普段目の当たりにしたり触れたりする喜びと悲しみにはいずれにも恵みが存在するわけやけど

それはよりによって生きてるなかで起こる人生の嵐を体感したときに見いだしやすいんやて。

見いだしたところでやはり相手は神様と言っても、すぐに裁くなんてドン引きするよぉなことはしぃひんと思う。

裁くことより愛を語るより大事な基礎となるん…それは"見えないものを信じる"こともさることながら"キリストにあって生かされること"ちゃうやろか。

誰でも体験するであろうdramaticな人生における出来事では神様の愛をも経験することできても、見えないものを信じるための鍛練はほぼ自主的にしやんなあかんことやと思う。

キリストにあって起こる嵐は大きな恵みをもたらすって確信できることをまずは感謝したいもんやね。

Aoilogic"関西の最終兵器"
http://ameblo.jp/aoilogic4
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詩篇 139:12
あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます。あなたには、やみも光も異なることはありません。
Psalm 139:12
Even that darkness would not be dark to you. The night would shine like the day, because darkness is like light to you.
詩 139:12
然而,即使黑暗也無法遮住你的視線。 在你看來,黑夜亮如白晝, 黑暗與光明無異。