とか細かいことも一緒にやったらドン引き食らうから気を付けてね。 まずは慰めの心を備えたいですな。

Aoilogic
http://ameblo.jp/aoilogic4
(今日は時間を繰り上げて投稿してます)
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箴言 12:22‭-‬23
偽りを言うくちびるは主に憎まれ、真実を行う者は彼に喜ばれる。 さとき人は知識をかくす、しかし愚かな者は自分の愚かなことをあらわす。
Proverbs 12:22‭-‬23
The Lord hates those whose lips tell lies. But he is pleased with people who tell the truth.  Wise people keep their knowledge to themselves. But the hearts of foolish people shout foolish things.
箴 12:22‭-‬23
耶和華厭惡說謊的嘴, 祂喜愛行為誠實的人。  明哲不露鋒芒, 愚人心吐愚昧。