今日は天皇誕生日でもあり、富士山の日、と言うことで・・・PC内ファイルから過去の富士山フォトをピックアップしてみた。ペイントでそれぞれに日付を記入して並べるつもりが😰いざ、アップする段階でどこに保存なのかさっぱり見つからない⤵⤵⤵で、仕方ないので、フォームへ直入力など。

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2012.2.20・・・日本平頂上から少し下ったあたりからの撮影↓

2013.1.13

2013.12.20

2017.11.26

2018.1.13

2019.3.24

2020.12.18

2025.2.16

2025.4.8

2026.1.15

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四季折々、また行く先々で表情それぞれの富士山、これからもよろしく!🤗!

 

 

冬季五輪りくりゅうペアにもらひ泣く・・・・いやぁ、素晴らしかった~!おめでとうございます!🎌😆

テレビの前の座敷豚になりかけながら観ていて本当に感動しかない!何より美しい!!

 

私は、相変わらず咳き込みが減らず、喘息の薬を処方してもらっての経過観察中だが、

自分で出来るトレーニングは!腹式呼吸と知る。

減量に加えて、また宿題が増えた。

 

そんな絶不調でも出かけてみた🙋

2/14(土)は恒例、日本平の梅まつり。駐車場は臨時駐車場にぎりぎりセーフで停められた。

梅はほぼ散ってしまっていて、河津さくらまつりな景だった。

 

曇天模様だったが、キッチンカーの屋台が出ていてバレンタインデーもあってか、カップルや家族連れ、他の観光客で賑わっていた。写しそびれたが、ここの梅園で採れた梅の実ジュースがふるまわれていた。

梅園を出てすぐのところにある「夢テラス」へ向かうにも喘息がきつくて迷っていたら、なんと、昨年にはなかった電動カーサービスが始まっていた。「痒いところに手が届く」サービスに小躍り状態、利用券(100円)でGO!!

↑↑日本平からの富士山(臨時駐車場に向う途中のショット)

※歳時記で「梅」を見ていると興味深い別名に「好文木」「花の兄」「春告草」があって面白い。

・好文木・・・「梅」の雅称、晋の武帝が学問に励むと咲き、怠ると咲かなかった故事から

・「花の兄」はまぁ桜より先に咲くからだろうけれど、「春告草」とは、草に違和感あるなぁ・・・

 

キッチンカー並ぶ一隅花の兄  (蕗)

その翌日2/15(日)は、富士市ロゼシアタアーの由比交響吹奏楽団第29回公演へ。

会館内にあるレストラン、ロゼテラスでランチ!(訳ありで写真は無し⤵🙇)

終了後のロゼシアター大ホールのステージ↓↓

演目:雅の鐘・茉莉花幻想・コッペリアより三曲・ハリーの不思議な世界・「ひまわり」愛のテーマ・ノートルダムの鐘・すぎちゃんのワクワクどうぶつ◎・坂本冬美メドレー・ソーラン節変奏曲、みかんの花咲く丘・富士山....素晴らしい演奏だった。

来年は定演第30回三月七日公演予定だそう。生演奏はいつ聞いてもいいねぇ...

ありがとうございました^^♪

↑↑富士ロゼシアターからの富士山

頭から芽が出そうに!暖かな一日だった。

 

ここまで、お付き合い有難うございました💁‍♀️また次回まで御自愛ください🙇

 

吸うて吐く早春の富士見て呼吸  (蕗)

 

 

亡母のお仏壇から出てきた書状・・・

 戦後まもなくして母は、新聞社に勤めていた父方の弟(叔父、私からは大叔父)を頼って故郷を離れたひとだった。母のその叔父には子供がなく、母は父と結婚するまでの何年間かをその叔父の家に「居候」していて、そこの新聞社の事務手伝いをしていた。母は大叔父夫婦への恩義や思い入れもあって、大叔父亡きあと昭和40年代頃か未亡人になった大叔母の葬儀の後、隣の県にあった本家とは別に大叔父夫婦のため、分骨を申し出たのやら、結構な仏壇を買っていた。他県に住んで実家を離れて子育てに埋没だった私の知るところは、生前の母親の心情的な部分でしかなく、本当にわずかなことのみな話。が、その後の数十年、母は認知症と胃癌とで難儀な状況だった。我慢が限界にきて、ようやく医師にかかるも、胃の4分の3は切り取る結果になった。家の中も仏壇もグチャグチャで(辛かったろうとは思うし、父親との相性には裏表があり、母には、もしかしたら、と言う経緯での家事放棄、ネグレクトはあった。)中々高価な買物類も散乱している・・・せめて仏壇からでも整頓しようとしたら、ぼろぼろになった書状が出てきた。宛名書きは大叔父宛で差出人は東条英機の奥様からのもの。達筆すぎて家族のだれも読めず。何かを贈った大叔父への礼状のようだと推測。・・読めますかね?(2018.5.3記録から再編)
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 尋常高等小学校時代に父親が急逝して以後、苦労人だった父親は、八高(現名古屋大学の前身)の学歴をもつ大叔父 を大層、尊敬もし、私の幼少期に父母が家に招いては、テレビの大相撲を一緒に観戦すると言うことが何度かあった。背丈のがっしりした大きな人で、誰の取り組みだったかは?ながらに、私はその膝に抱っこされながら、テレビを観ていたことが蘇る。
 結局、この書状は、母他界のち、ブログに記事にした約一年後の2019.5.28に地元新聞社に匿名扱いで送付した。東条英機の戦争責任に伴う自●未遂頃のことだろうか、「鶏」を見舞いに持参だった?とか、判読付かない中、いろいろ想像の域だった。大叔父が支局長だった新聞社へ、私としては、歴史資料として保管されよかしだった。匿名にする理由もなかったのに、私は発見当時、遺った父親の介護問題をめぐる家族間の亀裂による徒労感や、なぜか遭遇する好戦的な人々とは一線を画す自衛心理状態だった。そして今は無き実家には歴代のある総理の方々の色紙などが出てきていた。それで、政治的に、メンドウなことでもあるのか?遺族の方々にとって、さてな?と憚っていたのもある・・・にしても礼状を受けた大叔父の遠い血族なりに、今頃になってどうしたわけか、この礼状の文面が気になる。判読できる方がありましたらメッセージ頂けたら嬉しい。2026.2.16備忘録