この記事は、以前書いた情報もありますが、うちの歴代のわんこのことを知りたいと思う方がいたので、改めて記載します。
卯月は、我が家の3代目わんこです。
家では、祖父母の家には小さいころから犬とメジロがいました。
・・が、中学にあがるころぐらいまで、我が家ではペットといえば金魚か、カブトムシぐらいしかいませんでした。
前にも、ちらりと書いたんですが、この子が初代のうちの子です。
名前は「ぶん」。男の子でした。
祖父母の家で生まれ、縁あってうちの子になりました。
でも、6歳になる手前で亡くなりました。
私は当時、大学に通っていたので、亡くなった時にはそばにいなかったんですが・・・。
具合が悪くて連れて行った病院で、「予防接種」を打たれ(しかも資格を持っていない院長の奥さんに)、その夜に亡くなりました。
その病院は、後に閉鎖しています。
この件については、思うこともいろいろあり、記事にもしたこともありますが・・・・きちんとした病院を選んであげるのも、大事なことですね。
その後にうちに来たのが、2代目わんこの「こま」でした。
この子は、私にべったりな子で、本当にかわいかったです。
1998.9.8に先日の海の見える公園から連れて帰りました。
その当時、その公園では捨て犬・捨て猫を世話するボランティアがいて、そこで譲渡されてきました。
子犬のころの写真は、デジタルではないのでちょっと今は載せられませんが、女の子です。
(手元にあったので、これだけ載せておきます)
歯ブラシで遊んでいるところ
(出会った公園)
夜になると、私のベットに来て一緒に寝たがるんですが・・重いんですよね
しかも、いい場所を先に取る・・・・。
鳥も、保護したスズメやツバメから始まって、色々飼っていましたが、あおいが来るまでなじみの深かったのは「犬」の方でした。
(とはいえ、手のひらの中で寝るスズメなんかもいて、可愛かったですが・・・ただ、放鳥はしていたものの、当時は鳥に関する知識も薄く、手乗りだし名前も付けて可愛がってはいても、今のような飼い方とは違っていました)
服を着せるのにも賛否両論あるようですが、強制して着せたりはしないし、寒い日だけだったり、雨の日の汚れ防止だったりするので、私は着せていました。
ただ、卯月は元が元なので、着せません(カッパ以外)
こまの服は、今でもタンスにしまってあります。そもそも、卯月には合わないしね
これが最後の誕生日の日でした。
高齢になって、毛並みも変わり、よだれ持たれていたし、足も悪くなっていました。
それでも、一緒にいてくれましたね。
2012.10.1の夜・・・。
いつもと違う声で鳴きました。
最初はトイレかなと思い、外に連れ出したんですが・・・。
クルクル同じところを回るんですよね・・・。
変だと思って観察していて・・目が見えていないことに気づきました。
慌てて連れて帰って、そのままずーっと抱きしめて座っていました。
当時は、母も今よりは元気だったので、一緒にいました。
「朝になったら病院に行こうね」
そういいつつ、ずーっと夜が明けるのを待ちました。
でも、日付の変わった2日の深夜・・・。
一つ大きな呼吸を吐いて・・・
そのまま息を引き取りました。
私の腕の中で、最期まで看取りました。
(これはガラケーに残っていた古い写真です)
亡くなる前の日・・・。
あおいのケージの前でしばらく覗き込むようにしていたそうです。
卯月と違って、あおいが来たときから家にいたので、接触こそさせなかったものの、ケージ越しでは一緒にいることも多かったですが、あまり興味を示したことがなかったようだったのに・・・。
あれは「お別れのあいさつ」だったのかな
あおいが私のとって「特別な鳥」であるように。
こまは私にとって「特別な犬」でした。
正直、卯月の期限が迫っていなかったら、犬を迎える気になってはいなかったです。
あおいがいたから「ペットロス」は避けられたものの、こまの代わりはもういないので・・・。
・・でも、命の期限を切られた卯月を見て・・。
「この子にチャンスを下さい」と書かれた文章を見て、決めました。
今では、出会いに感謝ですね
(これは、来て一年未満の卯月なので、ちょっと悪い顔してますね。)
こっちが最近の卯月
ラグビーボール・・・放しませんね・・・・。
過去にも何度か、こまのことは記載しています。
今でも忘れられない、大切な子です
(どこかに、必ず、あおいの写真を載せたい人・・・)
私事ですが、めいちゃん、そらちゃん。
がんばれ!いつも応援しています。
どうか、たくさんの贈り物が届きますように。